第17話 観戦席にて

 最大1万人の観客席を擁する巨大競技場。

 照明を落とした中空には、電脳世界でバトルロワイアルを繰り広げる予選出場者たちの雄姿がホログラムとして投影されている。

 八つのブロックで同時進行する数多の戦いの中から、リアルタイムでAIが見どころを選出し、メインとなる映像を順次切り替える。国民的司会者の熱い実況、大人数で観戦することによる一体感、尽きることのない興奮が大きなうねりとなって客席を包み込んでいた。


 一方で、ハイロースタジアムには個室席も多数用意されている。

 人混みを避けたいとか、映像を切り替えないで特定ブロック、特定個人の戦いを追いかけたいというニーズに応えたもので、ランだけに注目するつもりだったメグリもまた個室から観戦する一人だった。

 ちなみに彼女の買ったのは、高級ソファに大型三面モニター、温冷自在のドリンクバーに、限定グッズのお土産までついたVIP席である。


「……よし、まずは最初を生き延びたわね」


 ランが入り組んだ地形に逃げ込んで【隠密ステルス】を使用したあたりで、メグリはひとまず胸を撫で下ろすとソファにもたれかかった。

 初動こそ鈍かったものの、一番無防備となりやすい開始当初の時間を無傷で済ますことができたのは僥倖だ。スラムで鍛えられた逃げ足と、幸運に恵まれたおかげである。現実の肉体とは微妙に感覚の異なる電脳空間の仮想ボディには、まだ不慣れだろうに上手く動けているし、少なからず才能があるのかもしれない。


「けっこう無茶ブリしちゃったかと思ってたんだけど、これなら心配なさそうだわ」


 ニコニコと、グラスを取って一口。

 ソフトドリンクで唇を湿らせていたら、モニターの隅っこに通知がポップした。何事か、と開いてみると、面会を求めるメッセージである。相手を確かめて、メグリはわずかに顔をしかめた後、入室を許可した。


「ご無沙汰しておりますッ、“火天のウリエル”サマ。先月のオープニングセレモニー以来でございますが、その後はお変わりありませんでしょうかッ」

「ごきげんよう、ヘイエさん。……おひとりですか?」


 直接エレベーターに通じているドアが開き、揉み手をしながら入ってきたのは細目細眉の痩せた男、ゲン・ヘイエである。

 単身で現れた大企業オーネ社のCEOに、メグリは笑みを返しながらも首を傾げた。


「男性と二人きりになるのは、ちょっと……」

「ハッハッハッ! ご心配は無用ッ。ハイロースタジアムの秩序は我がオーネ社の最先端テクノロジーにより、完璧に管理されておりますのでッ。お客サマの安全はもとよりッ、プライバシー保護にも抜かりはありませんッ」


 ……そういうことを言っているのではない。

 ジトと睨みつけるメグリの圧も、ゲンは柳に風とばかりに腰を低くしたまま、ソファの横に立ってモニターを覗き込んだ。

 指名追跡モードに設定している映像では、ランが身を隠しながら窓の外をうかがっている様子が映し出されている。


「なるほどなるほど、こちらの少年ですかッ。“ウリエル”サマのお連れになったファイターというのはッ」

「……ええ、ランくんです。耳が早いですね」

「“ウリエル”サマが正体不明の新人をお世話なさるなど、初めてのできごとですからなッ。SNSでも大騒ぎになっておりましたよッ。『あの男の子は何者だ?』『“ウリエル”の弟子か?』『ひょっとして息子かも』などなどッ」

「息子って……わたし、まだ二十歳ですよ?」


 あんまりと言えばあんまりな憶測に、メグリは失笑した。

 犯罪者呼ばわりされるよりはマシだが、それにしたって母子には見えないだろうに。


「さすがにお子様というのは荒唐無稽がすぎますがッ、実際のところ何者なのか、ワタクシも気になりますなッ。お訊きしてもよろしいですかッ?」

「ちょっと事情があって、うちで面倒を見ることになった子ですよ。モルファイトに憧れていたみたいなんで、デバイスを買ってあげたんです」

「それは結構なことでッ」


 ほとんど詳細をボカして答えると、ゲンが追従するように愛想笑いを浮かべた。細く伸びた糸目には探るような光が垣間見えたが、それ以上深入りしてくることはなかい。

 辣腕経営者と名高いゲンは引き際を心得ていて、話題を変えるようにモニターを示した。

 ランは相変わらず、建物の中から一歩も動こうとしていない。


「ところで、ラン選手は予選を勝ち抜けそうですかなッ? 拝見したところ、非常に消極的ですが。しかもオプションデッキに武器系を一つも入れていない」

「そうですね。逃げに徹している分、生存率は高いはずです。……でも、確かに難しいかもしれませんね。キル数を稼げないから、タイムオーバーになると切り捨てられちゃいますし」


 メグリの回答は一般論だったが、正直な感想でもあった。

 ただ隠れているだけで突破できるほど、オネイロ・スターダム杯は甘い大会ではない。かといって攻めに転じたところで、ランに勝機はなかった。モルファイトはもちろん現実でも、戦闘経験がまるで足りないのだ。なす術なく喰われるのがわかっているなら、まだ「逃げの一手」に賭けた方が可能性はあるはずだった。


 負けないよう最善は尽くしたが、勝ち目は薄い。それが客観的なランの評価である。


「そんな子どもを大会に放り込むとは、なかなかスパルタですなッ」

「『当たって砕けろ』がヒツルギ家の家訓ですから。負けても失うものはないどころか、ランくんにとってはプラスになるはず。だったら、挑戦させない手はないでしょう?」


 晴れた秋空のように曇りなく、胸を張って言い放つメグリに、ゲンは感服したとばかりに頭を下げて退室した。

 足音が遠ざかっていき、ドアが開閉。エレベーターの駆動音がして、すぐに聞こえなくなる。

 気配が消えたのを確かめてから、メグリはドアの方を見遣った。


「……ま、本音はそこじゃないんだけどね」


 ベッ、と舌を出す。

 ゲンの話を聞いて、ランを大会に出場させた真の目的については達成しているのだと確信することができた。悪いとは思いながらも、強引なやり方で引っ張ってきた価値はあったようだ。


「すでに収穫はあった。ここから先はボーナスタイムみたいなものだけど……さて、ランくん。きみはどこまで積み上げられるかしら?」


 冗談半分、期待半分。メグリは芝居がかった所作でグラスを回し、画面の向こうにいる少年に語り掛ける。

 順当に大した活躍もないまま散ってしまうのか、それとも若き命を煌めかせて万に一つの可能性を掴んでみせるのか。

 果たして数秒後、ランを取り巻く戦況は激変を迎えることとなる。

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