第3話 アイドルの本質は複雑らしい
「無瑕ちゃんのその性格は養殖もので、天然じゃないわ」
無瑕は先ほど生まれながらにと言ったではないかという不満を胸にしまい、黙って老婆の話を聞いた。
「オン、オフができないのよ。本当に大変」
「オン、オフ?」
「アイドルとか芸能人の彼らは、商売で相手のニーズに答えて聖人のように振る舞うけど、仕事が終われば素の自分になる。でも、無瑕ちゃんはオフがないからいつでも誰にでもいい顔をする」
老婆が淡々と語る言葉が、無瑕には岩が降ってきて押しつぶされそうなとても重いものに感じられた。
「無瑕ちゃんはアイドルって言っても、昔の意味の方よ。存在自体が崇拝対象みたいな。あーん、とにかく現代のアイドルとは違う」
確かに老婆の話を聞いていると、人に良い顔をするということを仕事ではなく、自らしているという点が現代のアイドルとは違いそうだ。
「しかも、天然でならいいんだけど、それを自分の意志でやっちゃてるから。そういう才能を天からいただいたの。あなたの陽気な性格も養殖ものだから、本質は別にある」
老婆の言っていることは、矛盾しているようで合っている。アイドルのような行動を取るようになったのは養殖だが、アイドルをしなければという思考にいたるのは天然ということらしい。無瑕は頭が混乱したが、無理やり腑に落としこんだ。老婆はふとしたところで無瑕のことを見た。無瑕は妙な緊張感を感じ、姿勢を正した。
「これを教えるのが、私の役割だと思ってるわ」
そう言う老婆は、冷静で落ち着いた態度だった。無瑕はこれこそ老婆が覚悟を聞いた理由だと感づき、心拍数が上がっていった。心の海に沈んで地底に一人残された無瑕。老婆は自分自身が分からなくなった無瑕の心の深いところに、光を当てて教えてくれるのだ。自分と向き合うというのは、予想以上に大変だ。無瑕は意識が遠のいていく感覚がして、静寂の中で深く深呼吸をした。心を落ち着かせると真っ直ぐ前を見やり、老婆に聞こえるように声を上げた。
「本質を教えてください。私は、生きづらさの意味を……知りたいです」
老婆も覚悟を決めたようにしっかり頷き、ファイルを読みながら無瑕に伝えた。
「ナイーブで自分に自信がない。一方、野心家で猜疑心が強い」
「は、はい」
——ナイーブって、ネガティブってこと? という疑問も喉まででかけたが、老婆の熱弁を妨げるのもはばかられ、お預けにした。
「これにより、無瑕ちゃんは他者を信じられず、一人ぼっちだと感じ続ける。そんな自分が嫌になってしまう」
老婆が話し終えたその時、三十分を知らせるタイマーが鳴った。長く話を聞きすぎたせいか、内容のせいなのか定かではないが、無瑕の頭は四時間やり続けたゲーム機のように熱を持っていた。自分の本質は醜いのだなと黄昏のように心は暗くなり、浮かない面持ちになった。老婆はタイマーを止めて話を続けた。
「辛かったでしょう」
「そうですね」
無瑕は過去のことを思い出し、無理に微笑んだ。無瑕の表面しか好きになってくれなかった学校の友人達。内面を否定されたのを思い出すと、誰も信じられなくなったのは当然のようにも思えた。少しだけ自分を許そうと思った。老婆は最初とは比べ物にならないくらいに乱雑な字で、ペンを動かしながら、「付き合ってる人に、本質を突かれてしまったんじゃないの?」と投げかけた。
「付き合ってるとは……?」
恋人のことなのだろうが、無瑕は話についていけず黙り込んだ。しばらく沈黙が続き、老婆と見つめ合ったが二人とも目を逸らした。
——時々、話が噛み合わないと無瑕は少し呆れた気持ちになった。この十五年、恋人などいたことなんてない。彼氏がいるほど、洗練されて見えたのだろうと、無瑕は図に乗った。その時、老婆の方のカーテンがめくられ、受付の人が「もう少しかかります?」とやって来た。
