持て余す平穏(6)

 ヴィンターフェルトに言われた通りに食堂に行くと、そこにはやはりアルトとレーナがいた。

 緩慢とラジオを聞く二人の目には隈ができていて、やっぱりそっちも寝付けなかったのだろうなとレヴは思う。

 ――リズ。第三独立魔術特科戦隊にとって、ムードメーカー的な少女だった。真面目そうに見えて、けれども案外と適当で。特にレーナとは仲の良かった、かけがえのない仲間で親友の一人。

 ふと、レーナと目が合って、レヴはふっと視線を逸らす。気まずい空気に、何かを言い出せる勇気が湧かなかった。

 二人の席から遠い場所を回って、キッチンでコップに水を入れる。振り返るのに、少し時間がかかった。

 意を決して振り向いた先、そこには黒瑪瑙オニキスの瞳がレヴを見据えていた。沸き立つ激情を何とか抑えているような、黒炎の双眸。

 逃げるように顔を伏せた。ぽつりと、か細い声でレヴは言う。


「……ごめん」


 辛うじて言えたのが、それだけだった。レーナの家族を守れなくて。リズを死なせてしまった。なのに、敵軍の兵士をレヴは連れて帰ったのだ。二人に対しては裏切りでしかない。

 それには応えず、アルトは緩く目を瞑って冷淡に口を開く。


「色々聞きたいことがある。とりあえず、座ってくれ」


 無言で頷いて。レヴはアルトの前面の席へと座り込む。冷え切った空気が、頬を撫でていった。


「……〈白い悪魔ヴァイサートイフェル〉と、お前。いつからそんな関係になったんだ?」


 単刀直入に訊かれた問いに、レヴは暫し口を噤む。

 酷く、喉が渇いていた。恐らく、これを言えばもう二度と元の関係には戻れない。今までのようには振る舞えない。

 けれど。それは絶対に言わなければならない事だ。それがリズを死なせた戦隊長としての責任で、レヴが受け止めるべきとがだから。

 ゆっくりと、ゆっくりとレヴは消え入りそうな声色で告げる。


「…………ルナは、おれが帝国に居た頃の幼馴染なんだ」


 六年前。連邦に移住するまでの間をずっと一緒に居た、幼馴染の少女。


「家族ぐるみで仲が良くて、いつも一緒にいた」


 けど。最後に別れて、次に会った時にはもう敵だった。三ヶ月前。ヴィースハイデ基地で襲撃を受けた時に、レヴとルナは出会ってしまった。再会してしまった。


「だから、本気で戦わなかったと?」

「……」


 レヴは無言の肯定を返す。ずっと、次に会った時には彼女を討つと、心に決めているつもりだった。けれど。実際には、何も決意などできていなかったのだ。

 だから、レヴはあの時ですらも討つのを躊躇ってしまった。剣を振るう手が止まってしまった。

 結果。リズは死んだ。よりにもよって、手を止めたレヴを庇って。


「──ふざけんなッ!?」


 抑え切れぬ激情がアルトの身体を動かせ、爆発的な憎悪のままにレヴへと飛びかかる。がた、と物凄い音がした。

 次の瞬間。アルトはレヴを思い切り床へと叩きつけていた。後頭部と背中が打ち付けられて、その痛みにレヴは刹那目を瞑る。

 が、と胸ぐらを掴まれて、そこで彼の双眸と目が合った。激しい、憤怒と憎悪の黒色がレヴの真紅の瞳を見つめ返す。


「あ、アルト……!?」


 レーナの驚く声が聞こえてくるが、それを振り払うが如くアルトは吼える。


「こいつは俺達よりも昔の幼馴染を優先したんだ! それも、敵軍の!」

「ち、ちが……」

「違わねぇだろ!!」

「……!?」


 有無を言わせぬ、殺意すら感じさせる圧倒的な気迫。

 レヴを烈火のごとく睨み付けて、アルトはその激情を叩き付けてくる。


「なら、なんでリズは死んで、あの白藍種アルブラールの奴が生き残ってんだ!? 必死に助けようとしてたんだ!? 答えてみろ!」

「っ……」


 レヴは無言で奥歯を噛み締める。何も、答えられなかった。

 そう。おれは、リズを見捨ててルナを助けたのだ。

 仲間を――親友を喪い、なのに一緒に居たレヴはよりにもよって敵である白藍種アルブラールの少女を連れ帰った。必死になって助けようとした。

 それは、揺るぎようのない裏切りの事実だ。決して変わらない過失で、二度と消えない過去の出来事。


「……この話は、やめよう」


 悲痛なレーナの声が、二人の耳に重く響く。


「こんなの、誰のためにも……何にもならないよ」


 レーナが言ったきり。食堂内は暗く重たい静寂の時間が訪れる。

