第5話 アイドルは自分を受け入れたらしい

 無瑕は夢を見ていたように放心状態で、ぼうっと上杉のカップを眺めていた。ふと、このドアを開ければ上杉に会えるのではないかと考え、無瑕は勢いよく立ち上がった。ドアノブに手をかけたその時、老婆――マダムウィッチが入ってきた。

「お疲れ、どうだった?」

 無瑕は思わず手を引っ込めて、マダムウィッチの方に体を向け、何もなかったように答えた。

「お会いできて良かったです、とても」

 マダムウィッチは自慢げな表情で頷いていた。上杉と話したことで、未来への希望が少し生まれた気がした。無瑕の心の船は荒波を乗り越え、未来へ向けて出発したのだ。部屋から出ると、マダムウィッチが扉を鍵で締めた。無瑕は余韻に浸りながら、単純な疑問を投げかけた。

「もう会えないんですかね?」

「彼女とはもう会えないわ。残念だけど、あの扉は一期一会っていう決まりがあるの」

 マダムウィッチはそう言うと、肩をすくめた。

 ――なんちゅう決まりだと無瑕は口を曲げ、不満を吐き出すようにため息をついた。

「扉を開けたら、お仕置きよ?」とマダムウィッチが大きく目を見開き、口角をぐっと上げてグヘヘと笑った。無瑕はそのいやらしい表情にゾッとして、一歩後退りをした。無瑕は話題を変えようと、浮かんだ疑問を口にした。

「そ、そういえば、さっきの部屋にあった赤いドアは、どこに繋がっているのですか?」

「さぁねー。全部私の魔法だから」とマダムウィッチは目を泳がせた。しかし、本当に魔法のような時間を過ごした無瑕には、冗談だとは思えなかった。だが、上杉はこの世に存在する人だ。呼び寄せの魔法で上杉を呼び出したのなら、日本のどこかで再会できるかもしれないと、無瑕は希望を捨てきれずに口を開いた。

「そういえば、下の名前をお聞きするのを忘れてました。なんて言うんですか?」

「あっ、いい質問ね。上杉さんの下の名前は、無瑕よ」

 無瑕は自分の名前と同じ響きが聞こえ、耳を疑った。

「むかってどういう漢字ですか?」

「あなたと同じ漢字」

 無瑕の脳内ははてなマークで埋め尽くされ、ついに爆発してしまった。

「えっ、あれ私なの!?」と無瑕は自分でも信じられないくらい大きな声を上げた。

「彼女はある世界線の無瑕ちゃん。必ず彼女のようになるかは分からないけど、そうなりたいという気持ちが無瑕ちゃんを成長させて、自分らしく生きられるはず」

 マダムウィッチは、いたずら顔でウィンクした。だが、その瞳は確信に満ちていた。無瑕はだんだんと状況を把握し、上杉は未来の自分だと認識した。無瑕は結局、自分を救えるのは自分しかいないのだと思い知らされた気がした。他人ではないことに少し残念な気持ちもあったが、今後も生きていくことを自分に決意したことは確かだった。無瑕はマダムウィッチの気遣いに、人の優しさを感じて気持ちが華やぐのを感じた。マダムウィッチは腕を組んで、堂々と口を開いた。

「まずは自分で自分を理解すること。それから、出会いを探しなさい。無瑕ちゃんを理解してくれる人は必ずいるからね」

「ありがとうございます、マダムウィッチ先生」

 無瑕はその通りだと、自分の心に寄り添うように手を胸の前で重ねた。

「これが私の役目だって言ったでしょう?」

 マダムウィッチが手を差し出し、無瑕も恥ずかしがりながらもそれに答えて握手した。マダムウィッチをかっこいい女性だと、無瑕は心から思った。二人は受付に移動し、五千円をきっちり払った。こんなに安くて良いのかと感じさせるほどの、素晴らしい体験をした無瑕は、来店した時の葛藤が嘘のように感じた。占いに来てよかったと、自分の取った行動に自信を持てたのは何年ぶりだろうか。

