6月24日 16:10 グラウンド

 代表発表があった翌日、瑞江、立神、陸平の3人は合流のために名古屋へと向かった。


 最低二週間は戻ってこない状況の中ではあるが、元々”ありうること”として想定していたことでもある。


「ま、今更どうすることもできないし、な。前に進むしかない」


 陽人の言葉に後田も頷いた。


 切り替えていくしかない。



 その日の夕方の練習、陽人は久しぶりに全員を部室の前に集めた。


 といっても、別に主力3人が不在だから何か演説を打つわけではない。単純に新しい紅白戦の説明を始めるだけだ。


「シンプルな紅白戦ではあるけれど、ある条件をつける。今日は両チームとも中盤逆台形の4-4-2だ」

「逆台形の4-4-2?」


 部員たちがざわめいた。これまでのような「そんな理解不能のことを?」というようなざわめきではない。「何でそんなシンプルなものを?」という戸惑いの声であった。



 中盤を逆台形にした4-4-2はかなり古典的な布陣といっていい。


 典型的なチームはアレックス・ファーガソンが率いていたマンチェスター・ユナイテッドや、アーセン・ヴェンゲルが指揮していたアーセナルだ。共に20年近く前のチームである。


 中盤の中央は攻守に動き回るボックス・トゥ・ボックスのミッドフィールダーが司る。一方の両サイドには崩しを仕掛けられるアタッカーが入り、サイドバックとともに横からの崩しを狙う。


 そのうえで得点を狙うツートップがいるという布陣となる。


 戦い方としては明快である。


 しかし、戦術の幅が少なく、中盤センターの負担が大きすぎる。


 サイドの深いスペースを狙った3トップが増えてきて、しかも絶対的な崩しの切り札をウィングの位置に置くパターンが定型となってくるにつれ、次第に使われなくなっていった。



 もちろん、シンプルさゆえに高校サッカーの中ではまだまだ採用しているチームも多いが、高踏のような様々な動きができるチームがこの原点回帰とも言えるフォーメーションを使う理由はあまりないように見える。


「こんなのは簡単じゃないか、と思っただろうと思う。それはそうだ。今日から試すものについて、まず基本的な役割が明確なものでなければならないと思うからだ」

「どういうことなんですか?」


 司城が尋ねた。


「やってもらうのは4-4-2だ。ただし、結菜が笛を吹いたら、MFとFWは全員一つずつ配置をスライドしてもらう」

「……スライド?」

「バレーボールのやり方だよ。サーブ権が入れ替わるとコートにいる6人が一つずつ回転していくだろ? 今回の紅白戦ではそれをサッカーでやってみるわけだ。ただし、元に戻す入れ替わりはしない」


 バレーボールではサーブを打った瞬間にポジションの左右を入れ替わることなどが許されている。しかし、陽人はそれをするつもりはない。


「ボールがあり、スペースがあり、人がいる。そしてそれぞれの選手に個性がある。その個性というのは、必ずしも同じポジションである必要はないんじゃないかと俺は思っている。とはいえ、監督たる俺や一部の者の考えだけで無限の可能性から最適解を見いだせるとは思っていない。だから」


 布陣を動かしまくって、色々模索してみる。


「みんな、逆台形の4-4-2なら役割は明快だ、と思っただろ? その通りだ。まずはこの明快なシステムで前衛の6つのポジションを全部やってみてほしい。もちろん、周囲との連携はそのままに、だ。周りは変わらないから簡単だろ?」


 陽人はそう言って笑うが、選手達は呆気に取られるばかりだ。



「いよいよマッドサイエンティストっぽくなってきた……」


 そうつぶやいたのは戸狩だ。


「というか、4バックはローテーションしないのか?」

「さすがに最終ラインの見える景色をコロコロ変えるのはまずいからな。ただ、近くにいる選手はどんどん変わっていくから、同じ場所でも大変だと思うぞ」


 中盤より前の選手は、6つのポジションに応じた動きをしなければならない。


 一方、ディフェンスの選手は6つのブロックに応じた動きをしなければならない。


 結局、どのポジションでも6つのパターンを一試合中に次々変えていくことになる。


 何も変わらないのはキーパーくらいだろう。



「こんなんできるのか? さすがに破綻するだろ……」


 戸狩が首を傾げるが、稲城がにこやかに言う。


「まあ、試合中はともかく、練習中ではピッチ内をなるべく破綻させたい人ですからねぇ」


 試合中にはどんなことでも起こりうる。


 もちろん、基礎的な動きも必要だ。


 ゆえに陽人の練習は、極端に複雑な練習と、徹底的に反復させる練習が交互にやってくる。複雑な練習の最新版が、バレー式スライドを導入した紅白戦だ。


「実戦でもやるのかねぇ」

「やるかもしれませんね。あと、全員が逆台形の4-4-2はシンプルと言っていました。シンプルなものがあるということは……」

「げげっ、今後、別のフォーメーションでもやるわけか」


 簡単なものができるようなってきた、その後は。


 当然、高踏の基本的な布陣である4-3-3をはじめとしたより複雑な布陣でも試していくのだろう。


 あるいは今後、スリーバックも取り入れて7人ローテもありうるのかもしれない。

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