持て余す平穏(5)
翌日。レーナとアルトは、人気のない早朝の食堂で冷めたコーヒーを手にしながら椅子に腰掛けていた。
結局、二人ともあれからは全然寝付けなくて。一時間ほど寝ては目が覚めての繰り返しで、まともな睡眠が摂れなかった。
そこで気分転換にと食堂でラジオを聴いていたら、同じく寝付けなかったらしいアルトが来て。お互い沈黙したままぼんやりとラジオを聴いていたら、いつの間にか朝日が昇ってしまっていた。
黎明の日差しが空を
『昨夜から本日未明にかけて行われました帝国軍の侵略により、ヴォルフハイムや首都近郊都市フォルストリーツほか五つの都市が壊滅状態にあることが確認されております。現在、警察、消防、国軍が一丸となって生存者の捜索を続けてはいますが、少なくともフォルストリーツとヴォルフハイムでは生存者は確認されておりません。繰り返します――』
もう数時間ぐらいはラジオをつけているが、流れてくるのは昨夜に起きた帝国軍の侵攻の報道ばかりだ。繰り返し被災地の惨状を放送しては、新たに入ってきた情報をアナウンサーが読み上げる。その繰り返し。
「もう起きてたのか」
ふと、ヴィンターフェルト大佐の声が聞こえてきて、二人は顔を振り向ける。
「……というよりかは、寝付けなかったの方が正しいかな?」
顔を見るなり、彼は苦笑を浮かべてくる。
コーヒーを片手に近くの席に座ったところで、アルトがおずおずと訊ねた。
「……あの。今、他の戦線ってどうなってるんですか」
あれだけの惨劇があったのだ。指令系統が混乱していないはずがない。そして。その隙を突いて帝国軍が何か動いてくることも想像は容易だ。
暫し、ヴィンターフェルトは押し黙る。一瞬、それを言うべきなのかどうかを思考して。険しい顔で口を開いた。
「あまり
レイン川。帝国と連邦の国境を南北に流れる長大な河川のことだ。開戦時より戦線構築線として重要な役割を果たし、北部戦線では未だにこのラインで戦線は膠着している。
南部戦線では実に半年にも及ぶ攻勢作戦の末、レイン川流域の防衛線を突破。多大な犠牲を払いつつも、帝国領域に深く進出できていたのだが。
それも、たった一日の混乱で全てが無に帰すことになってしまった。
険しい面持ちを崩さぬまま、ヴィンターフェルトは続ける。
「また、今回の件で各地域でもかなりの騒乱が起きているようでもある。何故、あのような惨劇を防げなかったのか。軍は、政府はいったい何をしていたのか――とな」
それも当然の動向だろうな、とアルトは思う。
あともう少しでも撃破が遅ければ、首都が虐殺の炎に焼かれていたのだ。政権や軍に対し批判が巻き起こるのは当然の結果だ。
ふ、と、ヴィンターフェルトは少し哀しげな目をする。
「停戦の声は広まりつつはある。が、それ以上に対ヴァイスラント感情が最悪な情勢を迎えている。このままでは、停戦どころか更に戦争が激化し泥沼化しかねん。……〈スタストール〉の活動の兆候が見られる今、人間同士で争っている場合ではないというのに」
そりきり、食堂内には再びラジオの音だけが響く静寂が訪れる。ふと、時計をちらりと流し見て。大佐はコーヒーをぐいと飲み干した。
席を立ってどこかへ行こうとするのを見て、レーナは咄嗟に引き止める。
「……あ、あの。大佐」
「なんだ。どうかしたか?」
振り返ってくる赤紫の瞳に、レーナは言葉に詰まる。本当にそれを伝えてしまっていいのか、少し迷った。
「あの
「その事は私以外には誰にも話すんじゃないぞ」
言いかけたところで、続く言葉は強い口調で遮られる。
「え?」
思わず見返した先、彼の瞳には義憤の色が灯っていた。
「あの二人の関係については私も概ね把握しているつもりだ。……だが。それが他に漏れれば、今度はヴァイゼ大尉の命を危険に晒すことになる。それを忘れないで欲しい」
†