「また来なさいね〜」とマダムウィッチは、潮の流れでくねくねと揺れる海藻のように手を振った。その様子がおかしかったので、無瑕に笑みがこぼれた。そして、感謝の意を込めてマダムウィッチに深く会釈した。無瑕は笑顔で占いの希望館を後にした。


 店を出た無瑕むかは一人、元町·中華街駅に向かって歩き出した。太陽は建物の間に隠れ、来た時の日光に比べれば暑さはましになったようだ。クーラーで冷えた無瑕の体にはちょうどよい気温だった。

 ――こんなにも人がたくさんいるのに、私を理解してくれる人がいないのかな?

 通り過ぎていく女子グループやカップルを横目に、不思議な気持ちになった。色々と体験をしてお腹のすいた無瑕は、美味しそうな匂いと店員の宣伝につられて、三百五十円の北京ダックを購入した。すぐにでも食べたかったが、店の前では邪魔になると思い、店と店の間の路地に移動し、やっとのこと北京ダックを頬張った。小麦粉の皮とアヒルの肉、ソース、きゅうりは噛みちぎれたが、白髪葱が頑固で、北京ダックという集合体から一本抜けた。ソースを筆頭に、味のシンフォニーは完璧だったが、白髪葱だけが取り残されたように口の中に残った。固形のまま飲み込むと、喉に違和感を感じた。

「白髪葱……」と無瑕は呟いた。味は美味しいのに、取り残された白髪葱はまるで自分のようだった。北京ダックを見ると、白髪葱はたくさん残っていた。

「あんまりいないけど、特別じゃない。これだね」

 無瑕は白髪葱じぶんと見つめ合って、仲間だと思った。白髪葱を愛おしく感じ、残りの北京ダックを一口でたいらげた。

「挟まってるな」

 歯の間に挟まった白髪葱が気になりながらも、無瑕は音楽を聞くためにワイヤレスイヤホンを耳につけ、また歩き出した。


 無瑕は元町·中華街駅にある帯の如く長いエスカレーターに乗った。電車の風圧でスカートがなびいた。無瑕はふと、ナイーブとはどういう意味なのかを知りたくなった。どんな悪い意味なのだろうとスマートフォンで検索をかけると、思っていたものとは真反対のものだった。意味は、性格や感じ方、考え方などが生まれつきのままで、すなおなさま。または純真という意味であった。無瑕は先入観で考えていたことを後悔し、自分の本質は良いところもあるのだなとやっと知ることができた。

 無瑕はエスカレーターから降りて、時刻表を見上げた。ちょうど電車は行ってしまったようで、次の電車は四分後だ。無瑕は近くにあったベンチの右端に腰掛けた。冷たい雰囲気のコンクリート壁を見つめながら、今後についておもんみることにした。

 アイドルとして生まれた者は、煢然けいぜんな人生を歩むかもしれない。だが、一人で生きなくても良いのだ。今日一日を通して、自分の気質かたぎは、案外悪くないのだと無瑕は思えた。人の顔色を伺うアイドルな自分も、本質の自分もすべて無瑕だ。それを受け入れられれば、無瑕は最強なのだ。これからどう生きていこうか、自分らしく生きられるだろうかと様々な不安が頭を渦巻く。止まらぬ時間の中で未来の答えが見つかるよう、無瑕はこれからも歩き続ける。未来の自分と約束したことだ。無瑕は自分の心に向かって微笑みかけた。

 ――もう変えられない。私はアイドル。

 先ほどまで流れていた音楽が止み、大好きな洋楽『Could Have Been Me』が流れてきた。この曲が、これからも人生を歩いていく自分の背中を押してくれてる気がした。無瑕は地面にしっかりと足をつけ、力強く立ち上がった。無瑕は歌詞の一つ一つに励まされながら、電車に揺られた。身を任せるのではなく、自らの意志で――




         完

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイドル気質(かたぎ) 三礼采果(さんらい・ことか) @sankonorei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