第29話 暗殺者と新たな魔王

 大陸の最北端にある大魔王城の謁見の間はワレンチュール王国の王宮とは比べものにならないくらい広くて豪奢だ。

 そんな城の主である大魔王様は黙っていればオーラが半端ではなく、気を抜くと立ったまま気絶してしまいそうになる。


 でも、親バカだ。 


「それで話とはなんだ。リタリエッタの安否よりも優先させることか?」


「現ワレンチュール国王がワレンチュール配属の前魔王との間に、生きている人間を献上するという密約を交わしていたのは事実ですか?」


「いかにも。もう40年以上も続いているワレンチュールの伝統だ」


「なぜそんなことを?」


「魔人はともかく、魔物はやはり生きた肉を食いたくなる。奴らの希望に寄り添わなければ反乱が起こり、ワレンチュールに住む種族は見境なく殺されてしまう。それを阻止する手段、らしいぞ」


 現ワレンチュール国王は、死んだ人間を埋葬や火葬せずに独自の転葬てんそうという方法で弔うべきだと主張し、それが一般的となった。


 しかし、実際は転葬てんそうされた遺体は魔王の元へ送られ、魔物の餌となっている。この事実を知るのは、ほんの一部の人間だけ。


 実際に僕はリタに聞くまで知らなかった。


 更に驚くべきことに生きた人間も魔物の餌にするという密約を交わしているという。

 孤児となった子の大部分がこの密約の被害者だという、イリスからの密告は衝撃的だった。


「リタはそれを拒否しました」


「そうだ。あれの馬鹿な選択が自身の破滅を招いた。前魔王を殺し、己を危険にさらしながらこれまでの常識を壊そうとしたのだ」


「でも、国王が生きているから変えられなかったのですか?」


「いいや、ワレンチュール国王はじきに死ぬ」


 北の大魔王は僕を指さしたまま、にやりと笑った。


「僕? まさか、僕に殺せと言うのですか!?」


「そうなることを想定していたのだろう。ユーキッド・インジャムなら、捕らえられた元恋人を救い出すために邪魔な人間を全員殺す、とな」


「そんなこと」


 できるはずがない、とは言い切れなかった。


 確かに目の前でリタが傷つけられたら、怒り狂うかもしれない。

 自制心があるとはいえ、怒りと憎しみに支配されれば、とんでもないことをしでかすかもしれない。


「あの黒魔導師の人身掌握魔法は優秀だったな」


「……嘘だろ」


 リタとイリスが共犯?

 あの定食屋での出会いが初対面ではなかった?


 以前から協力した上で、僕たちをあざむいて魔王討伐と国王殺害を画策かくさくしていたっていうのか!?


「女とは怖いものだな、ユーキッド」


「あぁ……。まったくです。ちょっとすみっこでゲロ吐いてもいいですか?」


「構わんが。我、もらいゲロするぞ」


 誰がおっさん2人のゲロシーンを見たいんだよ。

 こっちから願い下げだよ。


「なんにしても全てはクシュンが死んだ日から始まっていたわけだ」


「クシュンが死んだ? 彼女はリタが殺したんじゃ」


「いいや。クシュンこそが次期ワレンチュール王国の魔王だったが、奴は怖気づき、自ら命を絶った。親友である我が娘に全てを丸投げしてな」


 そんな……っ。

 僕はとんでもない思い違いをしていたって言うのか!?


 リタは誰も殺めていなかった。

 それなのに、僕は勝手に決めつけて、距離を置いて、自然消滅という一番無責任な方法で交際を終わらせた。


 あんなに大好きだったのに。

 一生をかけても返せないほど世話になったのに。

 僕がこうして生活できているのは、全部リタのおかげなのに。


 彼女を一人ぼっちにしてしまった。


「最低だ、僕」


「そうとも限らん。お前はリタリエッタの願いに応えた。唇と体を重ね続け、影魔法の発動に必須となるダークネス因子を受け取って、適応してみせた。あれは心から喜んでいたぞ」


「なんで……? 影魔法はリタが使った方が有効だったはずだ。僕みたいな凡人が持っていい力じゃない」


「あれは魔人と人間のハーフであることをずっと嘆き、後悔していた。見た目は母親譲りだが、中身は我の血を濃く受け継いでいるからな。少しでも力を弱めたいのだ。少しでも獰猛どうもうな性格を穏やかにしたいのだ。少しでも人間に近づきたいのだ。それを全て叶えてくれるのは、この世でユーキッド・インジャムだけなのだよ」


 それが、僕がリタの恋人に選ばれた理由。


 リタが僕と肌を重ねた後に必ず言う「今日も生きてるわー!」とはそういうことだったのか。


 魔人も魔物も交尾を行わない。

 人間だけの行為だからこそ、リタは時に激しく求めるのだとしたら――。


 僕は取り返しのつかないことをした。


 謝って済む問題じゃないけれど、リタに謝る機会が欲しい。


 そのためには今の僕ではダメだ。


「あと一つだけ、お願い……というか宣言があります」


「聞こう」


「僕がワレンチュール王国の魔王になる」


 僕の本気が伝わったのか、それとも伝わらなかったのか。

 北の大魔王は空気を震えさせながら大笑いし、何度も膝を叩いた。

 その度に地震が起きて立っていられなくなる。


「よくぞ言った!! 以前とは顔つきが違うな、ユーキッド。5年前のあの日、魔王になれと余の誘いを受けて、腰を抜かしていた小僧とは思えぬ覇気よ。気が変わらぬうちに人間のお前はここで死んでもらうぞ」


 大魔王のゴツゴツとした指が僕の胸に突き刺さり、体が焼けるほどの熱を帯びていくのを感じた。


「名も改め、今日からユーキ・ド・ダークネスを名乗れ。我が義息むすこよ」


 僕の胸にはリタの谷間にあったものと同じ魔王の証が浮き出ていた。


「魔王軍統括、ド・ダークネスが命ずる!! ワレンチュール王国の魔王、リタリエッタ・バスター・ド・ダークネスの解任に伴い、新たな魔王として力を尽くせ」


 ビリビリと空気が震え、重圧が重くのしかかる。


 この日、僕は人間でありながら大魔王の軍門に下り、異例の魔王就任を果たした。


「これは命令ではなく、父としての頼みだ。あの子を救い出してくれ」

 

 ここで魔王軍の大ボスが出て行けば、本当に人種族と魔族の戦争が始まってしまう。今はまだ小国の中での小競り合いだが、大国の勇者や魔王まで出てきたら収拾がつかない。


 とんでもない仕事を請け負ってしまったが、後悔はなかった。

 それに大陸最強にして最恐の大魔王に頭を下げられては断れない。


 僕は短く返事をして影の転移魔法を発動させた。


 魔王の証から供給される膨大な魔力に戸惑いつつも、以前より簡単に影魔法を使えることに感激しながらワレンチュール王国へと戻った。

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