第2話
所用を終えると、赤城は校舎に向かった。
自分のクラスと、『主』のクラスで鞄をとると、廊下に出る。ゆっくりと視線をめぐらせながら歩き出す。窓と一年生のクラスに両脇を挟まれた廊下の突き当たりで、ちょうど少年たちが談笑していた。
「坊ちゃん」
赤城が声をかける前に、彼らはうっすら気づいていたらしい。予定調和の瞠目のあと、笑みを浮かべた。
「碓井君、君の使用人が来てるよ」
「仕事熱心でうらやましいことだね」
そう言って、集まりの奥にいた少年をつついた。つつかれた少年は、困ったようにはにかんで見せた。
「もう、からかわないでくれよ。じゃあ、皆。また明日」
「ああ、またね」
朗らかな笑みを浮かべ、彼は皆に手を振った。そうして、ついと廊下を歩き出す。いっさいに気を払いつつ、やわらかな動きだった。赤城は、少年たちに会釈をすると、後につづいた。
人の波をかいくぐり、学生寮に近づくほどに、彼の歩調は速まった。学生寮の、特に高級の位の棟は入る人間が限られるため、人気が少ない。だから、彼もまた、気がゆるまると言うものだった。
「遅い。何してたんだ」
桜の葉の緑は、黄色じみてきており、あたりの景色を物寂しく穏やかに整えていた。
ひときわ大きな桜の木の下で、彼はくるりと赤城を振り返った。
秀麗に整った顔立ちは、高貴さと愛嬌を絶妙に兼ね備えていたが、今は不機嫌な陰を落としている。
「すみません。皿を片づけていましたもので」
「皿? おまえは僕に仕えてるんだぞ」
甘さの残る澄んだ声は、冷たい苛立ちに満ちている。赤城は、動じた様子もなく「はい」とうなずいた。
「もちろんです、坊ちゃん」
さあと風が吹く。赤城のすすき色の髪と、彼の黒髪が揺れた。彼は、舌打ちをこらえるように頬をゆがめると、ふんと鼻をならした。そして、ずいと赤城に向かい、指を指す。
「自覚を持てよ。僕は、誰にでもへいへいする犬はいらないんだ。僕の価値が下がるからな」
「はい」
「お前はこの、
ずいずいと一言一句、指で示しながら赤城に言い含めた。赤城は静かな様子で、押し引きする主の指先と、強い眼孔を見ていた。
「わかってます」
「ふん。わかってないだろ。覇気のない目しやがって」
赤城の主である彼――由岐治はそこで矛をおさめた。人の気配がしたのと、これが彼らの常であるからだった。由岐治は歩き出す。いらいらとした足取りを優雅な陰にひそめていた。
「間抜け、このうすら馬鹿。僕ほど寛大な主はいないぞ。お前なんか、どこでもやっていけるもんか。この――」
「坊ちゃん」
ぶつぶつと小声でささやき続ける主に、赤城は返す。歩調はそのままに、由岐治はちろりと目線を流した。
「悪口を言うのはよしなさい。後で落ち込むんですから」
やわらかい声音が、由岐治の脳を撫ぜた。思わず立ち止まった由岐治に、赤城もまた立ち止まる。由岐治は口を開いては閉じ、そして怒鳴った。
「するもんか! 少なくともお前相手に、そんな気持ち持ったことないね!」
「そうですか」
「そうだ!」
がなりたてるので、近くの木から鳥が飛び立った。枝がしなり、葉が揺れる音がする。
「坊ちゃん、帰りましょう。じき、ご飯になりますから」
「うるさい……」
なんとなく間抜けな気風になり、意気がそがれた由岐治は頭を抱える。赤城に促され、由岐治はふらふらと歩き出した。
「くそっ、このろくでなしが。絶対、この僕がお前を追い出してやるからな」
「それはなりません。私は坊ちゃんの使用人ですから」
由岐治の苦悶の声が秋の空に抜けていった。
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