第21話


「碓井君……また君か」


 滝口は、疲れた顔で、由岐治をかえりみた。そして、また視線を前に戻す。


「もう、デバガメは勘弁してくれないか」

「ふざけんなよ!」


 由岐治は顔を真っ赤にして怒鳴る。そして滝口や周囲を激しく睨み渡した。


「好き放題言って逃げる気か!? そうは行かないぞ!」

「碓井君。もう、放っといてくれ!」


 由岐治に、滝口の友人の一人が声をとがらせる。他の友人たちも、由岐治をにらむ。無粋だと、言わんばかりの目だった。周囲とてそうだ。もう皆、この件を終わらせようとしていた。もう勘弁してくれという空気に満ちている。由岐治の頭にいっそう血が上った。


「何だその言いぐさ? お前たちにそんな権利ないんだよ、この犯罪者ども!」


 その瞬間、相手から、圧倒的な不快の念が向けられた。不可解なことに、滝口よりも、滝口の友人たちのほうが、その念は大きかった。

 由岐治は、自分がある境界線を越えてしまったかもしれない――そんな危惧を抱いた。しかし同時に、それがどうした、という気持ちで一杯だった。こんな奴らに、人間的忖度が必要か?


「なんだよその目? 本当のことだろ! そいつのやったことは人殺しだぞ!」

「うるさい! そんなことは滝口だってわかってるさ!」

「わかってるわけないだろ!」


 由岐治は、激しくにらみつけ、そしてあたりを見渡した。


「そいつだけじゃない! お前たちの誰も、どんな大それたことが起こったか、わかっちゃいないんだ!」


 由岐治はひとさし指を突きだして、一音一音、はっきりと音にした。


「だから、そんな風に馬鹿面さげてよちよち慰め合ってられる! ああ、そうか! お前たちは究極関係ないもんな! こっちのこと、無関係だからって排除しといて、お前たちが一番こいつに無関心なんだ!」

「なっ……」

「お前たちもこいつと一緒に捕まったら、ちょっとは目が覚めるだろ! 自分が可愛くて、よく見えそうな方につきたいだけだもんな!」

「そんなことない!」

「馬鹿にするな!」

「違わないだろ! さっき、自分たちが巻き込まれそうになったとき、手のひら返して、泡食ってたじゃないか!」


 彼らは絶句した。由岐治は、もう止まらなかった。話すごとに、油がさされていくようだった。とにかく、こいつらを傷つけなければ気が済まない。できうる限りの努力でもって、彼らを攻撃した。


「失礼なことを言わないでください!」

「あなたに何がわかるんですか!」

「はあ? これは、わかるわからないの問題じゃないんだよ! 人間的な倫理の問題だ! そんなこともわからないのか? この馬鹿女!」


 由岐治の言葉に、ひっ、と理紗の友人たちがふらついた。周囲がざわめく。


「君、女子にまで――」

「だから何だよ? 間違ったことに、男子も女子もない! お前たちはそうして、言論を弾圧するのが大好きだな! くそ偽善者!」

「もうやめろ!」


 滝口が鋭い声で叫んだ。そして、きっと由岐治を見据える。


「君が憎いのは俺だろう。俺が悪いんだ。皆に当たるのはよしてくれ」

「滝口……」


 皆が、滝口に湿っぽい視線を向ける。まるで英雄を見るような視線だった。その振る舞いに、周囲からも、由岐治への「やめなよ」という視線が刺さる。「なんで君は、関係ないのにこんなに怒ってるの?」とでも言いたげに。


「なんにもわかってないようだな! お前のせいでこうなってるんだよ!」

「わかってる。だからって、皆にあたって何になるんだ? 君は自分がすっきりしたいだけだろ!」


 静かな顔で、悲しげに滝口が言った。由岐治は、完全に逆上した。


「よくもそんなことが言えたな! 本当に、何にも悪いと思ってないんだ!」


 由岐治は声の限りに怒鳴った。


「いいか! お前は人を殺しかけてるんだ! その重みを何にも考えちゃいない! 何でも人のせいにして、逃げてるんだ!」

「そんな言い方――」

「うるさい! 自分が殺されかけても同じこと言えるか!? そうじゃないなら黙ってろ!」


 由岐治は四方八方睨みつけた。とにかく皆に腹が立って仕方なかった。周囲の視線が、どんどん由岐治に険しくなるのも、今は薪をくべる行為にしかならなかった。

 

「いいか! こいつを庇うってのはな、お前たちが誰かから気に食わないと思われて、それでお前たちやお前たちの大事な人に毒を盛られても、『自分のせいだから仕方ない』で済ますってことなんだよ! わかれよそれくらい!」


 由岐治の言葉に返ってきたのは、呆れと怒りの声だった。無関係のはずなのに、予想外の非難にさらされて心外だ、そんな態度だった。


「何それ」

「そんな言い方しなくてもいいのに」

「そこまでして自分が正しいって言いたいのかな」 


 由岐治は、一瞬、呆気にとられた。彼らのその反応が、不可解だった。なんだこいつら、ここまで言葉を尽くして説明してるのに、何でわからないんだ? 何で反省しないんだ――何でこんなに他人事なんだ。

 

「もうやめろ、碓井君」 

「本当のことだろ! だいたい、あんたが甘いんだよ! 世間体や綺麗事でくるんで、人を攻撃して! 何でそんなに自分の醜さを見ない振りできるんだ! 国宝級だよ!」


 由岐治は滝口に向き直る。滝口は、うんざりした顔で、由岐治を見ていた。相手にしていない、まるで子供の駄々や酔っぱらいにからまれた風情だった。やり過ごそう、という姿勢が見えていた。周囲ももはやその体であった。由岐治は動揺し始めていた。だから、もう許さなかった。許すわけにはいかなかった。だから、渾身の刃をもって突進した。


