持て余す平穏(7)

 こんこん、と扉をノックする音がして、ルナは反射的に返事を返す。どうぞ、と言うと、入ってきたのは一人の少女だった。

 レヴと同じ濡羽ぬれは色の黒髪に、なにか確固とした意志の灯った真紅の双眸。……たしか、この少女の名は。


「……シュタイナー少尉、でしたっけ」

「……よく覚えてるわね」


 少し意外そうな表情をして、少尉はルナの顔を見つめてくる。――昨日、拳銃を持って部屋に来た時とは随分と違う雰囲気を纏っていた。

 昨夜にみせた圧倒的な殺意は面影すらもなく、彼女が纏うのは可憐な愛嬌と、それとは異なる堅固な決意の佇まい。身構えていたのを少し緩めると、それを感じ取ったらしい。彼女は歯切れの悪い笑顔を向けてきた。


「そんなに警戒しないでよ。ほら、今の私、何も持ってないでしょ?」


 証明するように両手を拡げるのを、ルナは見る。無理に平然を装っているのは明らかだった。

 それきり言葉は途切れて、二人の間には気まずい空気が渦巻く。お互いかける言葉を言いあぐねていると、不意に少尉は笑みを消して、消え入りそうな声で呟いた。


「えっと……、その。ごめんなさい」


 そう言って頭を下げてくるのに、ルナはえと目を見開く。

 何故謝られているのか、咄嗟に理解できなかった。


「昨日は……その。色々あって、感情が抑え切れなくて。それで、あんな事しちゃって。ほんとに、ごめんなさい」 

「そ、そんな。謝らないでください」


 謝罪を紡ぐ少尉に、ルナは慌てて制止の言葉をかける。そろそろと振り上げられた瞳を真摯に見つめて、ルナは続けた。


「貴女には私を討つ権利も、理由もあるんです。謝ることなんて、何一つありませんよ」


 私は帝国軍人で、彼女は連邦軍人だ。それだけで私達には相互に討つ権利を有しているし、理由にもなる。それに。


「……バルツァー少尉と貴女は、仲の良い間柄だったのでしょう?」

「え?」


 驚嘆に少尉の瞳が揺れる。ふ、と、耐え切れず視線を逸らした。


「少しだけの関係ではありましたが。あの僅かな間だけでも、貴女達の仲の良さは伝わって来ていましたから」


 そう。ルナが討ったのは、他でもない彼女の友達だ。それも、一目見ただけでも親友と分かるほどの間柄の。

 込み上げてくるのを何とか押し止めて、ルナはベッドに座ったまま頭を下げる。まだ立ち上がることはできないから、これが今できる最大限の誠意と謝罪の形だった。


「こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした。謝って済む問題ではないことは承知しています。ですが、」




「やめて」


 ばっと視線を向けられて、続くであろう言葉をレーナはあえて突き放すような声色で遮る。


「それ以上は言っちゃ駄目だよ。絶対に」

「……すみません」


 あからさまにしょげ返るのを見て少し心が痛むが、まぁ、仕方ない。

 折角生き延びた命なのだから、それを無下にして欲しくはない。まして、リズの命を奪って得た命なのだから。

 緊張を和らげるように、なるべく穏やかな声音をつくってレーナは言う。


「私は、大尉に恨み辛みを言いに来た訳じゃないの」


 ましてや。彼女を殺すために来た訳でもないのだ。

 今。レーナがここに来たのは、しなければならないことがあるから。そして。それは。と対等ではなければできないことだ。そして。その為には。決して、彼女に後に続く言葉を言わせてはならなかった。

