再会の焔(4)

 消灯時間が過ぎてから数時間後。基地周辺が暗闇に包まれ、星空が満天に煌めく頃。

 静寂の中、黒い外套に身を包んだの少女は、耳につけた通信機へと告げる。


「現時刻をもって〈秋桜コスモス〉作戦を発動。各員、攻撃を開始せよ」




  †




 爆発音で、目が覚めた。

 突然の大音響に、レヴはベッドを飛び起きる。


「な、なんだ…………?」


 そこかしこで警報音がけたたましく鳴り響き、耳を劈くような爆発の衝撃で床が揺れる。微かに士官の怒号と銃声が聞こえるのに気づいて、咄嗟に只事ではないことを肌で感じた。


 状況を確認しようと、レヴは壁に駆け寄って照明のスイッチを入れる。しかし、何度入れても電気は一向に付く気配はなかった。


「くそ、何が起こってんだ!?」


 同じく爆声で目を覚ましたらしいアルトが、極力焦燥を抑えた声音で毒突く。振り返ると、彼は寝巻を脱いで軍服へと着替えていた。少し視線を外した先、閉じたカーテンの隙間からは赤い色が見えた気がして。レヴは微かに目を見開く。……あれは。


「レヴ、お前もとりあえず着替えとけ。多分、これは只事じゃねぇぞ」

「……うん」


 こくりと頷いて、レヴもベットの隣に置いてあった軍服を手に取る。手早く寝巻を脱いで、軍服のズボンを穿いて上着を羽織る。軍靴を履いて、最後に机に置いてあった拳銃を手に取った。

 今の連邦は戦時下だ。そのため、何が起こるのかは分からない。有事の時には、自分の身は、自分で守れ。そう教官に言われて、全訓練兵に支給された軍制式のもだ。まさか、使うことになるとは思わなかったが。


 最後に耳に通信機を付けて、レヴはアルトの方へと向き直る。同じように用意を終えた彼は、状況を確認しようとカーテンを開けて外を覗き込んでいた。

 その先、目に飛び込んできた光景に、二人は絶句する。

 窓から見えたのは、暗闇の中に燦然と輝く炎。輸送機が、格納庫が、弾薬庫が。その他の軍の施設の、全てが爆発を起こしては、あかい大きな炎を上げていた。

 空には幾つもの黒煙が上がっていて、星々の煌めきを覆い尽くしている。


「な、なんだよこれ…………!? どうなってんだ…………!?」


 アルトが呻く。いつもの彼の雰囲気からは想像もつかないほどに動揺していた。

 そんな彼を横目に、レヴは静かに奥歯を噛み締める。

 レヴの脳裏によぎるのは、四年前の記憶だ。父さんと母さんと、シャロが目の前で死んだ時の記憶。

 あの時もヴァイスラント軍は――白藍種アルブラールは突然だった。何の予兆もなく、奴らは唐突に現れて、レヴの大切なものを奪い去っていった。

 刹那、レヴの真紅の瞳が、きっと細められる。

 ――今度こそ、誰も絶対に奪わせやしない!

 

「とにかくここを出よう。ずっとここに居ても、いつか他と同じ様に焼かれるだけだ」


 原因が何なのかはまだはっきりしないが、武器弾薬庫を破壊した今、次の破壊対象は此処だろう。留まっていては、何もできずに焼かれるだけだ。


「あ、ああ…………!」


 何とか動揺から立ち直ったアルトを先導して、レヴは部屋の外へと出る。すると、そこはもう恐慌状態だった。

 兵舎を出ようとする訓練兵達は、誰も彼もが突然の死の恐怖に駆られていて。三階から降りてきた女子兵と、二階の男子兵達は、階段付近で先に降りようと互いに押し合っていた。至るところで叫喚の声が上がり、爆発の度にその度合いは増していく。