二〇
結局、二人もあの後はろくに寝付ける訳もなくて。気がつくと、黎明の日差しが窓から射し込んでいた。
これ、とだけ言って手渡されたマグカップを両手で包み込んで、ルナは黒い水面に視線を落としながら呟く。
「…………その。昨日は、色々とすみませんでした」
レヴ達にとって、私は討つべき敵なのに。彼ら連邦軍にとって、帝国軍の私は憎き仇敵でしかないはずなのに。
そんな自分を助けてくれた人に、私は取り乱して。訳も分からぬままにその激情と責任を叩き付けて。あまつさえ殺そうとした。
彼は己のやるべき職務を全うしただけで、そこには何らの罪も、糾弾されるべき謂れもありはしないというのに。
「……謝んなきゃいけないのは、おれの方だよ」
思いも依らない返答が帰ってきて、ルナはえと思わず視線を上げる。
見上げた先、レヴの顔は伏せられていて。表情はよく見えなかった。
「あの機体にステラが乗ってるなんて知らなかった。……いや、そもそも、知ろうともしてなかったんだ」
自分が今、何に刃を向けて、何を討とうとしているのかなど、考えもしなかった。言葉の節々からは、そんな後悔の感情が滲み出ていた。
「…………」
その呟きに、ルナは押し黙るしかなくて。お互い、何を言えばいいのかも分からなくて。それきり二人は口を噤む。時折、コーヒーの啜る音だけが部屋の中には響いていた。
いったいどれくらい経ったのだろうか。ふと、扉の開く音がして、二人は目を向ける。
そこには、連邦軍の制服を着た男の人が来ていた。階級章から見るに……、大佐だろうか?
ちらりとルナを流し見て、その男性はレヴの方へと視線を向ける。ふ、と彼の頬が微かに緩んだ。
「ヴァイゼ。体調はどうだ」
「体調は問題ないです。……ただ、左眼はちゃんと治るかどうかはちょっと怪しいって。先生が」
「……そうか」
左眼の怪我。〈ピースメイカー〉の自爆の余波をもろに受けたらしいそこには、痛々しい包帯が巻かれている。ルナの怪我なんかよりも、何倍も重くて深い傷。
「君は……、何と呼べば良いのかな?」
「え?」
思わずルナは掠れた声を上げる。まさか、話しかけられるとは思ってもみなかった。
「私はこの基地の戦隊指揮官をしているエルヴィン・ヴィンターフェルト。階級は大佐だ。君の氏名と所属を教えて貰いたい」
戸惑いつつも、ルナは答える。
「名前は……ルナ・フォースターです。最終所属は帝国軍の〈ピースメイカー〉隊でした。階級は大尉です」
「フォースター……?」
怪訝な顔をする大佐に、ルナは淡々と言葉を続ける。
「おそらく、大佐殿の知っているフォースターで間違いはないかと。私の両親――バートランドとエルゼは、二人共政治家をしていて、四年前に暗殺されましたので」
収容所での生活で知ったことだが、ルナの両親は最後まで迫害政策に反対していた数少ない政治家だったらしい。連邦が迫害政策を始めた際にも、両親は
どこか神妙さを宿した面持ちで、大佐は呟く。
「開戦を機に噂はぱったり聞かなくなっていたとは思っていたが……。やはりか」
開戦と同時に両親は秘密警察に射殺され、ルナとステラは強制収容所へと送られた。もう、四年も前のことだ。
「……と、少し話が逸れたな。……では、幾つか質問を訊ねたいのだが。宜しいかな?」
「はい。私が開示できる情報ならば、何でも」
ルナはこくりと頷く。
と言っても、所詮ルナは
「貴官の協力に感謝する。……では、まずは今回の連邦首都ベルリーツへの突撃作戦。それの意図がどのようなものであったのかを聞かせて貰いたい」
ルナが頷くのを見て、大佐は続ける。
「現在の連邦の見解では、今回の突撃作戦は南部戦域奪還のための陽動作戦だと推測している。これに相違はないか?」
「……南部戦線の、ですか?」
聞かされていた作戦概要とはまるで違う動向に、ルナは眉を
