持て余す平穏(4)

 気が付くと、ルナは平原の中に居た。

 空は澄み渡るあお色で、優しく吹く風はほんのり暖かくて心地よい。聞き慣れた戦場の大音響は見る影もなく、耳に届くのは風に揺れる草の葉の音だけだった。

 平穏そのものの光景と風音に、ルナは戸惑う。

 いったい、ここはどこなんだ。

 先程まで、自分は寒い夜の空に居たはずで。吹き付ける白雪のなかで、レヴと対峙していたはずなのに。

 辺りを見回しても、あるのは新緑の草原と、割れるような青色の蒼穹そらだけで。その他には何もない。ただ、平穏そのものだけがその空間を埋め尽くしていた。


「お姉ちゃん」


 突然、聞き慣れた少女の声が聞こえてきて、ルナは咄嗟に視線を前へと向ける。見えた姿に、目を見開いた。

 幼い女の子に特有の、少し舌っ足らずの甘い声。ルナと同じ月白げっぱくの銀髪をワンサイドアップに纏め、あかあおのオッドアイが特徴的な目の前の少女は。


「ステ……ラ……?」


 ぽつりと、その名を呼ぶ声が溢れ出る。

 ステラ。私の全てを賭して守ろうとして、守れなかった。唯一の家族で、最愛の妹の。

 手を伸ばした先、ステラはにこりと無垢な笑顔を向けてくる。


「ありがとう。ずっと守ってくれて」


 その言葉に、ルナは目を伏せる。

 違う。私は貴女を守れなかった。辛い事をさせて、その末に貴女を死なせてしまった。守ると約束したのに。

 そんな事を言われる資格は、私にはない。


「ずっと大好きだよ。お姉ちゃん」

「え……?」


 その言葉に何か違和感を感じて、ルナは伏せていた顔を上げる。すると、そこには背を向けるステラの姿があった。

 ――とても、嫌な予感がした。


「ま、待って……!?」


 ルナはステラを追いかけようと足を踏み出す。しかし、数歩走ったところでそれは叶わないのだと悟った。

 いつの間にか、二人の間には大きな崖ができていたのだ。

 覗き込んで見ても底は圧倒的な暗闇で、見えない。その幅は、絶対に越えられないと直感が告げていた。

 飛び越えれそうで、けれども絶対に届かない。生と死の境界線。

 ステラは立ち止まらない。小さな身体はどんどん視界から遠ざかっていく。光の中に消えていく。 


「ステラ……!?」


 ルナの叫びも、ステラを留まらせるには至らない。

 視界がしろく焼けていく。新緑の草原も、冴えるような蒼色の空も、何もかもが見えなくなっていく。

 意識が急速に遠ざかる、その直前。ルナは嗚咽交じりに叫んだ。




「おいてかないで――――!」


 自分の声で、目が覚めた。

 涙で滲む視界に映るのは新緑の草原でもなければ、冴えるような蒼穹そらでもない。知らない、綺麗な白色の天井だった。

 天を仰ぐ自分の腕には包帯が丁寧に巻かれていて。少なくとも、ここが帝国軍の基地では無い事は明白だ。最後の記憶の状況から考えるに……、ここは連邦軍の収容所といったところだろうか。もっとも、連邦は捕虜を取ったりはしないから、この先に禄なことはないのだろうけれど。

 まぁ。それももう、どうでもいい。

 ステラを守れなかった自分など、生きる価値も意味もないのだから。


「良かった。生きてた……!」


 突然、涙ぐんだ声が聞こえてきて、ルナはふらりと声の元へと視線を向ける。そこには、一人の少年が心配そうにルナのことを見下ろしていた。

 今は左眼を包帯で覆った真紅の双眸に、濡羽ぬれは色の黒髪。少女のような白皙はくせきの肌に、相変わず首に提げられた鍵状の月長石ムーンストーンのペンダント。

 その姿に、ルナは言い様のない激情が込み上げてくる。

 ――レヴ。ルナから大切な妹を奪った、その張本人。


「う……ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 思考よりも先に身体が動いていた。

 彼がステラを殺した。私の唯一の生きる意味だったものを、彼は目の前で奪った。――復讐を。ステラを殺した、その報いを。

 憤怒と悲嘆にき動かされるままに、ルナは彼の首筋へと腕を伸ばす。

 けれど。その激情は身体中に走る激痛によって瞬時に掻き消される。

 傷の開く感覚と共に全身の力が抜けていき、伸ばした腕は彼の首には至らずにそのまま落ちていく。中途半端に起き上がった体はふらりと傾いて、レヴの胸元へと落ちていった。


「ル……ナ……?」


 頭上でレヴが困惑げに呟くのを、ルナはぐちゃぐちゃの感情で聞く。妹の仇すら討てない自分の無力と、憎悪のままに大切な幼馴染を本気で殺そうとした自分。憤怒と悲嘆と、そして憎悪と。その全てがルナの中で滅茶苦茶に混ざり合っていて、何をどう吐露すればいいのかも分からない。 

 嗚咽が漏れ出る口で、ルナはそのどうしようもない感情をそのまま吐き出す。 


「なんで……! なんで貴方がステラを……!?」


 なんで。よりにもよってレヴが。ステラを。

 彼じゃなければ、こんなにも討つのを躊躇いはしなかったのに。気持ちが揺らぐこともなかったのに。なのに。


「は……? ステラ……? 君は何を言って――」


 戸惑いを含んだ彼の声に、ルナはかっとなる。とめどなく流れ落ちる激情を、そのまま叩き付けた。




「あれにはステラが乗ってたのよ!? なのに、なんで……!」

「え……?」


 悲痛に叫ばれた事実に、レヴは呆然とする。

 振り向けられた真朱の瞳には、深い絶望と悲嘆の色が滲んでいた。

 ステラ。ルナと同じ月白げっぱくの銀髪に、赤と青のオッドアイが特徴的な彼女の妹の名だ。レヴの妹とも仲が良くて、いつも一緒に居たから覚えている。

 四年前に両親を喪ったルナにとっては、唯一の家族で。大切な人だったはずなのに。だから。守らなければと思って戦っていたはずなのに。

 なのに。


「おれが……ステラを……?」


 それを。相手は敵だと、殺戮の使徒だと。ただ憎悪と義憤のままに剣を振るって、コクピットに刃を突き立てて。搭乗者の事など考えもしないで〈破壊者ツェアシュテール〉諸共撃破した。