「まだよ」と老婆は受付の人を追い払い、無瑕は人使いの荒さに驚きながら、自分のために時間を使ってくれることに感謝の気持ちが芽生えた。老婆の目を大きく見開き、熱く語り続ける様はまるでお節介な近所のおばちゃんのようだ。
「本質を隠そうとして、またアイドルをしちゃうから。それは家族に対しても」
「確かに、家族にも隠していた時がありました」
無瑕は家族の話題が出て、息が詰まるのを感じた。現在は家族に素の自分でいられるのだが、優等生で人に好かれる自分が望まれていると察して、中学生までは家族にも隠していたのを思い出した。家族は無瑕の本質も受け入れてくれていたのだなと、胸がいっぱいになった。無瑕が物思いにふけっている一方で、老婆は蛍光ペンを取り出して、要点に線を引き始めた。無瑕はピンクのインクが滲むほどに強く引っ張られている、養殖であるという部分と本質の部分が特に大事な部分なのだと認識した。
「じゃあ、最後に大事なことを言いますよ」
最後という言葉を聞き、無瑕は姿勢を正して神経を奮い立たせた。老婆は蛍光ペンのフタをして無瑕を見やると、満を持して口を開いた。
「これからの人生、もしも大切な人ができた時には無瑕ちゃんは、どちらかを選ばなきゃいけない」
「はい」
返事をしたまでは良かったものの、恋愛相談をしにきたのではないのだが?という不明点が、無瑕の脳内で渦巻いた。それに、なぜか恋人がいたリア充設定になっているのかも謎だ。無瑕は緊張感が抜いて聞こうとしたが、老婆は無瑕をじっと見つめていた。
「一つは、私はこういう人間だと本質を打ち明ける」
無瑕はゴクリとつばを飲み込んだ。これは恋人に関わらず、友人関係にも関わることのような気がした。本質を受け止めてくれる人がいたら、どんなに幸せだろうか。
「もう一つは、嘘を突き通す。一人のときだけ、自分を出すことができる。私はこれがオススメだけど……」
二つの答えを聞いた無瑕は、嘘を突き通すという未来を考えると、鼓動が早くなった。人間一人では生きていけないと言うのに、一人で生きろと言われているような気がした。
「無瑕ちゃんは魅力的だから、たくさんの人から好意を寄せられる。でも、あなたの本質を知った人は、あなたから離れてしまうことが多い。無瑕ちゃんを受け入れる人はいないとは言わないけど、ほんの一握り」
無瑕はどうしようもできない不甲斐なさを感じる一方で、対人関係で悩んできた理由がはっきりした。人に理解されにくいのだ。理解者がこの世にいないかもしれない。深い井戸の底に落ち、目の前が真っ暗になったようで泣きそうになった。
「なんというか、淋しいです」と無瑕は、濡らした雑巾を絞りきった最後の一滴のように、ぽつりとその心境を伝えた。
「そうよ、辛くて当たり前。周りからアイドルなんてめっちゃいいじゃんって、言われたらどうよ?」
「ふざけんなって感じですね」
「そうでしょう」
無瑕と老婆は、ここで初めて笑みを交わした。老婆はここまでの内容を紙に書き終えると「はい、これ。部屋にでも飾っておきなさい」と紙を差し出し、無瑕は重々しい気持ちでそれを受け取った。
——これが私なんだ。
無瑕にはまだ受け入れがたかった。今後、どうやって生きていったら良いのだろうか。もう友達なんていらない、一人で生きていくのだと割り切れればどれだけ良いことか。家族がいなくなって、愛も安心もすべてがなくなってしまったらと想像するだけでゾッとした。心境が表情に出たのだろうか、老婆は無瑕を同情の眼差しで見つめ、口を開いた。
「こういう気質は稀だけど、あなただけじゃないわ」
「そうなんですね」と眉を下げて答えたものの、特に慰めになっていない言葉だと無瑕は思った。無瑕を理解してくれる人間は、ほとんどいないと言っていたではないかと少し苛ついた。しかし、老婆はニコリと笑っていた。
「本当なのよ、会ってみる?」
「……あ、会える?」
無瑕は老婆の言葉に目が点になった。
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