持て余す平穏(4)
気が付くと、ルナは平原の中に居た。
空は澄み渡る
平穏そのものの光景と風音に、ルナは戸惑う。
いったい、ここはどこなんだ。
先程まで、自分は寒い夜の空に居たはずで。吹き付ける白雪のなかで、レヴと対峙していたはずなのに。
辺りを見回しても、あるのは新緑の草原と、割れるような青色の
「お姉ちゃん」
突然、聞き慣れた少女の声が聞こえてきて、ルナは咄嗟に視線を前へと向ける。見えた姿に、目を見開いた。
幼い女の子に特有の、少し舌っ足らずの甘い声。ルナと同じ
「ステ……ラ……?」
ぽつりと、その名を呼ぶ声が溢れ出る。
ステラ。私の全てを賭して守ろうとして、守れなかった。唯一の家族で、最愛の妹の。
手を伸ばした先、ステラはにこりと無垢な笑顔を向けてくる。
「ありがとう。ずっと守ってくれて」
その言葉に、ルナは目を伏せる。
違う。私は貴女を守れなかった。辛い事をさせて、その末に貴女を死なせてしまった。守ると約束したのに。
そんな事を言われる資格は、私にはない。
「ずっと大好きだよ。お姉ちゃん」
「え……?」
その言葉に何か違和感を感じて、ルナは伏せていた顔を上げる。すると、そこには背を向けるステラの姿があった。
――とても、嫌な予感がした。
「ま、待って……!?」
ルナはステラを追いかけようと足を踏み出す。しかし、数歩走ったところでそれは叶わないのだと悟った。
いつの間にか、二人の間には大きな崖ができていたのだ。
覗き込んで見ても底は圧倒的な暗闇で、見えない。その幅は、絶対に越えられないと直感が告げていた。
飛び越えれそうで、けれども絶対に届かない。生と死の境界線。
ステラは立ち止まらない。小さな身体はどんどん視界から遠ざかっていく。光の中に消えていく。
「ステラ……!?」
ルナの叫びも、ステラを留まらせるには至らない。
視界が
意識が急速に遠ざかる、その直前。ルナは嗚咽交じりに叫んだ。
「おいてかないで――――!」
自分の声で、目が覚めた。
涙で滲む視界に映るのは新緑の草原でもなければ、冴えるような
天を仰ぐ自分の腕には包帯が丁寧に巻かれていて。少なくとも、ここが帝国軍の基地では無い事は明白だ。最後の記憶の状況から考えるに……、ここは連邦軍の収容所といったところだろうか。もっとも、連邦は捕虜を取ったりはしないから、この先に禄なことはないのだろうけれど。
まぁ。それももう、どうでもいい。
ステラを守れなかった自分など、生きる価値も意味もないのだから。
「良かった。生きてた……!」
突然、涙ぐんだ声が聞こえてきて、ルナはふらりと声の元へと視線を向ける。そこには、一人の少年が心配そうにルナのことを見下ろしていた。
今は左眼を包帯で覆った真紅の双眸に、
その姿に、ルナは言い様のない激情が込み上げてくる。
――レヴ。ルナから大切な妹を奪った、その張本人。
「う……ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
思考よりも先に身体が動いていた。
彼がステラを殺した。私の唯一の生きる意味だったものを、彼は目の前で奪った。――復讐を。ステラを殺した、その報いを。
憤怒と悲嘆に
けれど。その激情は身体中に走る激痛によって瞬時に掻き消される。
傷の開く感覚と共に全身の力が抜けていき、伸ばした腕は彼の首には至らずにそのまま落ちていく。中途半端に起き上がった体はふらりと傾いて、レヴの胸元へと落ちていった。
「ル……ナ……?」
頭上でレヴが困惑げに呟くのを、ルナはぐちゃぐちゃの感情で聞く。妹の仇すら討てない自分の無力と、憎悪のままに大切な幼馴染を本気で殺そうとした自分。憤怒と悲嘆と、そして憎悪と。その全てがルナの中で滅茶苦茶に混ざり合っていて、何をどう吐露すればいいのかも分からない。
嗚咽が漏れ出る口で、ルナはそのどうしようもない感情をそのまま吐き出す。
「なんで……! なんで貴方がステラを……!?」
なんで。よりにもよってレヴが。ステラを。
彼じゃなければ、こんなにも討つのを躊躇いはしなかったのに。気持ちが揺らぐこともなかったのに。なのに。
「は……? ステラ……? 君は何を言って――」
戸惑いを含んだ彼の声に、ルナはかっとなる。とめどなく流れ落ちる激情を、そのまま叩き付けた。
「あれにはステラが乗ってたのよ!? なのに、なんで……!」
「え……?」
悲痛に叫ばれた事実に、レヴは呆然とする。
