第9話 肉は生より焼いて食べた方が美味いはず
「まずいな……」
俺は数メートル先の視界に映る血だらけのワイルドベアを眺めながら、一瞬だけ背後を確認する。
リリイナ達の背中が視界に映った。まだ、遠くへは逃げ切れていないらしいが、怪我人を背負っているので仕方がない。
状況は再び最悪の一歩手前まで元通りだ。
俺は改めてワイルドベアの様子を観察する。
樹の幹にある蜜を取るために使用する鉤爪は血にまみれている。
誰かを引き裂いたのだろうか。返り血を浴びており、全身に包まれた茶色い体毛は赤く染まっていた。
口元まで血でべったりだ。おそらく、血肉を食らったのだろう。
奴は低い唸り声を上げながら、白い息を吐き出していた。興奮状態なのが一目で分かる。
嫌な予感しかしない。そして、残念ながら予想は的中らしい。
ワイルドベアは広場の近くに倒れていたゴブリンの死骸に近寄り、そのまま食らいついたのだ。
ゴブリンの骨が割れる音。骨まで貪り食していやがる。
「どうりで、ゴブリンが大量に外に出ていたわけだ……」
考えられる可能性として、ゴブリン達は逃げてきたのだ。あのワイルドベアから。
普通、ワイルドベアの主食は樹の実や蜜である。それがご馳走だと信じて疑っていない。
性格も警戒心が強く、こちらから攻撃でもしない限りは危害を加えてこない生物である。
だが、時折、何かのきっかけで肉を食べてしまった個体が出てくる。
そして、気づくのだ。苦味のある樹の実よりも、甘みのある蜜よりも。それを超える肉という美味な食材があるのだという事実に。
警戒する他生物は狩りの対象へと変わり、奴らは獰猛な性格へと豹変する。
鉤爪は獲物を刈り取る武器に。大きな体躯は敵からの反撃を防ぐ盾に。
本来備わっていた攻撃力を遺憾無く発揮するモンスターが誕生するわけだ。
なにより、血肉を食すので、栄養も十分接種されるはず。通常個体に比べて体が一回り大きく成長するのも頷ける。
今回も、血肉を求めたワイルドベアがゴブリン達の住処である洞窟に現れたと考えられる。
知能が低いとはいえ、ゴブリンも同胞たちが捕食対象となれば反撃よりも逃げ出すのを選ぶだろう。
そして、外へ出てきたゴブリンの集団に運悪く出くわしたのが、フィースのパーティだったというわけだ。
「グルルッ」
ワイルドベアは周りにある死骸やリリイナが攻撃魔術で気絶させたゴブリンを瞬く間に平らげる。
それだけお腹に入れれば満足だろう。しかし、奴の飢えは天井知らずらしい。
捕食対象を俺と残りの生存したゴブリンに向けてきた。
ワイルドベアはデカい図体に似合わず、一瞬にして間合いを詰める。
「早ッ!!」
明らかに通常のワイルドベアよりも速さが数段も違い、反応が一歩遅れる。
ワイルドベアが立ち上がり、鉤爪がある右腕を大きく振り上げると、目にも止まらぬ速度で振り下ろす。
周囲に居たゴブリン達の体が瞬時に肉塊へと変わり果てる。
俺は体を後ろへ倒しながら、鉤爪の攻撃を剣で受け止めた。
だが、相手の力が強すぎたのか、体が中に浮き、数メートル先まで吹き飛ばされる。
何が起きたのか理解する前に、背中へ衝撃が走った。どうやら背中から木にぶつかったらしい。
魔力をケチって、身体強化を腕と脚にだけ行っていたのが裏目に出た。
俺は強い痛みと共に意識が遠くなるのを感じる。
ああ、畜生。リリイナ達に意識を向けすぎていた。
ぼやける視界。薄くなる意識。
俺はリリイナ達の無事を祈りながら、最後にポツリと呟くのであった。
「情けない師匠でごめんな……」
………
……
…
--リリイナ視点--
背後から獣の咆哮と森全体に響く鈍い音が耳に届いてきた。
「え? なに!?」
ひたすら前を向いて賢明に走りながら、私は心の奥底で数秒ほどの弱音を吐き出した。
もう、正直に言って、心が折れそう。
師匠に投げ飛ばされて、ゴブリンの群れ相手に戦って、フィースさんを助けて、敵の包囲網を抜けて逃走中……っと人生で初めての経験だらけで頭がいっぱい。それなのに背後からは嫌な気配。まだ、なにかあるの?
肉体的な怪我はない。だけど、心はヘロヘロ。
師匠はこんな戦いを何度もしてきたのかな。凄く辛い。
おそらく後ろを振り向けば、目を背けたくなる現実が待っている。だけど、これが冒険者なんだ。
弱音を腹の奥にしまい込み、私は後ろを振り向く。
「……え?」
遠くで師匠が木にもたれかかり気絶していた。
もう一つ目に入るのは、血だらけの敵がゴブリン達を引き裂いて捕食する光景。
鋭利な爪と大きな体。師匠が言っていたワイルドベアって、あれのことかな。
口周りが真っ赤だ。ゾクリッと肌全体が震える感覚。
今は生きているゴブリンを追いかけて食べている。
だけど、そのゴブリンも全て平らげたら?
