第3話 失くしもの

 スラム街は無法地帯と思われがちだが、住人たちは案外規則的な生活を送っている。

 ランであれば夜明け前に起床。酔いどれ親父やケバケバしく着飾った女などが寝床に帰ってくるのと入れ違いに街へと繰り出すと、ゴミ山の広場に新たな漂着物が来ていないか見に行ったり、道端に落ちている空き缶や酒瓶なんかを集めたりした稼ぎで食べ物を買う。

 ここで大事なのは、拾う物を最小限に抑えることだ。

 ゴミ漁りを生きる糧とする子どもは大勢いて、自分の生活費以上を稼ごうとすれば、他の誰かが食いっぱぐれることになる。だから、みんな平等にほどほどの稼ぎで我慢するように。

 ナメレス統治の下で定められたこのルールはスラムに徹底されており、違反する者には厳しい制裁が科せられることになっていた。


   *


「なあ、兄貴のこと知らないか? 誰か教えてくれよ!」


 この日、ランがいつものジャンク屋にゴミを売っていると、外の通りで泣きべそかいた子どもが訊ねて回っているのが目に入った。知った顔だ。名前はスピカ。頬にソバカスが浮いていて、ランより頭半分だけ背が高い。


「なあってば! マウスの兄貴がどこにいるか、知ってるやつはいねえか? 昨日から寝床に帰ってきてないんだよ!」


 スピカの兄貴分にあたる浮浪児とも、ランは面識があった。血気盛んな少年で、スラム暮らしを良しとせず表の社会に出ていくという夢をはばかることなく公言しており、一部からは煙たがられていたものの、ラン個人としては好感を持っていたものだ。

 名前こそマウスねずみだが、喧嘩っ早くて何かと目立つ彼が影も形もないというのは、確かに異常事態と言える。


「あいつも、人攫いにつれてかれたんじゃないか?」

「さいきん増えてるもんな」

「それとも警務隊に捕まったとか」


 ジャンク屋の入り口辺りで、うすら笑いを浮かべた浮浪児が遠巻きにスピカを眺めていた。


「あいつムカつくんだよな。おれらのことバカにしてる感じがして」

「ひとりだけカネを貯めこんでて、ナメレスさんの手下にしょっちゅう殴られてたっけ。ふんっ、何が『これは独立資金だ!』だよ」

「あんな、人攫いに狙われるのも当然さ」


 聞いていられなくて、ランは店の奥へと退避した。


「……関係ない。関係ない……けど…………」


 スピカともマウスとも、格別に親しかったわけではない。だから一緒に行方を探す筋合いもなければ、陰口に食ってかかる義理もないのだが……モヤモヤしたものが重く心にのしかかってくる。


「出ていくんだ……こんなところ……!」


 小銭を砕けんばかりに握りしめ、ランは決意に瞳を燃やした。

 ゴミ漁りの子どもがスラムを抜け出すなんてことが、夢見がちすぎる考えだということはランにもわかっている。スラム街とは、入るのは簡単でも出ていくのは極めて難しい、アリ地獄のような場所なのだ。住人がいなくなることがあるとしたら、命を落とすかマウスのように突如として行方不明になるかのどちらかで、大手を振って出ていける人間なんて聞いたこととない。


 例外は、ただ一人。


 盗みに失敗して警務隊に捕まりながら、モルファイトの大会に優勝したことで恩赦を受け、今や四大天使”ラファエル”なんて仰々しい二つ名でもてはやされるまでになった女性がいる。

 モルファイトなら、あるいはチャンスがあるのではないか。それが現状、ランが思いつく限り唯一の希望であった。


「……とは言っても、な」


 ランが足を止めたのはジャンク屋の最奥。店でも特に高価な、精密機械が陳列されているエリアだ。

 ガラスケースに入れられたタブレット端末や電脳ゴーグル(ギャング仕様)に並んで、首輪型の装置が格別の厳重さで保管されている。


 モルフィングデバイス。


 自分の肉体をエネルギー体に変換するためのアイテムだ。モルファイトは電脳世界に入り込んで戦うスポーツであり、参加するにはこれがないと始まらないが、当然のことながらランが買えるような物ではない。以前にナメレス配下のギャングが購入しているのを見かけた時には、紙幣を何枚も払っていた。朝のゴミ漁りで手に入れたのは数枚の小銭だけで、機器を買うためには何日分の稼ぎが要るのかわかったものではなかった。おそらく、秘蔵の小型レコーダーを質に入れてもまだ届かないだろう。


「できるなら、これは売らずにおきたい……ん……だ、けど…………?」


 悩ましげに隠しポケットのあたりを撫でていた手が、不意に凍り付いた。


「……ない!?」


 布地の裏に潜ませていた、触れればわかる程度の小さな硬さが感じられない。慌ててシャツを裏返したら、大きな破れ目が顔を見せる。

 血の気が引いた。

 ジャンク屋の店主が万引きでも警戒するような視線を向けてくるのを気遣う余裕もなく、ランは泡を食って店を飛び出した。


「落とした? そんな、どこで……?」


 通ってきた道を逆にたどりながら、目を皿にしてレコーダーを探す。

 朝、寝床を出た時にはちゃんと持っていた。だから落としたとすれば、ゴミを拾い集めていた間のどこかだ。


 ここにはない。

 どうしよう。

 先を急ぐべきか?

 いや。

 どうしようどうしよう。

 じっくり探さないと見落としてしまうかも。

 もう誰かが持っていってしまったんじゃ。

 どうしようどうしようどうしよう。


 心臓の音がやけにうるさくい。指先が冷えてピリピリする。不安で頭がパンクしそうになるのを、足を動かすことでなんとか抑えていたら、ゴミ山の広場まで戻ってきていた。

 ここ何日かは新しいゴミが流れ着いておらず、今朝ランたちが漁ったのを最後に、換金できる物はもう取り尽くされてしまっていた。今の広場は完全な無人であり、値段も付かない本当の意味での『ゴミ』が、処理を言い付けられたギャングの下っ端が来るのを待っているだけだ。

 この様子なら、落とし物があっても気付かれずに済んでいる可能性はないでもない。ランは自分が漁った場所を思い出して、積まれたゴミをひっくり返していく。


「たしか、このあたりだったはず」


 ……目立つことをしている、という自覚はあった。

 無事にレコーダーを取り戻すことができたとしても、探しているところを誰かに見られたら、高価な機械を隠し持っていたことが知れ渡ってしまう。ルール違反者への風当たりについては、マウスの件からもわかる通りだ。

 それでも、止まりはしなかった。諦めることも、目を逸らすことも数え切れないけれど、たった一つの宝物だけは譲れない。リスクは承知の上で脇に置いて、ゴミをかきわけかきわけて……――――あった!

 家電のカバーらしき樹脂に紛れるようにして、レコーダーが落ちていた。拾い上げてスイッチを押してみると、画面がほのかに明るくなってメニューリストが表示される。


「あ……よかった…………」


 膝から力が抜けて、へたり込んでしまった。しかし、安堵するには早すぎたのだということを、ランは直後に知ることとなる。

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