再会の焔(3)

 夕食と入浴が終わると、そのあとの時間は消灯時間までは基本的に自由だ。毎日厳しい教練をした後に訪れる、つかの間の休息時間。

 基地内であればどこで何をしようが自由ではあるのだが、訓練兵の殆どは食堂に留まったままだ。各自の集団で集まっては、談笑やトランプなど、思い思いのことをして楽しんでいる。 

 食堂は宿舎と違い、男女が分けられていないから、というのもあるのだろうが。それを差し引いても、ここは居心地が良いのだろうなとレヴは思う。

 同じこころざしを持った者同士、出身地や性別を越えて気楽に話せるというのは、中々ない場所だから。 


 そんな彼らをぼんやりと眺めながら、レヴは食堂の隅でコーヒーを啜る。本物のコーヒー豆は輸入できなくなって久しい上に、連邦内では栽培が不可能だ。そのため、このコーヒーは代替の団栗どんぐりでつくられている。とはいえ、レヴ達の世代ではこれが主な流通品なので、特に違和感などは感じないが。(父がこれを飲む度に何か違うとボヤいていたのを覚えている。)

 開けた窓から心地の良い夜風が吹き込んできて、レヴはふっと視線を窓外へと向ける。


 そこに見えるのは、夜空に煌めく満天の星空だ。

 ヴィースハイデ基地は、都市部からはかなり離れた場所に位置している。そのため、星の光を阻害するものはこの基地以外に何もない。

 その基地ですらも、消灯時間になると全ての照明が落とされるのだ。ここは前線基地ではないから、見張りの為に照明を点けておく必要もないのだと以前教官が言っていた。

 そんなことをぼんやりと思い出しながら、星空を眺めていた――その時だった。


「よ、レヴ」


 唐突に声を掛けられて、レヴは現実へと引き戻される。声の居る方へと視線を向けると、そこに居たのはやはりアルトだった。

 いつものように剽軽ひょうきんな雰囲気を纏わせながら、彼は対岸の席へと座る。


「相変わらず一人なんだな、お前」

「……うるさいな。別にいいだろ」


 ぷい、と顔を背けるレヴに、アルトは肩を竦めて苦笑する。他人との関わりを拒絶しようとするのは、相変わらずだ。


「いいか悪いかは置いといてだな。多少、交流はしとかねぇと。この先、辛いぞ?」

「…………」


 飄々さの中に心配の感情があるのを感じ取って、レヴは暫し押し黙る。

 軍隊というのは、規模が違うこそすれ、基本的に同じ部隊の人間との連携は必要不可欠だ。そのため、いくら他人との交流を拒もうが、最低限の関係をつくれる能力は持っておく必要がある。現代の戦争は、たった一人の活躍で戦局が変わったりはしないのだから。


「……アルトには関係ないだろ」


 ようやく絞り出せた言葉は、そんな言葉だった。痛いところを突かれて、苦し紛れに繰り出したような。そんな感じの。

 アルトが苦笑するのを横目に見つつ、レヴは逃げるようにコーヒーを啜る。ふと、周りの人達を見渡すと、教官が大量の書類を手にして食堂へと入ってくるのが見えた。

 偶然近くにいた訓練兵が敬礼するのに返礼して、彼はそのよく通る低い声を張り上げる。


「新兵諸君! 只今より、今期分の演習結果の発表を行う!」


 教官の言葉に、食堂内は刹那の間静寂に包まれる。が、直後には、結果について話す声がそこかしこで上がり、食堂内は瞬く間に騒然となった。

 そんな彼らを見ながら、レヴは残っていたコーヒーをぐいと飲み干す。ほろ苦い液体が、一気に胃へと流れ落ちていく。空になったマグカップを持って、レヴは静かに席を立った。

 教官のよく通る声が、騒々しい食堂内に響き渡る。


「まずは上位十名から発表を行う! 第十位――」


 成績上位陣の発表が始まったのを聞き流しながら、レヴは歩いた先の返却口へとマグカップを返す。ついてきていたアルトが、賞賛と呆れが等分に入り交じった声音で訊ねてきた。


