5月20日 14:12 部室

 時計は1時を回った。


「明日、14時に草山さんという人がやってくる」


 真田の言葉を受けて、陽人は練習から抜けて部室で待機している。



 完全に初めて聞く名前であり、どんな用件かも分からない。


 真田も相手のことはまるで知らないようで、「分からないなら校長に聞いたら?」とそっけない。校長の携帯電話の番号を登録してはあるが、さすがに土日にかけるのは気が引ける。


「もしかしたら、プロのチームの代理人なのかねぇ」


 昨日、南羽に来てもらいたいという野球部の話があった。


 となると、今度は「高踏高校の〇×選手を我がチームで特別指定選手として迎え入れたい」という話が出たとしても不思議はない。



 特別指定選手、つまり、Jリーグのチームが大学生や高校生などを特別指定選手として迎え入れて、プロチームの試合に出せるようにするということだ。


 瑞江や立神、陸平に関しては全くありえない話とは言えない。


「さすがにあの三人の誰かが抜かれるときついなぁ……」


 独り言をつぶやきながら、時計とにらめっこし、草山なる人物の到来を待つ。



 時間が近づいてくると、部屋で待つのが億劫になってきた。


 入り口近くで練習を眺めながら待った方が良いだろう。


 陽人は部室を出て、入口付近で待つ。


 と、学校の方から青い車がやってきた。どうやらあれらしい。


 グラウンド近くの道路わきに止め、後部座席が開く。


「うん?」


 サッカーボールを抱えたYシャツ姿の少年が降りてきた。あまり大きな少年ではない。背丈からすると中学生か高校一年か。


(引っ越してきた子がいる?)


 瞬間、そう思った。昨年も道明寺が途中で転入してきた実績がある。


 その一瞬の考えが、次に降りてきた人物を見て中断される。


「ゲッ!?」


 思わず声が出た。無意識のうちに二歩後ろに下がる。


 サングラスをかけた茶髪の少女が陽人を見て、サングラスを外した。楽しそうに笑ったその表情に、陽人は悪魔の笑みを思い浮かべる。


 向こうが先頭切って近づいてきた。陽人は大きく息を吐いて、重い足を前進させる。


 先に声を発したのは相手だ。


「久しぶりね、天宮君」

「あの……何で偽名なんですか?」


 陽人がムスッとした表情で言うと、相手は笑う。


「偽名は佐久間サラの方よ。あれは芸名、本名は草山紗羅だから」


 そう言って、佐久間は自分の名前が入った学生証を見せる。それが都内の学校であることに、まず陽人は安心感を覚えた。


「こっちは弟の紫月。ほら、挨拶しなさい」


 佐久間が促すと、草山は無言のまま頭を下げる。


(何か、態度悪いな)


 それが草山紫月に対する陽人の第一印象だった。



 部室の応接室に2人を招いて、陽人は手ずから茶を用意する。


「……選手権の時はどうもありがとうございました」


 選手権の際、一足早く地元に戻る交通費を立て替えてくれた礼をまずは述べる。


「気にしないでいいわよ。あれは束脩って言ったでしょ?」

「束脩って?」


 束脩の意味については調べている。自分ないしは子弟が何かに師事する際に、相手に支払う謝礼のことを言うらしい。


 陽人を相手にそうした言葉を使う以上、高踏高校サッカー部に入る誰かがいることになる。だから、新入生にいるのかと思ったが、いないようなので「聞き間違いか佐久間の誤用だろう」と思い始めていた。


 甘かったらしい。

 

「弟の紫月のことよ。来年、高踏高校に入学させるつもりだから」



 佐久間がサクッと言った言葉を理解するのに、たっぷり五秒ほどかかる。


「……来年、入学?」

「そう。この子、身内の僻目もあるけど、サッカーは巧いのよ」

「……それは否定しませんが」


 態度はともかくとして、ここに来るのにボールを持っているのだから、かなりサッカーが好きなのだろうということは分かる。


「ただ、心理的なものらしいんだけど話すとか感情表現が苦手で、ね。それが原因で中学一年の時にイジメを受けて、去年からまるまる不登校なのよ」

「それは大変ですね……」


 印象の悪さは撤廃する必要がありそうだ。態度が悪いというのではなく、単純に言葉が話せないことらしい。


「真面目な話、ボールと話をしているような状態の時もあるわけ。ね?」


 佐久間の言葉に、草山が頷く。


(ボールと話は相当なものだな……)


「で、学校に行けない以上は仕方ないけど、このままでいいとも思わないから、何とかしたいと両親も私も思っていたわけ。そうしたら偶々去年、高校サッカーの大会マネージャーの話が来たから、仕事をしつつ学校のことも調べたりしたわけ。優しい姉だと思わない?」

「それで、高踏にしたわけですか……?」

「ここなら学業も問題ないし、和気あいあいというわけでもないけど、ギスギスもしていなくて、みんな真面目にサッカーに取り組んでいるし、ね。まさにここしかないということで、今日、移転手続をしたついでに挨拶をしに来たわけ」

「い、移転手続!? まさか佐久間さんも?」


 陽人がのけぞると、佐久間がムッとなる。


「……そこまで嫌な顔されると傷つくわね。父と私は芸能活動があるから、都内在籍のままよ。母と紫月で高踏市内のマンションを借りて生活することになるわ」

「中学には?」

「うーん、正直、馴染めないでしょうし、今から中途半端に行くとかえって不利になるみたいなのよね。完全0で学力テストだけでやらせた方がいいみたいなの。コミュニケーションは下手だけどその分黙々とやるから成績はいいのよ?」

「分かりました」


 試験を受けて入ってくる以上、陽人にどうこうすることもできない。


 コミュニケーションをとるのが苦手というのは問題だが、それは入ってからの問題である。



 それで終わりかと思ったが、佐久間がもう一つ要求を付け加えてきた。


「で、これは要望なんだけれど、できれば今後、練習の一部だけでも参加させてほしいのよ」

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