夏、狭山

@jinnai_85

第1話

今日はシラフである。なんとなく、日記がてらエッセイを書き始めて3回目の執筆。これらも結局、自分が生きている、生活を紡いでいるということを自覚するためのただ一つの手段であるのかもしれない。今日、仕事の面接に落ちた。自己肯定感が謎に高く、出どころのわからない自信を持っているためなんとなく受かると思ってしまっていた。未来に期待するな、なんていつも思っているけど、結局のところ美味しい思いをしたい人間にとっては期待しないということは無理なのだ。

間近に夢をしっかりと、真っ直ぐ1本の道で追いかけている人がいる。だが、自分がそうであったように、学校というフェンスから解き放たれた時に彼は何を思うのだろう。自分と同じように世の中や将来に絶望するのか、それとも、解放感を覚えるのか。なにがあろうと、未来に絶望する若者を見ることは胸が苦しくなる。基本的に自分の人生についてしか考えていない私にとって、矛盾しているような気もするが、これは本心だ。自分が関わった人たちに、絶望や苦しみを感じて欲しくない。自分自身もこれ以上苦しみたくない。

そうだ、専門学校の先生になりたいと思った時期があった。母校で講師として従事しながら、絶望的な若者たちをすくいあげるというのはどうだろう。良くも悪くもおせっかいであることを最近自覚した私は、向いているような気がする。なぜか、肉親におせっかいをされるのは嫌だが、教師からのおせっかいは特別扱いを感じられて嫌だった記憶はない。

現実的に専門学校の講師になろうとするなら、とにかくデザイン分野の会社に就業し、3〜5年勤続し、さらに平社員よりひとつでも役職が上がっていた方が説得力があるだろう。かなりの長い時間だが


20230826


花火大会。3日前から若干の湿気を心に感じながら。楽しかった。今日は友達の引っ越しの手伝いがあったのにも関わらず、どうしても花火をみにいきたかった。花火にたいして思い入れはないものの、なんだか、行かなければ。という思いに駆られていた。睡眠時間3時間、暑い中の大掃除、それらを済ませてなお、人混みの中にいきたかった。実際人は想像以上に多かった。が、淀川の花火大会ほどではなかったので、ストレスはそう多くはなかったし、大きな稲妻を見れたこともプラスになった。なんとなく目についた屋台に並んで飯を買って食べているとあっという間に花火が始まった。なんか、思ってたのと違う。期待していたはずなのに、なんか違う。あんなに楽しみにしていたものだから、自分自身が花火を好きなものだと勘違いしていた。そういう節がある。自分自身で自分に偏見を持ち、そのまま思い込み勘違いしてしまうところが。他人に対してそうあるのは、よくあるケースだと思う。しかし、自分で自分のことを勘違いしてしまうのだ。 

 これらは、自分の感情や思考にたいしての分析の甘さが表れている気がする。最近始めたこのエッセイ兼日記は、アルコールを摂取せずに自分の思考の真髄まで辿り着く訓練である。4回目の執筆であるため、まだまだ真髄までは辿り着けないし、自分をコントロールできるほどの分析力が身についていないのも当然だ。

 ちなみに花火大会にあんなに心が躍った理由は、去年に引き続き好きな人と花火を見れる、その状況からだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏、狭山 @jinnai_85

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る