迎陽花

小槻みしろ/白崎ぼたん

秋〜october〜

第1話

 光のどけき、うららかな午後のことであった。

 女生徒たちが、学園のカフェのテラス席にて、何やら一生懸命話し込んでいる。華やいだ様子に反して、彼女たちの表情は戸惑いに満ちていた。


梅園うめぞのさんに圧されて受け取ってしまったけれど」

「どうしましょう?」


 彼女たちのテーブルには、大量の無花果いちじくの入った籠がのせられていた。ちなみに梅園さん、とは彼女たちの通う学園の庭師である。人の良さそうな赤ら顔の中年の男で、庭でとれた自信の果物を差し出すのがクセであった。今日も今日とて、彼の犠牲者となった優しい彼女たちは、口々に嘆息した。


「いただくにしても、ナイフとお皿が必要よね」

「でも、こんなところで。さすがに恥ずかしいわ」

「クラスに持って帰ってどこに置きましょう? 困ったわ」


 無花果特有の甘い水の香りが、鼻先をやわく撫ぜる。とろけるように、甘美な感覚だ。ここが学園でなければ、まっすぐ使用人に差し出したろう。皆の視線が気になる。幾度目かの大きなため息をついたとき、周囲のくすくす笑いがざわめきとなった。思わず赤面を強めた時、目の前に大皿を大量に積み上げたカートが進んできた。


「あっ!」


 あまりに大量にのせているので、運び主は見えない。それが、皆の笑いの理由だった。しかし、周囲も彼女たちも、それが誰かはわかっているのだ。こんなことをするのは、一人しかいない。


赤城あかぎさん!」


 カートが通りすがる瞬間に、ぴたりと止まる。

 声をかけたのは、理由はなく、ほぼ天啓に近いものだった。しかし、なにかすがろうとさせる力が、「彼女」にはあるのだ。

 大皿たちの後ろに立つ少女は、くるりと振り返った。


「なんですか?」


 淡いすすき色の髪が、日に照らされ白く透ける。申し訳程度のお下げが揺れた。少女は不思議ないつもの目つきで、彼女たちを見た。それから、テーブルに置かれた無花果も。

 彼女たちは、それを確認し十年来の友人のような心地で、少女――赤城に続けた。


「梅園さんにいただいたの。でもどうしたものかわからなくて」

「少し、いただいてくださらない?」


 そう言って果物を指した。赤城は今一度、無花果を見て、それから彼女たちを見る。


「すみません、今おなかいっぱいなので」


 ぺこりと頭を下げた。周囲から笑いが漏れる。ほがらかな笑いだった。彼女たちも、気にした風もなく、くすくすと笑い出した。やだ、赤城さんたら、そう言う意味じゃないのよ――と言おうとしたときだった。


「でも、皮はむかせていただきますよ」


 そう言って、てくてくと歩いてきた。手を合わせると、一つ無花果を手に取る。ヘタをひっつかんで無花果の実をむきだした。流水のような、無駄のない一連の動きに、彼女たちは、呆気にとられた。周囲も沈黙する。そして、赤城が「これでかじるといいですよ」と言ったところで、どっと笑いが漏れた。彼女たちも笑い出す。


「やだ、赤城さんたら」

「相変わらず、大胆だわ」

「今、どうなさったの? 早業ね」

「こうしてむくんです」


 赤城はもう一つ、ずるりとむいて見せた。手さばきの見事さに、彼女たちは目を輝かせた。


「私の分、もう一つむいてくださらない?」

「私の分も!」


 口々に、彼女たちは差し出した。赤城はお手玉をするようにむいては差し出すを繰り返す。


「手慣れてるのね」

「この季節は、よく頂きますから」

「こうして? あなたの『主』のお庭で?」

「はい」

「お叱りになられなかった?」

「果物は土のものですから。わたくしの行儀についてはしょっちゅう叱られました」

「まあ!」


 彼女たちはころころと笑う。


「おもしろい方」

「やっぱりあなたは、私たちとは違う経験をなさってるのね」

「そうですか」


 赤城の、しなるように無花果をむきながらの返事に、彼女たちはまた、楽しげに笑った。

 彼女たちの言葉に、神経をとがらせるものもいるだろう――たとえば先に口にのぼった赤城の『主』であるとか、外部生など、この学園で下層とされるものであるとか。

 しかし、彼女たちには、全く悪意がない。ただ自分が思った、そのとおりのことを述べているだけなのだ。また、彼女たちも、ほかの生徒にはもっと神経質にするだろう。

 しかし、赤城の前では、そういった気遣い、というものがすべて取っ払われてしまう。それが彼女たちには心地いいのだった。


「あなたって本当につきあいやすい方」

「あなたのご主人様――碓井うすい君があなたを重宝なさるのがわかるわ」

 

「そうですか」

「ええ。私たちもあなたのような方がほしいくらい」


 毒気のない彼女たちの笑みを受け、赤城は無花果をむき終えた。取り出したるハンカチで、手を拭くとカートに戻る。


「では、私はこれで」

「ありがとう、赤城さん」

「いいえ。――食べすぎには、お気をつけて」

「ごきげんよう!」


 そう言うと、また颯爽と巨大なカートを押して去っていった。彼女たちは、ほがらかな気持ちでそれを見送り、そして各々、手に持ったむきだしの無花果を見て、我に返る。


「ああ、つい楽しくて頼んでしまったけれど」

「どうしましょう、これ」

「かじるのは恥ずかしいわ」


 注目が集まったぶん、余計にいたたまれない気持ちになり、彼女たちはふたたび赤面するのであった。


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