8月17日 17:45 千葉県鴨川市競技場

 後半からヴェストファーレンは3人替えてきたが、試合自体はほとんど影響がない。


 最終的なシュート地点が変わっただけである。



「……何だ? ベンチが騒々しいな」


 ゴールを決めた瑞江がベンチを見て、首を傾げた。


 ピッチの試合そっちのけで、全員で驚いているようだ。


「フロントらしい人がいますから、誰かの獲得条件でも提示しているのかもしれませんね」


 稲城がハイタッチしながら言葉を交わす。


「しかし、監督もコーチも1人も試合を見ていないのはどうなんだ」

「ただ、向こうも同じみたいですよ」


 確かにヴェストファーレン側も、ほぼ諦めたようで、互いに顔合わせして何か相談をしている。自分達の選手を鼓舞するとか、作戦を提示するといったことはない。


「……国際親善試合というのは、こういうものなのかね」


 とはいえ、スコアは4-0。ベンチの指示がいらないのも確かである。



 高踏ベンチでは、陽人が唖然とした顔でロッジを眺めていた。


「まずは条件から提示しよう。高踏高校を卒業後、オックスフォード大学かバーミンガム大学に留学する手はずをこちらで整える。学費及び英国での生活費その他についてもコールズヒルが保証する」

「おぉぉ、オックスフォード大学って凄いじゃん」


 結菜が目を輝かせる。


 もちろん、陽人にとっても予想外の名前だ。


 同じイギリスのケンブリッジ大学、アメリカのハーヴァート大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学らと並んで世界最高の大学の一つである。


「ネームバリューとしてはね。ただ、バーミンガム大学はスポーツ学科があり研究も盛んだ。今後の進路を考えれば、こちらでも間違いはないと思う。我がチームからも近いしね」

「なるほど……」

「もちろん、経営的な方向も考えるならオックスフォードでMBAを得た方が良いかもしれない。ここは前向きに検討するなら今後詰めていきたいと思う。そのうえで卒業した後、労働ビザを取って、コールズヒルで働くというわけだ。これは選手より簡単だな」


 英国の労働ビザはEU圏外のサッカー選手には厳しい。既にEU内のチームで実績をあげているか、あるいはその国のA代表で一定数以上の成績を出していないと認定されない。このため、プレミアリーグのチームが若手の日本人選手を獲得した場合、より行きやすい他国のリーグにレンタルで出されるということがよくある。


 ただ、名門大学を卒業してスタッフとして働くというのならそうした複雑なハードルを超える必要はない。


 単にイギリスで働くのなら選手よりスタッフの方が早いかもしれない。



「でも、どういう仕事をするんですか?」

「そこは、条件提示決定に至るまでの理由を説明した方が早いだろう」


 ロッジは結菜の方を向いた。


「お嬢さんは私のことを知っているようだが、どういう認識かね?」

「確か、『選手を安く買って、売り時に高く売る』って」

「その通りだ。ただ、これはどんどん難しくなっているのだ。昨今はちょっとしたことですぐ大騒ぎになって、『天才が現れた』なんて話になるから。ね。ヨーロッパのマイナー国、南米、アフリカでは選手達の値段はすぐに高騰する」

「残っているのはアジアというわけですか」


 ロッジは大きく頷き、指を二本立てた。


「それ以外にもアジアの選手にはメリットが二つある。一つは、特に東洋選手は規律面で秀でているということだ。相手を見れば分かると思うが、欧州や南米、アフリカから集めるとああなる」


 相手というのは、ヴェストファーレンのことだろう。


 確かに試合を諦めて、ダレているように見える選手が散見されている。


「イギリス人は敢闘精神には秀でているが、そればかりが突出しているきらいもある。メンタルという面では東洋人は信頼できる。能力の裏付けがあれば、潤滑油としてどんなチームも1人か2人は欲しい存在だ。次に経済面だ。東洋のスター選手はその国での売り上げが大きくなる。これはチームにとっては無視できない要素だ。メジャーリーグを見れば分かるだろう。特大なスーパースターの存在によって今や価値の半分近くを日本に頼っているような状況だ」


 メジャーリーグがアメリカ国内ではNFLやNBAに比べて、下手をするとサッカーよりも劣勢であることはよく知られるところだ。今や売り上げも関心も日本のスーパースターに頼るしかなく、リーグ自体がルール改変をしている程だ。



「一方でデメリットが二つある。一つはEU圏外で外国人枠やビザの問題が生じること。もう一つは異なる場所でメンタル的にマイナスに向きやすいこと、だ」


 ロッジは獲得した選手が能力的に失敗であるケースはほとんどない、と考えているという。


「環境に適応できないことまでは読み切れないからね。ただ、同胞が少ない、均一的な社会で育ちがちであるなど、適応しづらい可能性はアジアの選手の方が高い。ならばやりやすい環境を整えれば良い。アジア人の監督が指導する下部組織のチームがあれば理想的だろう」

「つまり、日本や韓国から集めた下部組織をコールズヒルが作るっていうことですか?」

「だけ、ということはないね。融合できるようなチームを作りたいということだ。そのためにはアジア文化をよく理解している人間で、かつ若者が良いだろう、と思って探していたところに浮かび上がってきたのが君だというわけだ」

「……」

「とは言っても、永遠に下部組織の監督だけをしてもらいたいわけではない。近年の研究ではマネージャーが創造力や柔軟性をもっとも発揮できるのは30代後半から40代半ばくらいまでだと言う。君はまだそこまで20年30年ほどの猶予があるのだし、世界最高のマネージャーになれる可能性がある。今後残していく成果にもよるが、将来的にトップチームを任せるという選択肢も当然想定しているところである」


 陽人や結菜だけでなく、ベンチの全員がロッジの説明に聞き入っていた。


 そのため、ピッチ上の方に集中する者が誰もいない。


 後半15分から出場予定の戸狩もそんな状態だ。


 プレーしている選手達も、「一体、何の話をしているんだ?」と試合よりベンチの話の方が気になりだす。



 それで意識も多少薄れたのだろう。


 後半半ばを過ぎた後に3失点をし、終わってみれば6-3という結果だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る