振り向けられた真朱の瞳には、深い絶望と悲嘆の色が滲んでいた。
ステラ。ルナと同じ
四年前に両親を喪ったルナにとっては、唯一の家族で。大切な人だったはずなのに。だから。守らなければと思って戦っていたはずなのに。
なのに。
「おれが……ステラを……?」
それを。相手は敵だと、殺戮の使徒だと。ただ憎悪と義憤のままに剣を振るって、コクピットに刃を突き立てて。搭乗者の事など考えもしないで〈
間違いない。おれが、ステラを殺した。ルナの大切な妹を、家族を。他でもないレヴが殺した。
胸元で嗚咽を漏らして泣き崩れるルナを、レヴは見つめる。
おれは。なんて事を。
また。おれはどうしようもない間違いを。取り返しのつかないことを。
脳裏に甦るのは、四年前の記憶だ。両親を一瞬にして喪って、苦痛の中のシャロを見捨てて逃げた時の。
変えられない、二度と取り戻せない過去。どうしようもない事実。
もう、あんな事は二度と起こしてはならないと思って。大切な人を守る力が欲しいと、今度こそ守ってみせると誓って、軍に入隊したのに。なのに。
結果が、これか。
大切な人を守るどころか、傷つけて。あまつさえ彼女が自分の命よりも大事にしていたであろう妹を、レヴが奪った。同じ思いを、よりにもよって大切な人にさせてしまった。
その事実に気付いて、レヴは茫然となる。
こんなことのために、おれは戦ってたのか……?
突然、扉が開かれる音がして、レヴはそちらに目を向ける。
そこには、涙を湛えながらも据わった
「リズがいないのに……、なんで
憎悪のままにレーナは叫び、拳銃を振り上げる。その銃口がリズに向いているのに気付いて、咄嗟に庇うように席を立った。
身体の軋むのを押し殺して、レヴは二人の間に割り込む。レーナはひゅ、と息を飲んで――瞬間、瞳孔が見開かれた。
「なんで庇うの!? そいつは街を幾つも焼いて、たくさんの人を殺して、お父さんとお母さんも殺して……、リズも殺した
泣き叫ぶレーナに、レヴは何も言わなかった。言えなかった。
全部。その通りだから。ルナが守ったステラと――〈
「なのに……、なんでそいつが生きてるのよ!? リズはもういないのに!」
レヴは苦しげに目を細める。レーナの叫喚と涙に濡れる瞳には、圧倒的なまでの絶望と悲嘆と憎悪が入り交じっていた。
「あ、あの……?」
ルナがレヴの後ろからその
瞬間。レヴは身体が痛むのも忘れてレーナへと駆け出していた。間一髪彼女の腕を取り、全速力で射線をずらす。
直後。銃声が部屋に鳴り響いた。
その弾丸はルナの頬を掠め、窓を打ち破って雪の舞う宵闇へと消えていく。
「う……、あぁぁ………………!」
レーナの身体から力が抜けていく。腕を離すと、彼女はその場にへたりこんだ。
両親も喪って、親友すらも喪った。そんなレーナに、レヴは何も言い返せない。けれど。
「この子は……、」
ルナは。この少女は。
「おれの大切な人なんだっ……!」
呻くように叫んだきり、その場には異様な静寂の時間が訪れる。割れた窓から極寒の空気が入り込み、レヴ達の思考を否応なしに冷却させる。ふと、扉の外に来ていたアルトに気付いて、はっとした。
今。おれはなにを。
「…………また、来る」
それだけ言うと、彼は泣き崩れるレーナの手を引いて部屋を去っていく。
「あ、あの。これは……、」
何か言わなければと思って、レヴはしどろもどろになりながら声を掛ける。振り返る黒色の瞳に、息を呑んだ。
漆黒の中に燃える憎悪の炎が、レヴの真紅の瞳を見つめ返していた。
「今、お前とまともに話せる自信がない。後にしてくれ」
言い置いて。彼はレーナと共に部屋を去っていった。
それを見送って。レヴはふっと全身から力が抜けるような感覚を覚える。
リズが死んでみんな悲しいのに。その気持ちを受け入れるのに精一杯なのに。それなのに、おれは。
「…………何やってんだ。おれ」
アルトに促されるままにレヴ達の部屋を出て、少し歩いた先。レーナはぽつりと呟くように声を
「…………なによ。あれ」
あの少女の容姿は一度見た事がある。
十二月二十五日。聖誕祭の日。〈
妙に連携が完璧だったから、少し違和感を覚えてはいたけれど。
まさか、そんな人が大切な人だなんて。
そんなの。
私は、どう受け止めれば良いんだろう…………?
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