1月12日 12:56 高踏高校グラウンド

 翌日の土曜日。


 この日も朝から練習を行うが、前日咳をしていた篠倉はまだ完全に良くなっていないようで来ていない。


 それどころか。


「俊矢(櫛木)と隆義(芦ケ原)も咳があるってことで今日は来ない」


 後田の報告に、陽人は渋い顔をする。


「うーん、これから更に増えるなんてことがないと良いんだけど……」


 厄介なのは、予防策ということで迂闊に薬を使えないことだ。うっかりドーピング規制対象になってしまうこともありうるからである。使う場合にはしっかり医師に確認しなければならないが、そこまでするほどには体調が悪いわけでもないようだ。


「一応、食堂の人には今日明日の食事で風邪などに効きそうなものは頼んであるけど」


 できることというと、結菜の言うような措置と、あとは事前検査くらいだろう。


 コックはともかく、事前検査には医師が必要だ。さすがにそこまでは難しい。


「……まあ、これ以上は悪くならないと信じて進めるしかない」



 午前中は、前日のうちに決めた決勝戦当日の移動について、クラブハウスで話をする。


 国立競技場で14時スタートなので、豊橋駅を7時9分に出る新幹線で東京まで行き、そこからバスで国立競技場まで向かう。


「9時20分には着くので室内練習場で軽くアップをして、試合に備えることになる。道路事情や電車事情で多少遅れる可能性もあるかもしれないが、早めに出るから最低限必要なアップの時間は確保できるはずだ」


 陽人の説明に真田が続く。


「帰りのバスは17時に出て、18時の新幹線で豊橋に戻って高踏に帰る。祝勝会も残念会もやる時間はないので、それも念頭に置くように。篠倉をはじめ、若干名体調に不安な者もいるが、別行動で来てもらうことにはなるし、その旨の連絡はしておく」

「分かりました」



 午前はその後、午後の練習に向けた説明を行う。


 昼食をとって、午後の練習に入る頃に、二台の車が立て続けにやってきた。石綿と滝原だ。


「やあ、今日もよろしく」


 2人は高踏のメンバーにとっても顔見知りであるから、改めて緊張するということはない。


 しかし、その15分後にやってくるリムジンには緊張が走る。


 そこに乗っているのが古賀と峰木と分かっていても。



 リムジンが止まるのを見て、記者2人も足を止める。


 まずは助手席から古賀が降りてきた。石綿と滝原に気付いて近づいてくる。


「記者さんだよね?」

「そうです」


 石綿と滝原もさすがに日本サッカー協会会長だということは分かる。やや緊張した面持ちで揃って名刺を出した。


「篠田さんから話を聞いている?」


 と、高踏の校長の名前を出した。


 滝原は「?」という顔をしているが、石綿は分かったようだ。


「私と滝原さんは入ってもいいけれど、今日の取材は本来なら断る事情ができた、みたいなことは言われています」

「……えっ、そうなの?」


 滝原は何も聞いていなかったようで驚いているが、半信半疑の様子で携帯電話を操作すると。


「あ、確かに着信あった。昨晩慌ただしくて見てなかったんだよね……」

「この後の内容は、OK出た後には出してもらっても構いませんが、それまでは秘密ということでお願いします」


 古賀の言葉に滝原も「分かりました」と頷いた。



 横で聞いている陽人は「おいおい」と思った。


 滝原と石綿に「内密に」と校長がわざわざ頼んで、今、改めて古賀が「内密に」と言っている以上、そうさせるだけの人物が来ていることになる。


 頭に浮かんだのはA代表の監督だが、それだけでここまでは言わないだろう。既にU20やオリンピック代表監督も視察に来たことがあるからだ。


 驚いているうちに、後続車からクルーが降りてくる。カメラを持つ者、マイクを持つ者。その全員がFIFAのロゴが入った上着を着ている。ついでにその助手席から峰木も降りてきたが、「あ、峰木さんだ」と挨拶をする余裕はない。


(FIFA? ということは、ワールドカップ関係?)


 古賀がリムジンの後部座席を開いた。中から長身の西洋人が出て来る。



「うわっ!」


 陽人は思わず叫んだ。


 子供の頃から海外のサッカー……プレミアリーグやチャンピオンズリーグを見ていた陽人にはよく知る顔である。


 しかもどちらかというと親近感をもっていた相手だ。


 直接知るわけではない。この人物が日本で、しかもこの近くで指揮をとっていた頃、陽人はまだ生まれてもいないからだ。


 しかし、テレビで観る時、実況も解説もこの人物には明らかに親しみと敬意を抱いていた。


 陽人はそのチームを応援していたわけではないが、その監督に対しては実況の影響を受けて自然と親しみと敬意を持つようになっていた。


 それが目の前にいるモーリス・ヘーゲルである。


「コンニチハ、ミスター・アマミヤ」


 ヘーゲルがにこやかに右手を差し出してきた。

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