「……その様子では、君の知っているものとは違ったらしいな」
「え、ええ」
情報の相違に戸惑いつつも、ルナは続ける。
「連邦首都への突撃作戦……こちらでは〈
今の冷静な状態で改めて聞くと、実に粗末な作戦概要だなとルナは思う。
第二
暫しの沈黙ののち、大佐は口を開く。
「君達の突破路からは一個師団どころか、一個大隊すらも進出は確認されていない」
「……そうでしょうね」
ぼんやりとしていた懸念が、今度こそはっきりとした確信に変わる。瞬間。ルナの胸中には自嘲が膨れ上がっていた。
つまり。私達〈ピースメイカー〉隊は、最初からただの捨て駒だったのだ。
戦争を終わらせるどころか、〈ピースメイカー〉が招いたものは更なる戦争の泥沼化だ。思考停止でそれを盲信したばっかりに、罪なき人々は何万人と死に、戦争の終結は遠のき、未来は悲惨なものを描くことになってしまった。
ぎゅ、とマグカップを持つ手に力が込められる。堪えきれない涙の雫が、頬を伝い落ちた。
今の惨状も、妹を喪ったのも、戦争を更なる激化に導いたのも。全部。私のせいだ。
「……今日はここまでにしよう」
大佐の優しい声音に、ルナは心底自分が情けなくなる。私が涙を流す資格など、ありはしないのに。
「……すみません」
「君が謝るような事など何もない。責められるべきはこんな事を始めた私達大人達だ。だから、フォースター大尉。君がその
分からない。私は、貴方達の仲間を、同胞をたくさん殺したのに。なのに、なんでそんな優しい言葉を投げ掛けてくるんだ。
溢れ出る嗚咽を、ルナは何とか押し殺す。彼らの目の前で泣くのは、私が殺した人達への冒涜で、甘えだ。
そして。そんな事は許されるはずがないのだから。
「ヴァイゼ。少しいいか」
ヴィンターフェルトとルナの話を無言で聞いていたレヴは、突然声を掛けられて戸惑いつつも言葉を返す。
「え? あ、はい……?」
目を向けると、ヴィンターフェルトは扉の方で手招きをしていて。レヴは言われるがままに部屋を出る。
廊下へと出て、そこでレヴはヴィンターフェルトから一丁の拳銃を手渡された。
「え……?」
予想外のことにレヴは面食らう。今のレヴは軍規違反による謹慎の身で、上層部による裁定待ちの状態だ。銃器や剣などの武器を持つことは許されていない。……はずなのだが。
真剣な眼差しでレヴを捉えたまま、ヴィンターフェルトは淡々と言う。
「そんな事をする人間はこの基地には居ないと思いたいが。もし、何かあった時には、お前が彼女を守れ」
「……!」
刹那レヴは目を見開いて――再び、拳銃へと目を落とした。
何か苦いものが込み上げてくるのを押し殺して、レヴは低く問う。
「何かあった時にはお前が撃て、ってことじゃないんですか?」
ルナは
だからこそ、それが言葉の通りのことなのか、レヴには確信が持てなかった。
「私は彼女を“守れ”と言ったに過ぎん。それがどんな行動を意味するのかは、お前が自分で考えろ」
「……」
念を押すような口調に、レヴは押し黙る。……この
「……私も、やれる限りのことはするつもりだ」
「え?」
はっとして目を上げた。ヴィンターフェルトは険しい面持ちを崩さぬまま続ける。
「部屋に守衛は付けておく。……ヴァイゼ。お前はまず部隊員達と一度話をするべきだ」
言われて、ふっと視線を逸らした。
アルトとレーナにこの事は話すべきなのだと、分かってはいる。
けれど。それを二人に言う勇気がない。
仲間のリズを見捨てて、
「……大切な友達、なのだろう?」
ピクリと肩を震わせるのを見て、ヴィンターフェルトは優しい声音で告げる。
「ならば、余計な軋轢は早急に解消しておく事だ。……相手が死んでからでは、遅いんだからな」
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