第24話
そうして、週が明けた。
あれから江那は病院で、一命をとりとめた。精神的な疲れもあり、今は自宅に帰り、両親のもとで療養している。
相羽と江那は、今も交際関係を続けている。ふたりは手を取り合い、関係を続けていくことを望んだのだった。
週明けに登校した相羽の顔には、大きな青あざが浮いていた。しかし、相羽の真摯な謝罪と――何より江那自身の意思が固く――ふたりの関係は、矢絣の家に許されたようだ。
相羽は、毎日見舞いに通い、江那を心身ともに支えている。
滝口の行いは、学園に知らされた。事態を重く受け止めた学園は、彼を謹慎処分にした。家にも、連絡がいったらしい。
嵐のような夜だった。しかし明けてみれば、すべては過ぎたことであり、聞くものの緊迫感は失せ、関わったものは忘れたがった。だから、さざ波のように事件は広まり――やがて、静まっていった。
いまだ悲しくうずまくのは、当事者の心の中にばかり――
赤城は、干し柿を見上げていた。経過を確認すると、第一寮に足を向けた。玄関をくぐると、赤城は専用ポストを確認する。中のものを手に取ると、エレベーターに乗り込んだ。上昇中に手の中のそれを、いま一度確認した。
「坊ちゃん」
返事はない。しかし、寝室には人の気配がある。布団がまるく盛り上がっていた。
あの日から、彼女の主はふさぎ込み、部屋にこもりがちになっている。今日も気分がすぐれないと言って、休んでいた。ただでさえここ数日、情緒不安定なことも多かった。だから、あの日のことは追い打ちだったようだ。
赤城がいま、手にしているものは、主に大きな影響を与えるものだろう。追い風となるか、向かい風となるか、わからない。だから赤城は、今は取り立てて言わないことにした。いつも通り、仕舞うことになっている引き出しにしまった。
そして、赤城は備え付けのキッチンで、雑炊を作ることにした。とりあえず、食べてもらおう。よく食べて寝て、他のことは後で考えればいい。
◇◇
「赤城さん」
理紗と廊下で行きあったのは、それからさらに少ししてから――このままでは行きづらくなる一方だと思ったか、彼女の主が腹を括って登校をし始めた日のことであった。
「こんにちは」
「こんにちは」
理紗は美しく礼をする。赤城もまた、頭を下げる。数日ぶりに見る理紗は、青白く、少しやつれていた。
「江那さんが復学されて、よかったです」
「ありがとう。あなたには、お見舞いにも来ていただいて。それに……」
そこで理紗は言葉を詰まらせた。理紗にとって、あの出来事は、いまだ生々しく、深い傷なのだ。無理もないことだった。彼女は、妹が命の危機にさらされ、友人まで失ったのだ――まして、自分の誕生日に。
「滝口先輩のことは、残念でした」
気丈にも、理紗は自分からそれを言葉にした。
理紗は、滝口の行いに大変ショックを受け、彼との交友を絶った。そしてその仲裁に入った友人たちとも、「そう」したらしい。
赤城はただ静かに頷いて、彼女の顔を見つめていた。その特有の不思議な目つきの奥に、理紗の悲しげな顔が映っている。
沈黙が広がった。しかし、理紗も赤城も、立ち去る気配はなかった。彼女たちは、何かを待っているようだった。ふきつけた風が、窓枠をカタカタとゆらす。余韻が消え去る頃、赤城が口を開いた。
「あの日」
理紗が、ぴくりと体を揺らした。表情は変わらない。しかし、顔におちる陰が、深みを増したようだった。
「倒れた江那さんの唇には、チョコレートがついていました」
赤城は言葉を続ける。水が湖面に溶け落ちるように、その声は、その場にしみこんでいった。
「滝口先輩は、言いました。『今日、チョコレートは出ていないのだから』と」
理紗は、黙っている。静かな表情だった。その様子から、彼女の沈黙は迫られたものではない――ただ、彼女の意思をもって、赤城の言葉を待っているということがわかった。
「でも、考えてみれば、チョコレートは、もうひとつあったんです」
赤城と理紗は見つめ合う。その瞳に、たがいの精神がとけこむ。そんな沈黙の視線を交わしていた。
「ケーキのメッセージプレートです」
赤城の伏し目がちの目が、しずかに開かれる。開いて尚、やわらかに凪いだ目に理紗の顔が映っていた。理紗は、赤城の目でもって、彼女自身と対面した。
「理紗さん。あなたはゲームの最中、ずっとケーキのお皿を持っていましたね」
赤城は続ける。あの時を思い返すように、遠い声で。
「ゲームが始まる前、あなたのお皿には、ケーキとメッセージプレートがのっていました。けれど、江那さんが倒れたとき、お皿にプレートはなかった」
赤城は、じっと理紗を見ていた。あの日、あの時と同じように。
「ゲームの最中、あなたはずっと、ゲームと周囲に目を配り、手元は動かしていませんでした。つまり、あなたにプレートを食べる機会はなかった」
理紗の目が、揺れる。湖面が見えない風にゆらぐように。赤城は理紗を見つめたまま、そこで一度、赤城は意識的に沈黙した。奥にある記憶を引っ張り出すために。
「あなたが、メッセージプレートを食べているのを見たとき、凝ったものだなと思いました。ホワイトの中に、緑の層があるなんて」
赤城は、言葉をついだ。静かに。沈黙に似るほど静かに――
「私は最初、抹茶と思ったんです。けれど、あれは」
「――ピスタチオよ」
理紗の言葉が、赤城の言葉を継ぐ。理紗は、赤城を見つめ――そこで初めて、目を伏せた。大きな痛みを堪えるように、その唇がふるえている。
「ピスタチオが入っていたの。あの日、江那が食べたメッセージプレートには――」
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