「……次は倒れている師匠と私達の番」
自然と言葉が漏れ出てしまう。
おそらく紛れもない事実。その恐怖は隣に居たフィースさんにも伝染してしまった。
「ウッ……」
いつの間にか彼女も後ろを向いており、残酷なシーンを目撃しまったらしい。
口元を抑えて必死に吐き気を堪えている。
気付けば、私達の足が止まっていた。
状況的に全員が助からないと本能的に察したからだと思う。
眼の前に映るワイルドベアは猛々しい声を響かせて、草木を、私達の肌を、恐怖を……刺激してくる。
広場に居るゴブリンの数はあと僅か。救助した時は30体近くも居たのに。
全滅するのも時間の問題だろう。ワイルドベアの動きは大きな体に似合わず、とても素早い。
ここで悠長に思考できる時間も僅かだよね。出来る選択肢は限られている。
1、走れる私とフィースさんで一目散に逃げ出す。助かる確率は一番高い。
だけど、私が現在背負っている気絶中の魔術師さんと師匠を見捨てなければならない。
2、残りゴブリンが殲滅される前に師匠を回収して逃げ切る。もはや可能性ではなく妄想の類だ。
3、助かるすべはない。諦める。
私は首を横に降る。
どれもこれも納得がいかない。
選ぶなら、全員が助かる未来を選択したい。
さんざん師匠から言われてきたのにね。冒険者として甘いって。
でも、ううん。子どもみたいに甘っちょろいから、私は第4の選択肢をとるんだ。
私は背負っていた魔術師の娘をフィースさんに渡す。
「フィースさん。この娘と一緒に逃げてくれないかな。
私は師匠を助けてくるから」
「そ……そんな。リリイナさん、無茶です。
どうあがいても、私達の実力では太刀打ちできない敵ですわ」
「あはは……そうだね。でもさ、私はフィースさんの大嫌いな考えが甘くてバカな冒険者だからさ。
皆が助かる道を考えちゃうんだよね」
「なにを……」
”言っているんですの?”っとフィースさんは単語を出しかけて、口を閉ざした。
どちらにしても、状況的に囮役は必要なのだ。
少しでも時間を稼ぐのなら、傷ひとつない私が一番長く時間を稼げるから。
体中を怪我をしたフィースさんでは、一瞬でワイルドベアの食物になってしまう。
フィースさんも頭では理解しているのだろう。
だけど、足元がガクガクと小刻みに震えていて、とても走れそうな状態ではなかった。
体は正直というやつかな。
だったら、師匠から習った”とっておき”の出番だ。
”腹が立つ相手を殴るとスッキリします”
そして、仲間が震えてしまった時に実施する簡単な技。
私は前足に重心を移動させ、右手を腰まで降ろして、軽く後ろまでひねる。
拳に力を入れ、そのままフィースさんの腹に目掛けて鉄拳をくらわしてやった。
師匠直伝のボディブロー……もとい腹パンだ。
「走れぇ!!」
ボディブローと同時に私は声を張り上げて、フィースさんの背中を押し出す。
すると彼女は体をビクンッと震わせて、勢いのままに森の出口へと駆け出していった。
「上手くいった……」
師匠に教わった通りだ。体の震えは別の痛みを与えれば止まるって。
やっぱり、師匠の指導は役にたつな。
「だからさ、師匠。このまま呆気なく死なないでよ」
私は振り返り、ワイルドベアが居る広場の方向へと走り出す。
不思議と震えはない。フィースさんを鎧越しで殴ったからかな。手がジンジンして痛いや。
これも恐怖に対して、別の痛みを与えれば平気ってやつなのかな。
「バカな弟子の愚行をお許し下さい」
私は倒れる師匠の元へと辿り着き、さっそく回復術をかける。
「リジェネ」
緑色の光が師匠を包み込んだ。
リジェネは数秒間の微量な回復が発生する持続型の回復術だ。
ヒールだと回復力が高すぎるので、毒になってしまう。
だから、微弱な回復が続くリジェネなら、師匠の傷ついた体も丁度いいくらいに回復するんじゃないかなって考えたの。
どうやら予想は当たっていたみたい。師匠の体は痙攣をせず、怪我も回復していく。
それでも、リジェネの効果が切れるまでは痺れて動けないかも。
だからこそ、ここからは私の頑張り次第になる。
師匠が目覚めて、リジェネの効果が切れれば、助かる可能性は僅かにでも出てくるはず。低い確率だけどね。
私は杖を握りしめて、ワイルドベアから距離を取りながら背後へと周る。
最後のゴブリンを捕食して、次の獲物をお求めかな。
なら、ここに美味しい食材があるよ。
大人しく食べられるなんて気持ちは、さらさら無いけどね。
私は息を深く吸い込んで、お腹に力を入れながら言葉を吐き出す。
これも師匠直伝ヘイト管理ってやつ。私はワイルドベアを煽るのであった。
「こっちだよ!! ざ~~~~~~~っこぉ!!」
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