甲子園
佐敷てな
兵庫は今日も暑そうで
暑い中ボールを追いかけて走る高校球児たち。
ホームランを確信し、ベースから空高く上がったボールを眺める4番。
それを寝転がってテレビ越しに見つめる父。
こんなだらしない父親だが、これでも高校生の頃はテレビ越しの彼ら同様、甲子園球場でプレーしたことがあるそうだ。本当かどうか、私は知らない。今ならもしかしたら父の名前をネット検索すればわかるのかもしれないが、嘘だったら嫌なので検索したことはない。
父はTシャツの裾を少しめくって脇を痒く。
肘が、父の真後ろにあったテーブルに当たって、ゴンッと鈍い音を立てた。
「いてっっ・・・・・・」
痛そうに肘をさする父。大きなため息をついたあと、またさっきの体勢に戻る。
ほんとうに、こんなのが高校球児だったのか・・・?
私は甚だ疑問に思う。
しかし、毎年、観れるときは必ず高校野球を観ているし、最近はサブスクで後からも観れるので、ここ2、3年は全試合を観戦しているようだ。野球好きなのは本当なのだろう。
まあ、スポーツは運動音痴でも観ているだけで楽しめるし、そこは判断基準にはなり得ないか。
「ちょっと誰かーー!洗濯物干すの手伝ってーー!」
母が呼んだ。今日は快晴だ。そういえば今日は母が、お洗濯日和だからと布団を洗濯していた気がする。確かに一人じゃ大変だ。
「はぁーい、私行くーー!」
私は母に返事をし、ベランダに向かう。父は微動だにしなかった。
「あれ、お父さんは?」
母が手伝いに来た私に訊く。
「甲子園観てる」
簡単に答え、積まれていた洗濯物をがばっと抱えて物干し竿に向かう。
「ああ、また甲子園。ほんと、昔から好きよねぇ」
「ホントにね。でもまあ、実際、甲子園面白いから気持ちはわかる」
そう、私も甲子園は好きだ。なんならプロ野球より好きだ。まだ野球選手として未熟な高校生がプレイするが故のアクシデントがとても好きだ。最後の最後、9回ウラまで勝敗がひっくりかえる可能性があるから目が離せないところも好きだ。
しかし、甲子園も全試合観るほどではない。友達と遊びに行く約束だってするし、バイトだって入ってる。宿題もある。それらを全て押しのけて観るほどではない。
私はこれが一般的だと思っている。
逆に、父は熱烈なファンの部類だと思っている。
そんなふうに思っているうちに、洗濯物を干し終えた。やはり私の記憶通り、今日は布団が洗濯されていた。
「手伝ってくれてありがとうね」
布団たたきを探しながら、母は私に言う。
私は、「ん」と小さく返事をして、またリビングに戻った。
「高く上がったボールを2年松野が捕っって、一塁に投げてこちらもアウト!ゲッツーでスリーアウト、チェンジです!いやぁーうまく決まりましたねー」
実況の男の人が言う。
父は、寝転がるのは疲れたのか、テーブルの横に座って、いつの間にか淹れていた麦茶を一口飲む。
「いいなぁ、私も麦茶飲も」
ひとりでに呟いて、冷蔵庫に向かう。コップを棚から取り出して、冷えた麦茶を注ぐ。
なんだっけな。名前をド忘れしてしまったけれど、なんちゃらくんがじゃんけんしていた。
「あ、負けた」
父が呟く。毎回律儀にじゃんけんしてたのか。
麦茶を一気飲みし、ぷはぁー!と一息つく。父の方に近づいてみる。
「ね、今どっちが勝ってるの?」
父は私の方を見て、ああ、今同点だよと教えてくれる。
「昔から好きだよね、甲子園」
「ん。まあな」
父の隣に座ってみる。さっきまで転がっていたところだったのか、床が父の体温で温かい。
「逆に聞くが、嫌いか?甲子園」
「いや、好きだよ。けどお父さんほどじゃないかな」
「俺はそんな、マニアじゃないんだけどな」
そう言って、父は少し笑う。
笑った父は顔が幼く見えた。
甲子園を観ている間だけは、高校球児だった頃に戻れるのだろうか。
まだ次の攻撃は始まらない。応援コーナーが始まる。
しかし、やはり私に父が高校球児だったというのが本当なのか、真偽を確かめる勇気はなかった。
「お腹、すいたな」
ひとりでに呟いてキッチンに向かってしまった。
「そういえば、この前買ったそうめん、まだ残ってたと思うぞ」
