第2話 アイドルとして生まれたらしい

 無瑕むかは今、横浜中華街にいる。夏休みの暑苦しい日で、しかも一日で最も太陽が輝く時間だったので、背中が汗でびしょびしょだ。スカートで来たのは正解だったが、白Tシャツの有り様を見て、日傘を持ってこなかったことを後悔するには遅すぎたようだ。

 いつも以上に人と当たらないよう神経を張り詰めながら、中華街らしい人混みを抜けていった先に、占いの館·芳仙ほうせんはあった。しかし、その手前にもう一つ占いの店と目があった。

「自分探し! 占いの希望館……」

 舌足らずな声で無瑕は呟いた。顔にかかった長い黒髪を横に分けて、黒い板に金色で文字が書かれた看板を見上げた。外観は周りとなんら変わりのない雑居ビルだが、いかにもアヤシそうな店の名前だ。人当たりの良さそうな女性が出てきて、高価な厄除けグッズを売りつけられそうな予感がした。普段の無瑕ならば行くはずもない。だが、自分探しという文字から、今の自分にこれほど相応しい店はないと感じられた。無瑕はそれだけやぶれかぶれになっていた。

 ――自分について知るために来たのよ、無瑕。ネガティブに考えちゃだめ。

 無瑕はこの夏最大の勇気を振り絞って、足を踏み入れた。


 黒いカーテンがかけられた入り口から入ると、店内は無瑕にとって異様な空間だった。真っ先に目がついたのは真紅の壁紙で、どこかで嗅いだような香の匂いが漂い、琴と笛のBGMが微かに聞こえた。入口の目の前には受付があり、左側に個室が並んでいた。個室の先には黒の扉が立ち塞がっていて、扉を開ければ異世界に連れて行かれそうな雰囲気をかもし出していた。更に「一念通天」という心を刺激するような文字が額縁に達筆に書かれ、受付の後ろの壁に飾られていた。受付の机には高そうな水晶やアメジスト、中華街らしい赤馬の玉像が置かれていた。妙なことに無瑕以外の客は見当たらない。汗で額に張りついた前髪を整えながら、受付の女性と目を合わせた。牡丹が刺繍された黄色のチャイナ服を着ていて、女性は笑顔を絶やさなかった。右側のクーラーから出た、尋常ではない冷たさの風が体に直撃して無瑕はブルっと身震いをした。

「一名様ですねー、こちらにどうぞ」

 静かなイメージの占い店とは真反対の高らかな声で、安っぽい赤いカーテンで仕切られた個室に案内された。カーテンをめくって中に入った瞬間、先ほどまでの人々の騒がしい音は一切消え去った。椅子が四つも並んであって、テーブルと椅子に体を挟まれながら奥に進み、左から二番目の椅子に腰掛けた。黒のショルダーバッグをおろし、無瑕は中華街によくあるラーメンのような模様――雷紋の赤いテーブルクロスとにらめっこをした。

「若いねぇ」と言う占い師は、干からびた喉太い声だった。無瑕は目を合わせずに、歯を少し見せて笑った。見知らぬ人物と対面していざ占いの時となると、緊張と不安で何を聞きたかったかあやふやになってしまった。無瑕は「自分のことが、知りたいです」と言葉を振り絞って占い師に主張した。

「じゃあ、総合コースにしようか」

 シワだらけの指が、テーブルの上にあった値段表の中で総合の文字を指した。値段を見ると、コースの中で一番高い五千円だった。バイトで稼いだ料金と同じではないか。無瑕は初めて占い師の方を見た。

 占い師はシワだらけの老婆だった。老婆は紫のマスクをしていて、下の顔は分からなかったが、目の下はたるみとクマがあいまって下がり、恐ろしい形相に感じられた。茶髪を無造作に頭の上でまとめて、少し透けた中華風の半袖から下着の紐を垂らしただらしない格好だった。しかし、眼は無瑕を見透かしているように、まっすぐこちらを見ていた。無瑕はどんなアヤシイ老婆が相手でも、対人関係が上手くいかない理由を知り、自分をより深く知る機会なのだと割り切り、思い切って総合を選ぶことにした。

「頭から爪先まで教えてあげましょう」

 老婆がニヤリと目を細めた。その表情が金をもらったと喜んでいるようで、無瑕は不愉快に感じた。そして結局、散々傷ついて手に入れたバイト代を使い切ってしまったことに喪失感を感じた。店長や同僚の顔を思い出すと、心悲しい気持ちになった。それでもこの老婆相手に決定を撤回する勇気もないので、心の中は荒波に飲まれたような気持ちだった。そして嵐の中、行方の分からぬ心の船旅が始まった。老婆はゴソゴソとカバンの中を探り始め、無瑕はそれを見ながら頬のニキビを軽くかいた。老婆は紙と安そうな三色ボールペンを取り出し、結果をすべて書き留めると言った。

「名前とせーねんがっぴは?」

久間ひさま無瑕です」

「むかってどういう漢字?」と老婆は紙とボールペンを無瑕に差し出した。無瑕は大きめに名前を書いた。

「ふあーん、珍しい。で、生年月日も教えて」

「2008年、1月25日です」

「なんて?」

「2008年の1月25日ですっ」と自分で声の大きさにビビりながら答えた。老婆は頷きながらメモをした。更に親指くらいの分厚いファイルを横の本棚から取り出し、バッと音を立てて開いた。何の本だろうと無瑕も老婆と一緒に眺めたが、目が悪くて見えなかった。その時、老婆がふいに顔を上げて無瑕は急いで身を引いた。

「覚悟して聞きなさい」

 先ほどまでの鈍感な老婆はどこへやら、無瑕の瞳をじっと見め、人が変わったように真剣な表情だった。神からお告げが来たのかと無瑕は思った。自分のことを知れるのなら、なんでもこいと意気込んだ無瑕は、深く考えずに「はい」と答えた。


「あなたはね、生まれながらにアイドルよ」


 占いの結果を聞いて、先ほどまで嵐の中を進んでいた船がひっくり返ってしまった。——今流行ってる漫画の主人公かよとアイドルとは程遠い今の自分の状況を照らし合わせ、釈然としない気持ちになった。しかし、話を聞いていくうちに漫画のようなアイドルではないことを知っていくことになる。

「明るくて社交的、キラリと光るチャーミングな魅力を持ってるわ」

 老婆は黒のボールペンで内容を紙に書いた。無瑕はチャーミングという老婆の言葉のセンスに内心笑いながら、相槌をつきながらそれを見ていた。

「そして、自然的で人の心を察するのが得意」

 昔から人の気持ちを考えて生きていた無瑕は、その通りだと思った。今まで老婆の話を半信半疑に聞いてきた無瑕だったが、占いが当たったので態度を改め、意欲的に耳を傾けるようにした。

「金運もあって、成功もできる」

「本当ですか?」

「でも! 問題はあるわよ」

 無瑕は思わず体が固まってしまい、つけあがっていた心が冷めたように感じた。老婆は一度も逸らさずに見つめてきて、無瑕は息が詰まるのを感じ、老婆から目を逸らした。

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