 間違いない。おれが、ステラを殺した。ルナの大切な妹を、家族を。他でもないレヴが殺した。

 胸元で嗚咽を漏らして泣き崩れるルナを、レヴは見つめる。

 おれは。なんて事を。

 また。おれはどうしようもない間違いを。取り返しのつかないことを。

 脳裏に甦るのは、四年前の記憶だ。両親を一瞬にして喪って、苦痛の中のシャロを見捨てて逃げた時の。


 変えられない、二度と取り戻せない過去。どうしようもない事実。

 もう、あんな事は二度と起こしてはならないと思って。大切な人を守る力が欲しいと、今度こそ守ってみせると誓って、軍に入隊したのに。なのに。

 結果が、これか。

 大切な人を守るどころか、傷つけて。あまつさえ彼女が自分の命よりも大事にしていたであろう妹を、レヴが奪った。同じ思いを、よりにもよって大切な人にさせてしまった。

 その事実に気付いて、レヴは茫然となる。

 こんなことのために、おれは戦ってたのか……?

 突然、扉が開かれる音がして、レヴはそちらに目を向ける。

 そこには、涙を湛えながらも据わった紅色あかいろを灯したレーナが立っていた。右手には、一丁の制式拳銃が握られていて。レヴははっとする。


「リズがいないのに……、なんで白藍種アルブラールがこんなところにいるのよ!?」


 憎悪のままにレーナは叫び、拳銃を振り上げる。その銃口がリズに向いているのに気付いて、咄嗟に庇うように席を立った。

 身体の軋むのを押し殺して、レヴは二人の間に割り込む。レーナはひゅ、と息を飲んで――瞬間、瞳孔が見開かれた。


「なんで庇うの!? そいつは街を幾つも焼いて、たくさんの人を殺して、お父さんとお母さんも殺して……、リズも殺した白藍種アルブラールなんだよ!?」


 泣き叫ぶレーナに、レヴは何も言わなかった。言えなかった。

 全部。その通りだから。ルナが守ったステラと――〈破壊者ツェアシュテール〉のために、大勢の民間人が死んだ。ヴォルフハイムに居たレーナの両親も死んだ。――そして。リズが死んだ。


「なのに……、なんでそいつが生きてるのよ!? リズはもういないのに!」


 レヴは苦しげに目を細める。レーナの叫喚と涙に濡れる瞳には、圧倒的なまでの絶望と悲嘆と憎悪が入り交じっていた。


「あ、あの……?」


 ルナがレヴの後ろからその月白げっぱくの髪と真朱の双眸を覗かせるのを、レーナは見る。

 瞬間。レヴは身体が痛むのも忘れてレーナへと駆け出していた。間一髪彼女の腕を取り、全速力で射線をずらす。

 直後。銃声が部屋に鳴り響いた。

 その弾丸はルナの頬を掠め、窓を打ち破って雪の舞う宵闇へと消えていく。


「う……、あぁぁ………………!」


 レーナの身体から力が抜けていく。腕を離すと、彼女はその場にへたりこんだ。

 両親も喪って、親友すらも喪った。そんなレーナに、レヴは何も言い返せない。けれど。


「この子は……、」


 ルナは。この少女は。


「おれの大切な人なんだっ……!」


 呻くように叫んだきり、その場には異様な静寂の時間が訪れる。割れた窓から極寒の空気が入り込み、レヴ達の思考を否応なしに冷却させる。ふと、扉の外に来ていたアルトに気付いて、はっとした。

 今。おれはなにを。


「…………また、来る」


 それだけ言うと、彼は泣き崩れるレーナの手を引いて部屋を去っていく。


「あ、あの。これは……、」


 何か言わなければと思って、レヴはしどろもどろになりながら声を掛ける。振り返る黒色の瞳に、息を呑んだ。

 漆黒の中に燃える憎悪の炎が、レヴの真紅の瞳を見つめ返していた。


「今、お前とまともに話せる自信がない。後にしてくれ」


 言い置いて。彼はレーナと共に部屋を去っていった。 

 それを見送って。レヴはふっと全身から力が抜けるような感覚を覚える。

 リズが死んでみんな悲しいのに。その気持ちを受け入れるのに精一杯なのに。それなのに、おれは。


「…………何やってんだ。おれ」




 アルトに促されるままにレヴ達の部屋を出て、少し歩いた先。レーナはぽつりと呟くように声をらす。


「…………なによ。あれ」


 あの少女の容姿は一度見た事がある。紅闇種ルフラールみたいな真っ赤な瞳に、けれどもやはり白藍種アルブラールだと分かる銀色の髪。

 十二月二十五日。聖誕祭の日。〈聖なる夜ザンクト・ナハト〉作戦の際に共闘した、帝国軍部隊の戦隊長だ。〈白い悪魔ヴァイサートイフェル〉と畏怖される、討伐賞金の掛けられた有名な帝国軍兵士。

 妙に連携が完璧だったから、少し違和感を覚えてはいたけれど。

 まさか、そんな人が大切な人だなんて。

 そんなの。



 私は、どう受け止めれば良いんだろう…………?

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