11月26日 18:30 メルボルン・代表宿舎

 この日、代表の練習場にはスペイン戦に出ていたメンバーは来ていなかった。


 心身共に消耗が大きかったこともあるし、試合中はアドレナリンなどで誤魔化していた痛みなども出て来ている。ドクターにきちんと体の状態を確認してもらうため、宿舎に待機となっていた。


 従って、スペイン戦に出ていなかったメンバーとリザーブメンバーの15人ほどで練習場に向かうことになるが。


「うわ、何か急に外が凄いことになっているな」


 バスで練習場に近づくとすぐに違いに気づいた。


 スペイン戦の前までは練習を見に来る者は数えるほどであった。カメラなど一台もなかったと言って良い。


 それがこの日は、300人近く来ていた。


「しかも日本人が急に増えているぞ」


 これまでは物見珍しさにやってくる現地の人が多く、日本人が応援に来ることはほとんどなかった。今いるのはほとんどが日本人であるし、報道陣もかなり来ているのだろう。カメラが何台も見える。


「やっぱりスペインに勝ったから、急に扱いが大きくなったんだろうな」


 バスが駐車場に止まると、一斉に移動してくる。


 しかし、協会もそれは予想していたのだろう。強面のオーストラリア人警備員が「出ていけ」とばかりに壁を作って近づけさせようとしない。



 練習が開始した後、協会の職員が峰木と陽人のところにやってくる。


「囲み取材の要請が来ているんですよ。悪いですけど、ちょっと応対してもらえないですかね?」

「私だけでいいのかね?」


 峰木が自分を指さすと、職員は「うーん」と渋い顔になる。


 高校2年でありながら、斬新な戦術を引っ提げてスペインにも勝利したということで陽人は時の人となりつつある。わざわざオーストラリアまで来たのは、陽人の意見を届けたいということもあるのだろう。


「でも、話すことも何もないですけどねぇ」


 スペイン戦に出ていたメンバーの状況はまだ把握していない。分かるのは夕方、宿舎に戻る頃だろう。


 準決勝のメキシコ戦がどうなるかということはまだ何も分かっていないから、説明のしようもない。


「仕方ないよ。これも監督の役目だ」


 峰木が諦観したように言い、外に歩いていく。


 高踏高校はアマチュアであり、こうしたものに応じなければならない理由はないが、代表ともなると無視するわけにもいかない。陽人もそれについていく。


 早速記者が峰木を囲んだ。


『メキシコ戦に向けてどうですか?』

「見ての通りですよ。スペイン戦に出ていたメンバーは状態を確認していますので、今日はオフです。どういう布陣になるか分かりませんね」


 その後も、色々な問いが投げかけられていて、峰木が当たり障りのない回答をしている。


 相手もはるばるオーストラリアまで来ているので、何かしら収穫を得たいのだろうが、こちらには話すことがさほどない。だから、あまり実りのある会話にならず時間ばかりが経過する。


 何かしら方法はないかと思ううち、陽人の方にも質問が来た。


『次のメキシコ戦でもアッと驚くような作戦があるのでしょうか?』

『どのような戦い方をするつもりでしょうか?』

「そうですね……」


 陽人は少し思案して、思い浮かんだことを言った。


「メキシコや、ああメキシコや、メキシコや」



 場が沈黙した。


『あの、それは一体……?』

「それが次の試合に向けての心境です。それ以上はチーム秘密になるので」

『そ、そうですか……』

「もういいでしょうか?」

『あ、ありがとうございました……』


 全員、煙に巻かれたような顔をして考えている。


 考えているということは、一応成果はあったということだろう。


 もっとも、首を傾げているのは報道陣だけでなく、峰木もそうだ。


「一体どういう心境なんだい?」

「いえ、何を答えようか考えていたら、芭蕉の俳句を思い出したのでそのまま言っただけです」

「つまり何も考えていない?」

「いや、思いついた以上はメキシコ戦に向けての正直な心境だろうと思います。でも、何の意味があるのかは分かりません。あとで結菜に丸投げして理由を考えてもらいます」



 夕方近くになって、宿舎から報告が来た。


 モラレスは次の試合は無理。


 鹿海、林崎、楠原、颯田、園口の5人は45分程度ならプレー可能。


 瑞江、陸平は60分程度なら可能。


 立神、稲城、佃の3人は特に問題ないということであった。



 一方、陽人の苦し紛れ? の俳句は翌日以降、幾つかの、主にサッカー関係の番組で使われることになった。


 天宮はふざけているという文句が来ることも想定していたが、駅伝・青山学院大学の監督が大会前に発信する「なんとか作戦」のようなイメージを植え付けているもののではないかという評価になったらしい。


「おそらくこういう意図があるのではないか」としたり顔で分析する解説者などもおり、翌日以降の取材は大分軽減されたのであった。

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