 いったい、どれぐらい経ったのだろうか。もしかしたら数秒ぐらいだったのかもしれない。けれど、レヴには永遠にも思える時間だった。

 不意に、アルトは掴んでいた手を離して立ち上がる。見上げた先、彼は既に背を向けていて。表情は見えなかった。


「…………頭、冷やしてくる」


 言い捨てるように呟くと。そのまま、アルトは足早に食堂を去っていった。

 それを、レヴはただ呆然として見送ることしかできなくて。レーナも、


「レヴのした事は理解できる。……けど。ちょっと、今は無理かな」


 とだけ言い置くと、アルトを追いかけるようにして食堂を去っていった。

 自分一人しか居なくなった食堂で、レヴは二人の去った後の扉をぼんやりと見つめる。



 ――ほんとにおれは、いったい何をやってるんだろう……?




 兵舎の屋上。逃げるように登ったそこで、アルトは晴れ渡る蒼穹をぼんやりと眺めていた。

 高空に佇む薄雲と、割れるような青の空。吹き付ける寒風は一月のそれで、体の芯から冷えていくような感覚がアルトを襲う。

 ……だけど。そのお陰で、思考は随分と冷静に戻ってきていた。


「もう。ちゃんとコート着ないと風邪ひくわよ?」

「……悪い」


 追って来たらしいレーナにコートを被せられて、それに腕を通しながらアルトはぼやく。


「あいつのやった事が分からないって訳じゃあねぇんだ」


 もし、自分がレーナと敵対していたのなら、恐らく同じ行動を取っていただろうなとアルトは思う。

 たぶん、アルト自身も心のどこかではレヴと同じ事を思っているのだ。仲間よりも、幼馴染の方が大切だと。

 そしてそう感じてしまう程に、幼馴染という絆は深く、強い。

 いつも一緒だから忘れてしまうが。言葉を交わさずとも通わせられる心があって、一緒に居るだけで安心できる存在というのは、そうそう簡単に作れるような関係ではないのだ。

 アルトとレーナはたまたま幼馴染が同じ紅闇種ルフラールで連邦人だったから、あまり意識しないでいたけれど。少しでもそれらが違えば、二人もレヴとあの少女のような関係になっていたのだろう。

 それも。分かってはいるのだが。


「けど。やっぱり許せない自分もいる」


 相手が誰であろうが、彼女は――〈白い悪魔ヴァイサートイフェル〉はリズを殺した帝国軍人で、白藍種アルブラールだ。

 連邦軍人ならば、討たなければならない、討つべき敵でしかない。

 そしてそんな少女の命を助けようとしたレヴを、アルトはどこか許せないでいる。


「……でも。ただ、あの子を憎むだけじゃ駄目なんだと思う」


 アルトの隣に立って、レーナは硬い声音で呟く。

 レーナの脳裏に甦るのは、いつか言われたリズの言葉。


 ――けれど。憎しみに囚われ過ぎるのは、やめた方がいいわよ?


 ずっと帝国を、白藍種アルブラールを憎んで、復讐を誓って。けれど、敵は同じ紅闇種ルフラールで。自分はどうすべきなのかを悩んでいた時に掛けられた言葉だ。


「ただ、相手が憎いって……討たなきゃならない敵なんだって思考停止するのは、ほんとに」


 相手は討つべき敵だと自分に言い聞かせ続けた結果、レヴは大切な幼馴染までをも敵に回すことになってしまった。それどころか、殺し合うことにまでなってしまった。

 そんな哀しいことが、果たしてあるだろうか。

 

「……それに。一度喪ったものは、もう二度と戻らないから」


 それの大切さに後から気付いても、既に喪ったものは二度と還らない。人は死んでしまったら、決して戻りはしないから。

 そしてそれは、レーナは痛い程に分かっているつもりだ。

 暫し、沈黙の時間が二人の間におりる。遠い戦場の砲聲ほうせいと爆音が、風に乗って二人の耳にも届いてくる。

 相手が憎いと、討つべき敵だと言って殺し合う戦場の音。

 レーナは考える。今、自分がやらなければならないことを。

 自分がやらなければならないのは、レヴを憎むことでも、あの少女を殺すことでもないはずだ。

 だって、それは相手を憎んで思考停止する事だから。

 憎悪に囚われたまま大切なものを喪い、しかもそれに気付けないなんてことは、レーナはしたくない。

 はぁ、と、目を瞑って深い深呼吸をして。レーナはそろそろと振り返る。再び開いた真紅の瞳には、決意の光が宿っていた。

 行ってくる、とだけ言い置いて。レーナはその場を去った。

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