第2話 スラムの少年

 疾風のごとくフィールドを駆けるラファエルに、ウリエルの操る紅炎が荒波のごとく襲いかかる――そんな様子が、古ぼけた画面に映し出されている。


 暗がりの中、トップファイターが繰り広げる激しくも優美な戦いに、ランは一心に見入っていた。

 片手に隠せるくらいの小型レコーダーは、一番の宝物だ。もし他の浮浪児に見つかったら、即座に奪われてしまうことだろう。だからモルファイトの試合が街頭ビジョンで放映されているのを録画する際には細心の注意を払ったものだし、観賞するにも周りに人がいないのを確認してから安全な場所に隠れてひっそりと再生することにしている。

 レコーダーに収められた映像は、ほんの数分。決着するのを待たずに画面が乱れて暗転してしまう。それでも、ランは満たされた心地で、しばし余韻に浸った後に隠れ家の外へと出た。


 鉄蓋を押し開けると、強い日差しがランを照らす。

 年の頃は10かそこら。ボサボサの白髪とは対照的に浅黒く日焼けした肌をした少年だ。世にすれた三白眼で、着衣もまたすり減って今にも破れそうな、スラム街では珍しくもない浮浪児の風体である。


「ん……うんん」


 隠れ家にしていた錆びついた貯水槽上に立って伸びをすると、廃墟の屋上から遠くまで見渡すことができた。

 近隣は文明から見放されたような荒廃した街並みだが、小川一本挟んだ向こう側は別世界だ。

 建ち並ぶ超高層ビルディングは、外壁がそのまま巨大なスクリーンになっており、広告の美女が赤い口紅でほほ笑んでいたり、最新ニュースの見出しが絶え間なく巡っていたりする。眼下に広がるのは緑豊かな遊歩道で、のんびり電脳ペットと散歩する老人やバイタルメーターを着けてランニングする若者、ホログラム映像を囲んで何やら熱く議論する学生グループ、縄張りのゴミを拾い集める清掃ロボットなどが行き来しているのを、街路樹の枝葉にまぎれた監視カメラが黙々と眺めていたりもした。


 現実と電脳が融合する、最初で最新の地。

 それが、島国オネイロネシアの異名である。

 特に首都のカケン島は、島ひとつをまるごと開発した世界でも有数の科学都市だ。島の中央にそびえる行政府を始め、国立大学や官民合同の研究所、大企業の本社が軒を連ね、歴史博物館やスポーツスタジアムに有名ブランドの集まったショッピングエリア等々、政治経済から娯楽文化まで、オネイロニシアの中心地として知られている。

 カケン島が他の都市と一線を画すのは、モルフィング技術を都市の根幹に取り入れている点だろう。

 本来、モルフィングによってエネルギー化した物体は、電脳空間でしか制御することができない。従来ではそんな空間はハイスペックコンピュータの中にしか存在しなかったが、大企業オーネ社から生み出された発明が常識を変えた。


 世界重複式ネットワーク『モルフェウス』。


 オネイロンが生み出す力場を応用して構築された、コードも電波も用いない新世代型ネットワークシステムである。その名の通り、現実世界と重なるように組み上げられた電脳世界は、吸水スポンジの上にこぼした水のように広く深く都市全体へと浸透し、リアルでありながらメタバース内のごとき電脳都市へと進化させた。これにより、都市内のあらゆる場所でモルフィングが可能となったのだ。

 代表的な活用法と言えば、物体をエネルギー化したものを電力に変える発電技術。また、ネットで遠方に送信してからモルフィングを解いて実体に戻せば、疑似的なテレポーテーションにもなる。

 安全性が確認された後は、人間をモルフィングして電脳空間の中で活動させる研究も進み、いち早く導入したオーネ社の考案したスポーツ、モルファイトが世界的な大ブレイクを果たしたのは広く知られることだが、それもモルフェウス・システムで作られた高度な電脳世界があってこそ実現したものと言えるのだ。


 ……もっとも、すばらしく発展したのは表向きに限った話だが。


 カケン島を網羅するモルフェウス・システムも完璧ではない。区域によってはネット環境が不安定な所があって、そういう場所は開発が遅れて、人が寄り付かなくなる。集まってくる人間は監視カメラから逃れたい犯罪者か、他に行き場もない貧困階級ばかりで、スラムという隔離されたコミュニティが形成されるのはごく自然な成り行きであった。


 ガシャン、ガラガラッ!