「人に偉そうに言って、あんたこそ、自分が可愛いだけの人間だよ! 理紗さんのことをダシにして、自分の鬱憤をはらしたかっただけだ!」


 由岐治の言葉に、滝口たちの友人たちの目の色が変わる。目の奥に怒りをみなぎらせた。ようやくこちらを相手にしたことに、由岐治は愉快を覚えた。


「違わないだろ! 理紗さんの大事な妹を傷つけて――よりにもよって理紗さんの誕生日に! 理紗さんを本当に思ってたら出来ないね!」

「そんな――」

「結局あんたは、自分の気持ちばっかりなんだ! でも、それじゃださいから、理紗さんの為って言ってるだけだろ!?」

「もうやめろよ!」

「聞いてられない! 滝口のこと、何も知らないくせに……!」


 友人たちが、悲痛の声で激高する。わかってないのはそっちだろ、くそったれ――


「正義面するなよ!」

「さすがに言い過ぎだよ! 君こそ理紗さんの気持ちを代弁するなよ……!」


 周囲からも、由岐治への大きなブーイングが起こる。由岐治は、あっけにとられ、それから負けじと歯を食いしばった。


「何だよ! 僕は間違ったこと、言ってないぞ! そうだろ、滝口先輩」


 滝口は無言だった。その目の奥に不快の念はある。しかし、やはりどこか他人事だった。のれんに腕押し、さすがに由岐治も、心が疲弊してきた。


「好きなだけ言いなよ」


 滝口が口を開くほど、何故か、滝口への支持が高まっていく。そこには狂犬にかみつかれた人間への、無条件の同情が見えた。

 

「ふーん。そうやっていい人間ぶろうとするんだな。悪人になる勇気もないだけのくせに!」


 由岐治は息切れしたいのもこらえ、言葉を重ねる。由岐治は、汗ばんだ拳を、爪が食い込むほど握りしめ叫んだ。


「あんたなんかよりな、相羽先輩のがなんぼかましな人間だよ! あんたなんて、ただのゲス野郎だ! 振られるのが怖かっただけの人間だよ!」


 その瞬間、周囲から一斉に由岐治への石が飛んだ。


「いい加減にしろよ!」

「聞き苦しいんだよさっきから! 何様のつもりだ!」

「偽善者! 引っ込め!」


 由岐治はそこで、さすがに黙ってしまった。かたく食いしめた唇から苦しい息を、吐き出した。何だよ、確かに言いたいことは言ったけど、こいつらのしたことと何が違うって言うんだ。


「悪いことしたからって、あんまりです」

「あなたこそ、人を叩きたいだけじゃないですか」


 非難と軽蔑の視線が、千本の針となって由岐治に刺さる。由岐治は痛みにくらりとしたが、それでも、涙をこらえ睨みつけた。滝口は、それをわかっているのか、ゆったりと悲しげに笑って見せた。


「いいよ、皆。俺はわかってるから」

「滝口……」

「俺は言われても仕方ないけど……人間ってそんなシンプルじゃないよ。これからは、何でも悪く見るのは、よした方がいい」


 皆、滝口の言葉に、聞きほれていた。

 なんだこれ? 由岐治は激しく身震いした。気持ち悪い。明らかに向こうが悪いのに、何でこんなことになるんだろう。


「滝口先輩に謝ってください」

「あなたに、先輩を侮辱する権利はありません!」


 理紗の友人たちも、由岐治をにらんで詰め寄ってきた。意味がわからなかった。さっきの復讐だろうか、この女ども。なんとなくこの空気に押し流されて、自分に謝罪を求めるとは、善悪の区別もついていない。


「人を裁くにも、仁義があるよ。これから探偵をやるなら、考えた方がいい。君は正義じゃないんだ」


 滝口の言葉に、皆が感嘆している。「ほんとうにそのとおり」と口々であがった。何でだよ、由岐治は喉元に、疑問符をためた。こぼれさせたら、涙まで出てしまいそうだった。


「出てけ!」

「引っ込め!」


 あたりは異様な熱狂に包まれ、あちこちから由岐治を排そうとする声があがる。滝口たちが、こちらに勝ち誇り、また軽蔑した目で見ているのがわかった。「よくこんなひどいことができるな」という顔で。そして、滝口だけでなく――彼らすべてが、うっとうしい犬が、ようやく追い払えるというような顔に変わっていた。

 こいつら、もう全く聞くつもりがないんだ。そして向こうも、自分をそう思っている。由岐治は悟った。すさまじい徒労と、悲しみが由岐治を襲った。


「お前ら皆くそったれだ」

「泣いてるじゃん!」


 由岐治はぽつりと呟いた。涙声なのを察したらしい、笑い声があがった。由岐治は、顔をぐっと強ばらせた。悔しくて仕方ない。ここから去りたいが、今去れば赤っ恥だ。でも、もう限界だ――


「やめろ」


 その時、由岐治の肩に、ぽんと手がのせられた。見上げれば、相羽が由岐治を見下ろしていた。静かに、しっかりとした顔つきをしている。


「碓井君、俺のためにすまない。もういいんだ」


 由岐治は目を見開く。そして、あわててうつむいた。相羽は大らかな表情で、そんな由岐治に頷くと、滝口に向き直った。


「タキ」


 滝口が、目をすがめる。相羽は、樹のように素朴に頑健な様子で、滝口を見据えた。


「自分のしたことを受け止めてくれ」


 周囲がざわめいた。そして次の言葉を待ったが、相羽が口にしたのは、それだけだった。由岐治の肩をたたき、くるりと踵を返した。


「行こう」


 そうして、由岐治と赤城を促し、ホールを後にしたのだった――。

 

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