「もう一位は決まってるって感じだな? レヴ」 

「決まってるもなにも、そうじゃないと駄目なんだ。……ぜったいに」


 静かに呟いて。レヴの真紅の双眸がきっと細められる。後悔と自責の念に駆られた、燃えるような赤の瞳。

 どこか危うさを感じるその色に、アルトは反応に戸惑う。

 二人の静寂を打ち破ったのは、教官の声だ。


「第三位、アルト・フォン・クライスト!」


 その声に、アルトははっとする。 成績発表はあくまでイベントであり、その本質は演習の勝敗と分析の結果報告だ。つまり、この時間の意義は教官が持ってきた書類を貰うことにある。


「じゃ、お先に」


 いつもの飄々とした口調で言い置いて。彼は教官の方へと歩いていく。周囲の女子達が黄色い歓声を上げているのを聴きながら、アルトの背中を見つめた。

 つくづく、女子人気が高いやつだ。

 次が呼ばれる前に、レヴは人混みを縫って教官の方へと歩いていく。第二位は、予想した通りやはりレーナだった。

 彼女の演習戦績はここの女性兵の中ではぶっちぎりで優秀で、その上射撃精度もヴィースハイデ基地の中では間違いなく最上位だ。当然の結果だろう。

 そして。第一位が呼ばれる前に、レヴは教官の前へと辿り着く。こちらに気付いたらしい教官が、苦笑したように笑った。


「第一位は今回もお前だ、ヴァイゼ」 

「……ありがとう、ございます」


 書類を受け取るやいなや、レヴは礼を言って踵を返す。こういう場所は苦手だから、一秒でも早く立ち去りたかった。 


「またアンタが一位なの!?」 


 背後から聞き慣れた少女の声が飛んできて、レヴは立ち止まる。


「……そうだけど」


 振り返ると、やはりレーナだ。しゃー、と見えない猫耳を反らして、彼女は詰め寄ってくる。


「なんでこいつがまた一位なんですか、ヴィンターフェルト大佐!」


 なんだか酷い言われ様だなぁと感じながらも、レヴは無言を貫く。こういう時は、下手に何か言わない方が得策だと、これまでの経験が告げていた。 


「まぁ、とりあえず落ち着け、シュタイナー少尉」


 教官――もといヴィンターフェルト大佐は、宥めるような声音でレーナへと言葉を返す。


「確かに、ヴァイゼ少尉の射撃成績はこの基地内でもぶっちぎりの最下位だし、空中戦時に発動する魔力翼フォースアヴィスの制御もまるでできていない。その証拠に、ヴァイゼの魔力翼フォースアヴィスは光を放出してしまっているしな」


 ――魔力翼フォースアヴィス。詠唱によって風に似た推力を発生させることで、術者に空中戦の能力を付与する魔術だ。

 魔術は、術式の詠唱によってヒトの脳の最深層の更に奥、集合無意識に干渉することによって起動し、発現する。

 人類共通の深層意識を通じて世界のことわりを歪め、本来の世界構造ならば有り得ない事象を引き起こしているのだ。

 そしてそれを実行できるのは、現代では未成年の少年少女達だけだ。


「だったら、なんで――!?」 


 なおも喚き立てるレーナに、ヴィンターフェルトは困ったように苦い笑みを浮かべる。


「だが、ヴァイゼはそれらの欠点を補って余りあるほどの戦闘結果を出している。事実、君もヴァイゼには一度足りとも勝てていないだろう?」

「っ…………! そ、それは…………、…………はい」


 その場で俯いて、レーナはいつになくか細い声で呟く。事実、レヴはここに来てから演習では一度も負けたことがないのだ。あくまで一対一の“演習結果”の成績なのだから、勝てていれば成績は上がる。例え、それがセオリーに真っ向から歯向かうような接近戦であったとしてもだ。

 露骨に消沈しているレーナを見て、レヴは覚束ない仕草で声を掛ける。


「あ……、……えと。……大丈夫?」

「は!?」


 すごい剣幕で睨まれた。と思った途端にしおらしくなってしまって、レヴは戸惑う。言葉に困っていると、レーナは食堂を飛び出して行ってしまった。


「え?」


 意図が全く理解できないレヴは、咄嗟に目の合ったアルトに助けを求めようとして――


「今のは流石にねぇぞ、お前」


 ばっさり切り捨てられた。


「今のは流石にないんじゃないかなぁ?」


 リズもそう言い置いて、レーナの後を追いかけていった。


「……まぁ。お前はその不器用さを、もう少しどうにかした方がいいな」


 とどめにヴィンターフェルトに直々に言葉を刺されて、レヴはその場に立ち尽くすのだった。

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