 完全に平静を失っている状態だった。あれでは、助かるものも助からない。

 ふと、開いていた隣の部屋を覗くと、そこには頭を貫かれて息絶えている二人の死体があった。


「…………、狙撃兵……!?」


 そこでレヴは驚嘆と共に確信する。これは事故でも、ましてや国内の人々が行ったテロでもない。ヴァイスラント帝国の――白藍種アルブラールの仕業だと。

 きっと真紅の双眸が強く細められる。激しい怒りと憎悪のこもった、紅の瞳が。


「何やってんだバカ……!」


 アルトは苛立ちもあらわに吐き捨てる。その黒い瞳には、敵に対する憎悪と、同期の仲間でごった返す階段を映し出していた。


「俺は階段の誘導をしてくる。レヴ、お前は窓から――」 


 言いかけて。

 その声を、大音響が遮った。

 視界が赤く、次第に白く明滅し、二人は咄嗟に身をかがめて目を瞑る。至近で、腹の底に響くような大音響が轟いていた。

 その音と光が止んだのを感じて、二人は恐る恐る目を見開く。



 ――そこは地獄だった。



「なっ…………!?」


 二人の視界に現れたのは、砲撃が直撃した痕だった。そこにあったはずの階段は跡形もなく吹き飛び、飛散した瓦礫がれき屍体したいの鮮血が混ざって周辺を凄惨に彩っている。篝火かがりびのように揺れる炎が、そこにごった返していたはずの仲間達を照らし上げていた。

 砲撃の残火ざんかに照らし出された誰かの腕が、赤い鮮血と共に無惨に転がっている。

 その様相に、二人は目を見開いてただただ絶句する。

 今。目の前で。仲間だった数十人が一瞬にして死んだ。たった一発の砲弾で。

 静まり返った兵舎の中で、聞き慣れた少女の悲痛な叫び声が耳に飛び込んでくる。


「レヴ! アルト! ――誰か……!?」


 その声に、二人は現実へと引き戻される。声のした方へと視線を向けるが、そこに居るであろう人物の顔は天井に阻まれていて見えなかった。

 代わりに、隣にいたアルトが驚愕の声を上げる。


「……レーナか!?」

「……! アルト! あんた、まだ…………!?」


 今にも泣きそうな声で、レーナは叫ぶ。


「ああ、俺とレヴは無事だ! そっちは!?」


 再び問うた声は、別の少女の声で返ってきた。


「私とレーナは部屋に居たから無事だったわ。……でも、他は」

「その声……、リズか!」

「ええ。そっちも無事で何よりよ」


 暗闇の中で、リズが安堵に微笑むのが見えた気がした。とりあえず二人の無事を確認できて、レヴは微かに顔を綻ばせる。

 二人は三階から飛び降りて来ると、非常用の懐中電灯を付けて互いの顔を確認し合う。 


「……二人とも怪我はなさそうね」

「ああ。俺達も階段からは遠かったから、なんとかな」


 確認が終わるやいなや、ずっとリズに引っ付いていたレーナは、アルトへと向かって走っていく。


「あ、あると…………!」


 今にも泣きそうな声音で、レーナはアルトに抱き着いた。いくら軍人とはいえ、まだ十六歳の女の子だ。目の前で大勢の友人が死んだのだから、無理もないだろうなとレヴは思う。

 そんなレーナを宥めるアルトを横目に、レヴは努めて冷静な声音で口を開く。


「まずはここを出よう。でないと、次はおれたちだ」 

「ええ」


 真剣な表情でリズがこくりと頷く。


「アルトもレーナも、それでいいな?」


 言って、レヴは隣へと視線を向ける。


「ああ」「……うん」


 二人が頷くのを確認してから、レヴは先導するように一階へと飛び降りる。食堂だったそこは、手榴弾でも投げ入れられたらしい。爆発の跡に残る木製の椅子や机は、どれも黒いすすだらけだった。

 懐中電灯で周囲を照らして見て、その中に赤い色があることにレヴは気付く。恐る恐る近づいてみると、そこには見知った士官の息絶えた姿があった。頭部を銃弾で正確に撃ち貫かれていて、見るからに即死だ。