 小さく息を吸って、吐く。再び大尉の瞳を見据えて、レーナは告げた。


「私は。貴女とお話がしたくて来たの」

「お話し…………?」


 首を傾げてくるのを、レーナはうんと言って首肯する。

 話す。簡単そうに見えるけれど、もしかすればこの世で一番難しいかもしれないことだ。

 相手と言葉を交わして、相手を知って、理解する。とても単純で、けれどもとても難しいこと。

 けれど。それを放棄してしまったら、何も変わらないから。知らなければ、何が大切で、守らなければならないのかも分からないから。

 ……それに。レヴが大切な人だと言った目の前の少女を、レーナは知りたいと思った。

 振り上げられた真朱の瞳を見つめながら、レーナはふっと笑みを零して続ける。


「貴女がなんで帝国軍に入って、レヴと戦ってまで帝国軍に居続けたのか。それを、聞かせてほしいの」




 ベッドに座る大尉のそばで、レーナは椅子に座ってその独白に真摯に耳を傾ける。

 彼女の話す帝国での暮らしとこれまでの経緯は、想像を絶するほどに過酷で悲惨なもので。レーナは口を開く気にすらもなれなかった。

 四年前に突如として両親が目の前で射殺され、紅闇種ルフラールだと看做みなされた大尉とその妹は強制収容所へと送られたということ。そして、そこで生きる為には、帝国軍に志願するしか道がなかったということ。

 三ヶ月前のヴィースハイデ基地襲撃作戦で、幼馴染のレヴと六年越しの再会を果たしたということ。

 大尉が帝国軍として戦い続ける限り、妹には安全が約束されていたはずだったということ。けれど。帝国軍はその約束すらも反故にして妹を徴兵したということ。

 ……そして。先の連邦首都侵攻作戦で、大尉の妹は戦死したということ。

 その、全ての話を聞き終えて。レーナは、沸き立つ激情のままに大尉の胸ぐらを思い切り掴んでいた。

 何か込み上げてくるものを感じながら、レーナは叫ぶ。


「姉なら、何をしてでも守るべきでしょう!?」


 たとえ己の命を投げ打ってでも、上層部に逆らってでも。姉ならば、妹は守らなければならない存在のはずだ。

 レーナは守れなかった。四年前のあの時、レーナは無力だったから。けれど。大尉には守る力があったはずなのに。

 くしゃりと顔を歪めて、大尉は呻くように言葉を洩らす。


「私だって、守りたかった……! ステラをあんな作戦に参加させたくなんてなかった!」

「なら、なんで!?」


 が、とレーナは掴んだ腕を上げる。そんな顔をするぐらいなら、最初からあんな兵器に妹を乗せなければ良かったのだ。

 大尉ほどの能力ちからがあれば、そのぐらいはできたはずだ。

 涙を必死に抑えた真朱の双眸が、至近でレーナに向けられる。その光景は少し揺れていた。


聖誕祭クリスマスの作戦から帰ってきた時には、もう全部が遅かったんです!! ステラは既に軍に徴用されてて、もう基地には居なかった! ステラは、あの兵器に乗る以外には選択肢がなかったんです!」

「なっ……!?」


 激情と共に吐き出された事実に、レーナは絶句する。

 ……その選択肢すらも、彼女達にはなかったというのか?


「だから、せめて最後まで守り抜こうと、そう思って私もあの作戦に志願して。……だけど、結局守ることすらもできなくて……!」


 結果。ステラは死に、レヴには生涯消えることのない罪の意識を植え付けてしまった。挙句、よりにもよってルナだけが生き残ってしまったのだ。誰も守れなくて、助けられなくて。たくさんの人を殺しただけの私が。

 そんな大尉の発露に、レーナは何も言えなかった。

 いかなる言葉も、今の彼女には何らの癒しにも慰めにもならない。

 何故、自分だけが生き残ってしまっているのだろうと。何故、まだ生きているのだろうと。そんな絶望が今の彼女の全てなのだと、レーナは直感で分かってしまった。

 そして。その辛さが全て分かるからこそ、レーナは胸に渦巻くそのどうしようもない激情を小さく吐き出す。


「……なによ、それ…………!?」

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