父が歩く私に声を飛ばす。冷蔵庫まで行き着いた私は中を開いて覗く。なるほど。2束ほどそうめんが残っている。
「そうだね、その残ってるそうめん湯がくけど、お父さんも食べる?」
「父さんの分まで湯がいてくれるのか?」
「ついでだよ、ついで」
「そうか。ありがとう。お言葉に甘えて、湯がいてもらっちゃおうかな」
「じゃ、ちょっとまっててね。今から湯がくから」
「ああ、わかったよ。頼んだ」
鍋に水をたっぷり入れる。
横目にリビングを見ると、また父はぼーっと甲子園を観ている。次の攻撃が始まったようで、テレビの中ではピッチャーがストレートを投げて、見事ストライクを取っていた。綺麗なストレートだった。きっとこれは決まると気持ちいいやつだ。
それに感嘆し、「おおっ」と父も感嘆を漏らす。
が、その拍子に横に置いていた麦茶のコップが倒れる。
「あああっ・・・しまった・・・」
中に入っていた麦茶がこぼれて机の上に広がる。それを止めるため、必死にティッシュで押さえる父。
「はぁあ・・・」
一連の流れを全て目撃していた私は、大きくため息をついた。本当まったく、いつもちょっとドジでやらかすんだから。
「おとうさーん、布巾いるーー?」
キッチンから声をかける。あわあわ、とティッシュを大量消費していた父はこちらを向いて、
「ああ!頼むー!」
と叫ぶ。
鍋を火にかけようとしていた手をとめ、布巾を軽く絞って持って行く。
と、そこにバタバタした雰囲気を感じ取った母が、ベランダからこっちに小走りで寄ってくる。
リビングに着くなり、机の上の惨状を見て固まる母。
「何してんのよお父さん・・・」
呆れを含んだ母の一言が、父を刺す。
「う・・・すみません・・・」
父は相当なダメージを受けたようだ。悪意があったわけではないが、家のヌシである母に怒られ、落ち込んでしまった。
「ちゃんと拭いて片付けといてね」
と母は言い残してまたベランダに向かう。どうやらまだ布団たたきを探しているようだ。
母と入れ替わりで私は布巾を持ってキッチンからリビングに向かう。父に布巾を渡すと、ありがとう、と父は私にお礼を言う。
「はいはい。わかったから、早く拭いちゃいな」
私は父を催促し、またキッチンに向かう。お腹すいた。早くそうめん湯がいちゃいたい。
ガスコンロに火をつける。カチッと音を立ててコンロは青い火を灯す。
リビングではせっせと父が机を拭いている。
やはりこんなのが本当に高校球児だったのだろうか。
父を見れば見るほど、この人が高校野球の熱の中でプレイしていただなんて、思えなくなってくる。
いや、思えなくてもいいのか。
私はふと思いついた。
そんなこと思えなくてもいいのか。
本当なら本当で構わない。本当だったなら、すごいことなのだから。
嘘だとしても、娘にいい顔したくてつい吐いてしまった嘘だったとしても。
父は今日もほんの少しドジで、素直にお礼が言えて、そして、甲子園を観るのが大好きな私の父親。
それでいいのだ。
嘘だったらどうしよう、ではないのだ。
嘘だったら嘘だったで、それが父親であることに変わりはないのだから。
何かが吹っ切れた気がした。ちょうど、そうめんを湯がき、私と父の二人分を盛りつけ終えた頃だった。
「お父さん、できたよ。そうめん」
リビングの机の上に二人分のそうめんとお箸を持っていく。
机は綺麗に拭かれ、麦茶がこぼれる前のように艶やかだった。
「おお、うまそうだな。ありがとう」
そうめんを受け取った父は、嬉しそうに言った。
「じゃ、いただきます」
手を合わせて二人、口を揃えて言う。
一口啜った父が、うん、うまい。と呟く。
目の前でそうめんを美味しそうに食べる父を眺める。
嘘だったら・・・・・・別に、嘘でもいいか。
本当のことかもしれないのに、嘘だったら、なんて考えたってキリがないのに、何をぐずぐずと考えていたんだろうな。私は。
「ねえ、昔お父さん、自分も高校球児だったって教えてくれたよね」
父が、そうめんに夢中だった顔をこちらに向ける。
「あの話、もっと詳しく聞かせてよ」
怖くなんて、なかった。
甲子園 佐敷てな @sasiki_tena
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