「くそ……、こんな…………!」


 少女のような顔を苦痛に歪ませて、レヴは呻く。

 こんな、無惨に死んでいい様な人ではなかったはずなのに。

 背後で続々と人が降りてくる音を聞いて、レヴは深く息を吐いて振り返る。さっきからどこを歩いていても、むせ返るような血と硝煙の臭いが離れない。

 最後にレーナが降りて来たところで、通信機から聞き慣れた男性の声が届いた。


『新兵諸君! 聞こえるか!?』


 その声に、一同は驚愕に目を剥く。歳相応に低くて、けれどもよく通る声。そんな声の持ち主は、この基地にはただ一人しかいない。


「……ッ! 教官!?」


 それは教官――もとい、ヴィンターフェルト大佐の声だ。

 彼は驚愕と安堵を端々に滲ませながらも言葉を紡ぐ。


『その声は……レーナ・シュタイナーか! 少尉、他に誰か生き残りは!?』

「えっと、そ、それは……!」


 これまでの緊張と教官の声による安堵で、上手く話せないらしい。見兼ねたレヴが、三人の下へと歩み寄りながら言葉の後を続けた。


「他はおれ……、レヴァルト・ヴァイゼと、アルト・フォン・クライスト。それと、リズ・リッター・バルツァーがレーナと一緒です。けど、他は……」


 言葉に詰まるレヴに、ヴィンターフェルトは即座に察して苦々しい口調で呟く。


『全滅……、か』


 その言葉に、レヴは静かに下唇を噛み締める。、守れなかった。

 しかし、今はそんな自己嫌悪に陥っている余裕はない。己の感情を努めて抑えて、レヴは冷静に口を開く。


「……確証はありませんが。少なくとも、さっきまでここに居た奴らは全滅です」

『了解した。……では、君らだけでも今から指示する場所へ来てくれ』


 四人は暫し目を見合わせて。無言の了解をもらって、レヴは代表して言葉を返す。


「了解しました。それで、おれたちはどこに行けばいいんですか?」

『司令部近くの滑走路だ。そこに予備の兵装と残存兵力は集結させてある。現在設置している臨時の司令部もそこだ。……厳しい指示なのは承知している。しかし、今の君達にはそれしか生き残る活路はない』


 ヴィンターフェルトは有無を言わさぬ決然とした声音で言い切る。 


『何か不明な点などがなければ、これで通信は終了とする』 


 その言葉を最後に、一同の間には暫し無言の時間が訪れる。質問が無いと判断したヴィンターフェルトが通信を切断しようとしたところで、レーナが消え入るような声音で呟いた。


「…………あ、あの」

『なんだ、シュタイナー少尉』

「こ、これ、いったい何が起きてるんですか……?」


 小さな希望に縋るようなレーナの声に、レヴは苦渋に目を細めて暗い表情をつくる。四年前、家族を失ったあの時も、レヴはレーナと同じような質問をしたのだ。

 何が起きたのか分からなかったから。理解できなかったから。目の前で起きた現実を、許容したくなかったから。

 ヴィンターフェルトは、努めて冷徹な声音で現況を告げる。


『君らの想像通り、ヴァイスラント軍の襲撃だ。……恐らく、秘匿していた情報がどこからか漏れたのだろう』

「秘匿…………?」


 含みのある発言に、リズが思わず声を漏らす。それを振り切るように、ヴィンターフェルトは最後の言葉を纏め上げた。


『詳しい話はこの後、君達にはしっかりと話そう。……とにかく、今は生き延びる事だけを考えろ』


 了解、と四人は口を揃えて返答する。


『では、幸運を祈る』


 そう言い置いて。ヴィンターフェルトとの通信は途切れた。

 銃声のこだまする夜闇の中で、四人は暫し呆然と立ち尽くす。

 沈黙を破ったのは、砲撃によって崩れ落ちる兵舎の轟音だ。レーナが怯えるようにアルトへと抱き着き、それをアルトは抱き留める。音のした方へを見つめながら、リズは冷然と呟いた。


「そろそろ、ここもちるわね」


 その言葉に、レヴとアルトは無言で頷く。ちらりと割れた窓へと視線を向けて、レヴは拳銃を腰から取り出しながら三人に告げる。


「行こう。もう、時間がない」

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