6月11日 9:15 総体県予選後・部室

 後半20分になった。


「2人はそろそろ限界かな」


 ベンチの陽人が言う。


 2人というのはもちろん加藤と戎のことだ。


 結菜が同意する。


「大分落ちているようには見えるわね。試合ではGPSつけていないから、データとしては分からないけれど……」

「あと5分見て、落ちているようなら替えるかな」



 その展開の中で戎から加藤にボールが回った。


 瑞江が左サイドに寄り、加藤が突っ込むだろう真ん中のスペースを開く。代わりに左にいた稲城が中央に入っていく。どちらも視線を加藤から外した。ドリブルに入るだろうと想定したのだろう。


「おぉぉっ!?」


 しかし、加藤はトラップせず、ダイレクトにスルーパスを通した。


 ドリブルで来ると思っていた中央の満原と谷端が驚愕の表情で後ろを向いた。


「スルーパス!?」


 後田も叫んだ。


 中央の稲城もスルーパスは想像していなかっただろうが、それでも元ボクサーの察知能力か、反応してトラップした。前にはゴールキーパーの宍原しかいない。強烈なシュートを右隅に決めて後半最初の得点が入った。



 呆気にとられる高踏ベンチ。


「あいつ、何か覚醒したのか?」


 ドリブルしかないと思っていた加藤がスルーパスを出すというのは驚きであるし、しかもパスが正確であったから尚の事驚きだ。これが出来るのなら、プレーのバリエーションが一気に増える。


 ただし、陽人には少し違う理由があるようにも見えた。


「……疲れてドリブルできないから、パスしたんじゃないだろうか?」


 前半から再三ドリブルで仕掛けている。加藤のドリブルは短い距離で細かく動く。タッチも多いし相手をかわす動きも多く入るから、シンプルにパスを出すより何倍も疲れるだろう。


 体力がなくなってきたので、ドリブルが出来ないから、シンプルに捌いただけだったのかもしれない。


「……そんなことってあるの?」

「いや、そんな気がしただけだが……」



 試合が再開し、再度パスを受けた加藤が簡単に流したのを見て、確信した。


 パスに目覚めたわけではない。ドリブルできないから、パスに切り替えただけだ、と。


 そして、先程のスルーパスは相手も完全に想定していなかったから偶々うまくいっただけで、ずば抜けたスルーパスセンスがあるわけではないようだ。


「取扱説明書がまた長くなるな……」


 後田が冗談交じりに言った。


 守備時の動きに問題はないが、ボールを受けるとドリブルしかしない。しかし、ドリブルができなくなるとパスに切り替える。


「やはり判断力だな」


 将来に向けての課題を見つけると同時に、現時点における交代すべきサインを見出し、陽人はすぐに交代の準備に入った。



 後半22分、鈴原と芦ケ原を投入し、いつもの布陣に戻す。


 その時点では深戸学院も既に長身FWの竹内を入れており、更に両ウイングも交代した。


 勝ち負けについては既に確定的で試合を閉めるモードにお互いが入っていく。



 終了間際、CKから武根のヘディングで更に1点が入り、7-0になった。


 この点差だと主審もロスタイムをとる必要もない。時間とともに試合終了の笛が鳴る。


 深戸学院のメンバーは「やっと終わった」という顔をした後、整列と挨拶を思い出したように動き出す。


 高踏の選手は、2度目の全国大会出場となるが、展開も展開だけにこれまた喜ぶこともない。



 佐藤と津下が高踏ベンチに近づいてきた。


「今日はありがとう。コテンパンにやられたよ……」

「いえいえ、これはちょっと出来過ぎだと思います」


 陽人の言葉は謙遜というわけでもない。


 地力の差もついてきているが、相手が加藤と戎のことを知らなかったことも大きいだろう。


 特に加藤については陽人含めた高踏ベンチですら知らなかった性格やプレー特性があった。味方が知らないことを相手が知るはずがない。


「この結果だと、来週は大笑いされるな」

「あれ、何かあるんですか?」


 佐藤は来週末、関東に行くんだよ、と苦笑した。


「弘陽学館と武州総合、坂大松戸と練習試合をするんだが」

「……お、凄いですね」


 弘陽学館は言うまでもない強豪校だ。仮に弘陽学館が不調の際に出て来るのが坂大松戸だ。


 武州総合は選手オタクの高幡舞が「今年は一番強い」と見ているチームである。


「この試合の後だと、色々質問を受けることになるだろうな」

「よ、よろしくお願いします……」



 もちろん深戸学院は県内最強クラスと目されている。


 ただ、全国では進んで3回戦くらいである。この深戸学院に関東の有力校が試合を申し込むのは、別の理由の方が大きい。「高踏がどんな状況なのか」を対戦相手から聞きたい、ということだ。


 高踏は公立ということもあり、練習試合をほとんどしない。


 年内で組まれているのは、地元のドルフィンズユースとの試合、あとは総体に出る場合には東北で北日本短大付属と試合をするくらいである。



 となると、深戸学院や鳴峰館など、高踏と対戦したところから聞くしかない。


 ただ、さすがに7-0というスコアになると、「高踏は強いかもしれないけど、深戸も一度負けて一気に弱くなったんじゃないか?」と言われかねない。


 いじられると辛いなぁ。佐藤はそう笑い、陽人は返答しづらい中で適当に合わせるだけになってしまった。



 もっとも、翌週になると、陽人は深戸学院が関東遠征する話を忘れてしまっていた。


 思い出したのは、サッカー雑誌に総体に向けた記事が掲出された時である。

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