8月6日 9:46 総体試合会場
「ブーイングというのは、実はされる側の方が良い立場なのかもしれんな」
武州総合・仁紫はベンチからスタンドを眺めていた。
前日の段階で、日程の不公平でブーイングされるかもしれないという予感はあった。1回戦を見ていたこともあるので、どういうものが飛んでくるかも分かっている。
「ならば、休みの1日でブーイングに慣れさせよう」
と、昨日は4時間ほど体育館を借り、3時間ほどブーイングの大音量が響く中でトレーニングをさせたのである。
だから選手達はブーイングされる立場を理解して、この試合を迎えている。
理解どころか、紺谷や楠原がブーイングに合わせて相手が嫌がるプレーを行っている。
とはいえ、10分を過ぎると高踏も全く気にしないようになってきた。
「フェアプレーの観点でいけばこれで良いのだろうが、ウチの観点だけで見ればちょっと早く点を取り過ぎたかもしれんな……」
仁紫が時計を眺めてつぶやいた。
高踏の最大の強みは、チームとしての頭の良さだ。
チームとして失敗をした場合に、「これはまずい」と修正する力が強い。
仮にピンチを迎えたくらいなら尾を引きずったかもしれないが、失点という形に繋がったことで全員がかなり強い危機感を抱いたようだ。
「ここから前半、どのあたりまで耐えられるか……」
12分、再び颯田がシュートを外して武州総合のゴールキックとなる。
これがまた紺谷に回る。紺谷は、また周辺の音に合わせて高踏の裏を狙うが。
「紺谷!」
今度はブーイングが武州総合の災いとなった。斜め後ろから接近していた左ウイングの浅川に気づかずにタイミングを待ったため、パスを出すより先にボールを奪われる。付近の声もブーイングではっきり聞こえなかったようだ。
ボールを奪った浅川は前に向かう。最終ラインからかっさらったので、後ろにいるのはゴールキーパーのみだ。
「行けー!」
高踏ベンチが盛り上がる。
得意な形に持ち込んだ浅川は一気に前進し、キーパーの清井をかわしてシュートを決めた。
1-1。
「ここで今日、思い切った起用をした浅川君が同点弾とは、持っていると言うべきか……」
吉岡が感嘆の声をあげて、高踏ベンチを見て首を傾げる。
「凄い喜びようですね」
「確かに……」
峰木は鷹揚に頷いた。
浅川が不調だということは聞いていた。それを押して起用しているので、その分結果を出したのが嬉しいのだろうと想定する。
「本来の素質なら、瑞江君に次ぐフォワードになってきても不思議ではない存在でしょう。彼が勢いを増すというのは中々厄介ですね」
「全くですよ」
峰木の言葉に吉岡が応じる。
「このチームの真に厄介なところは、違う選手が出て来た時に互換性がほとんどないんですよね。いや、冬の選手権ではチームがまだまだ発展途上でしたのでそれらしいところもありましたが、今はそれぞれのやり口を周囲が理解しているから、誰が出て来ても違う形のチームになる。チーム反応をケミストリーとはよく言ったもので、高踏とやる際には化学反応式を覚えて臨むようなことになるのではないでしょうか?」
洛東平安はまだ高踏との対戦経験がないが、そういう形で外から見ているらしい。
化学反応というのは言いえて妙だろう。
物質と物質を混ぜ合わせた時に、液体になることもあれば煙になることもありうるし、ひょっとしたら爆発するかもしれない。
高踏対策をするということは、そうした組み合わせを全て覚えることになる。容易なことではない。
「とはいえ、武州総合も良くやってはいますよ」
前半15分を過ぎたが、高踏の早いパス回しに対してきっちりついていっている。
この試合が初めてということもあり、体力的に余裕がある。
というより、そう自己暗示をかけているのだろう。自分達は最後までボール回しについていける、と。
「これで高幡君がいれば、更に可能性が上がったのでしょうけれど」
「いや、どうでしょう。高幡君がいないから、かえって思い切ってやれているのかもしれません」
これは吉岡の言う通りとも言える。
高踏のような強豪相手となればどうしてもエースに頼りがちになる。武州総合の場合は高幡だ。
ただ、高幡ももちろん万能ではない。ボールが集まれば狙われることになる。
この試合の武州総合は、裏を狙うシーン以外も含めて、サイドチェンジや大きな展開を多用している。これもまたかなり体力を使う作戦であって、体力消費がない武州総合の環境だからできることだろう。
ただ、仮に高幡がいた場合には、こう思い切ることはできなかったのではないか。
「あと、瑞江君と立神君も、さすがに代表疲れがちょっとありますかね」
「そうですね」
吉岡の言う通り、瑞江と立神は二日前の浜松学園戦ではまずまずのプレーを見せていたが、この試合は今のところ大人しい。ダメだというのではないが、打開を目指すようなシーンが少ない。
とはいえ、ほんの二週間ほど前まで代表選手として激しい戦いを続けていたのである。しかも、瑞江は全試合、立神は一試合を除いてフル出場している。陸平ほど負担のかかるポジションでなかったとはいえ、消耗が残っていて当然である。
「その分、一年生に期待ということになるのでしょうか」
2人の視線が同点ゴールをあげて、溌溂と動く10番へと向かう。
「この試合、浅川君が鍵になるかもしれませんね」
峰木は何となく言っただけであったが、実際にここから、ジェットコースターのように乱高下する浅川劇場が始まることとなる。
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