 金属のぶつかり合うような音が、遠くから聞こえてきた。


「……来た、か」


 ランは小さく嘆息して小型レコーダーを服の内側の隠しポケットに仕舞うと、貯水槽から飛び降りた。

 階段の手すりをすべり台にして下り、二階の窓からジャンプすると、隣の倉庫の雨樋に掴まって勢いを中和した後に着地。ジメジメした路地を駆け抜けて、音の聞こえた広場までやってくると、すでに同じように粗末な恰好をした子どもばかりが集まってきていた。


 虚空から、ゴミが落ちてきている。


 広場の手前。

 ただのコンクリートはずの壁面の一部が不自然に歪んで見えて、その『穴』から染み出すように、半壊した照明スタンドや黒く焼けたタブレット端末などのゴミが絶え間なくこぼれ落ちているのだ。

 これらのゴミは、モルフィングによるテレポート移送で廃棄物処理場に送られるはずの物だ。それが何かの異常で、こんなところに流れ着いてしまっているらしい。ネットワークが整備されていないスラムではままあることで、大抵はすぐにバグを修正して職員が漂着物を回収しに来るものだが、ゴミ処理業者に限っては対処してくれたことは今まで一度もない。ゴミを拾うためにゴミ溜めスラムになんて来たくないということか、「何とかしたければ自分たちでやれ」と言わんばかりに旧式の小型処理炉を一台送ってきただけだ。


「今日は機械ゴミだ」

「ラッキーだな」


 後から来た子どもが、興奮気味にささやき合うのが聞こえた。

 機械ゴミからは貴金属を含んだ基盤やリサイクル効率の高い有機素材などを採取できる他、運が良ければランの小型レコーダーみたいにまだ活きている道具が手に入ることもある。ゴミ漁りをして日銭を稼ぐ浮浪児にとっては宝の山である


「……ラッキー、か」


 しかし、無邪気にはしゃぐ他の子どもとは反対に、ランの瞳は暗かった。

 再びため息を吐いて、うず高く積まれたゴミ山に群がる子どもたちに加わると、落下物に注意しながら今にも崩れそうな山肌を軽快によじ登り、小さな手を突っ込んで金目のものがないか探す。

 慣れているから手だけは動かしていたが、外装だけ残ったポータブルプレイヤーを引っこ抜いた裏から現れた鏡面塗装のプラスチック板に映された自身を見て、つい手が止まってしまった。

 痛みを覚えたように、表情が歪む。

 汚れにまみれ、傷だらけになって、漁ったゴミをカネに換えたところで、いくらになるだろう。ドブネズミみたいに這いずり回る姿と、画面の向こうで光りかがやくウリエルやラファエルの美しさとを否応なく比べてしまい、劣等感で心が軋みを上げる。


「よう、クソガキども! 精が出るな!」


 どら声がしたので振り返ると、数人の大人が歩いてくるのが見えた。

 おそろいの電脳ゴーグルを着けた、でっぷり太ったのや筋肉質なのや巨漢ばかりで、それらに囲まれた一人だけが奇妙な姿をしている。

 不気味な愛嬌のある鳥の仮面を着けて、シルクハットにマント。サーカスに出てくる道化師みたいな格好で、これがスラム街を牛耳るギャング団の頭目であった。


「ナメレスさん……」

「こんにちは」

「こんにちは、ナメレスさん」


 鳥仮面を前にした子どもたちは、慌てて居ずまいをただす。彼らに浮かぶのは皆同じ、警戒と恐怖だ。


『ヤーヤー、ワタシのコドモたち。構わず続けてくれタマエ』


 畏怖をもって従順のポーズを取るランたちに、ナメレスは手袋を着けた手を振ってみせる。ボイスチェンジャーでも通しているのか、神経を逆撫でする甲高い声だ。

 どうやら働きぶりを見ていくつもりらしい。

 居座る気満々のナメレスに、浮浪児たちはやりにくそうにしながらも作業を再開する。

 山を崩さないよう気を付けながらゴミを漁り、収穫があったら下山してジャンク屋へと売りに行く。しばらくの間ナメレスは、何をするでもなく広場の隅から眺めていたが、一人の子どもがゴミ山から下りるのを見て、鳥の眼が光った。

 合図を送ると、かたわらの肥満体が石を拾って投げる。


「うあ!?」


 投石は子どもの足に命中。転倒させた拍子に、服の内側に隠してあった基盤がバラバラと散らばった。


「あっ! アイツ、高いやつばっかり!」「このやろ!」「取り過ぎだぞ!」


 たちどころに、子どもは袋叩きにあった。殴る蹴るの暴行の末、持ち去ろうとしていたパーツをすべて奪われていくのを、ナメレスは見るに任せて愉快そうに高笑いした。


『抜け駆けや独り占めはイケマセンね。アナタたちは仲間なんデスから、ミンナ横並びで分け合わナイと』


 子どもはボロ雑巾のように打ち捨てられていたが、やがてよろよろと立ち上がると、足を引きずりながら離れていく。

 遠ざかる背中を見送りながら、ランは無意識にレコーダーを隠したポケットを押さえた。


 ……ずっとこのままなのか。


 暗くて汚くて乱暴なスラムから出られないまま、その日を食いつなぐだけの毎日を過ごすことしかできないのだろうか。あこがれの世界はすぐ近くにあるのに、世界の裏側ほどにも遠く感じてしまう。


「……それでも、いつか……絶対に…………」


 爪が喰い込むほどに握りしめたその手は、しかしどこに伸ばしていいかもわからずに、結局はゴミ漁りに戻るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る