5月19日 16:52 校門付近

 夕方、練習が終わった後、真田と付き添い、南羽に野球部の話をした。


「今更……?」


 南羽は唖然とした顔をした。当然だろう。


「断るか?」


 真田が尋ねる。早めに結論づけたいようだ。ただ、サッカー部のためを思って、というよりは今日の仕事をさっさと終わらせたい思いが強いのだろう。


 南羽は首を傾げた後、「現在、どうなっているんです?」と聞き返す。


「俺も月曜日に校長に言われただけで、それほど練習も見ていないから知らないよ」


 いかにも真田らしい適当な答えが返ってきた。


「……監督なんて柄じゃないし、正直今更感がありますけれど、どうなっているかは気になりますね」

「それじゃ見に行くか」


 南羽の言葉に真田が気楽に応じる。野球部の部室と練習は本校側だ。帰る準備をして、見に行くことになった。



 体育館の裏に小さな建物があり、その個々が部室となっている。


「改めて見ると、サッカー部の部室とは違い過ぎるなぁ」


 南羽が呆れたように言う。


 確かにその通りだ。結果が出たからいいものの、そうでないなら妬みの対象になるだろう。


 いや、結果を出した今でも、他のクラブからは「あいつらだけどうして」と思われているかもしれない。


 建物の一階の奥、少し広めになっているのが野球部の部室だ。


「真田だ、入るよ」


 ノックをして、真田がドアを開いた。


「……っと」


 中を見た陽人に、一瞬一年前の景色がフラッシュバックした。


 藤沖が事故に遭ったと聞き、一体どうなるのか陸平と確認しに行った入学式より前の日。


 部室に入ったら、甲崎以外誰もいなかった、そんな光景だ。


「あ、先生。お疲れ様です」


 振り返ったのは、背の低いユニフォーム姿の生徒が1人。他には誰もいない。


「他のみんなはどこに行った?」

「土曜日ですからね。昼過ぎにはみんな帰りましたよ」

「随分と早いな」


 真田が首を傾げる。これはサッカー部が18時から19時くらいまで練習していることが念頭にあるからだろう。



「……南羽聡太を連れてきたのだけど」


 真田はそう言って、南羽を前に押し出す。


「アンケートで、一番だと聞いたから連れてはきたけど、一体、どういう理由で選んだんだ? 確か君、永島も賛成だったはずだな?」


 珍しく真田が険しく不機嫌な顔で問いただしている。


 あるいは、陽人が感じた「サッカー部へのジェラシー」的なものがあると思ったのかもしれない。


「いや、それほど深い理由はないんですけど……」


 永島が困ったように答える。


「ここって、こんな感じで、正直誰か引っ張っていくって感じもないから、監督とかコーチ役の部員なんて分からないんですよね。それでふと、去年いた南羽ならサッカー部で天宮を見ているしという話になって、正直ここにいる奴よりそっちの方が良いかもくらいの感覚ですけど」

「随分といい加減だなぁ。言っておくが、南羽は全国ベスト4チームの控え選手だぞ。レギュラーではないが、スタンドで見ていたわけでもないし、自分達が追い出したのに戻ってきてくれはあまりに自分勝手だろう?」

「すいません……。ただ、本当に他に思いつかなくて」


 確かに昼が終わった段階で1人だけ残して帰るとなると、競技自体への意欲も低そうだ。


(俺の場合は、同じ中学から行くのが何人かいたからなぁ……。それに上級生がいなかったし)


 陽人と比べると、環境があまりに悪い。


 瑞江、立神、陸平のような存在はいないし、そもそも野球はサッカーよりも個人能力が占める割合が高い。


 もちろん、全国を目指すことはないにしても、この様子ではそれなりに強くなるというのも難しそうだ。


「とりあえず、来週もう一度アンケートのやり直しだ」


 南羽がはっきりと断ることはなかったが、真田が場を打ち切るように言った。


「分かりました」


 永島は南羽に「申し訳ない」というような顔をして頷いた。


 その表情を見るに、誰もいないから「こんな意見があってもいいだろう」くらいで書いたところ、皆が同じようなことを考えていた、ということかもしれない。本人が来る事態になって、永島も焦ったのだろう。



 話が終わると、真田は任務完了とばかりにさっさと車で帰っていった。


 陽人と南羽はそうはいかない。自転車で戻ることになる。


「どうなんだ?」


 はっきりとした返答がなかったので、尋ねてみた。


「いや、正直、今更野球部に未練はないんだが……」

「ないんだが?」

「さっき先生が言っていただろ? 俺はレギュラーではないが、スタンドで見ていたわけではないって」

「そうだな」

「……俺も自分の状況は分かる。昨季はディフェンダーが8人いた中で8番目だ。今年入った神津や神田は既に上だろう」

「……」


 否定はできない。個人の力では神津や神田の方が上だろう。


「それでも今年は30人には残れるとは思うが、来年は難しいだろうなぁという予感はある。また良い1年も来るだろうし。だから、今年は残るけど、来春から天宮みたいにやるのなら悪くないかも、とは思った」

「……そうか。まあ、納得するようにすればいいよ」

「とりあえず結論を出すために野球部の練習の様子を少し見させてもらって良いか?」

「構わないよ。1週間くらい野球部の観察をしたら良い」


 とりあえずすぐに抜けるつもりはないと分かったことで安心した。


 将来のことは、確かにそうかもしれない。今年ですら選手の選抜に苦労しているから、来年更に新入生が増えれば更に競争が激しくなる。南羽の序列が低いのは間違いないわけで、最終学年でスタンド行きということはありえなくはない。



 しかし、誤算は野球部の動向を聞きつけたラグビー部が櫛木に同じことを要請したことであった。南羽に了承して櫛木はダメと言うわけにもいかない。


 結果として総体予選の最後のメンバーは加藤になってしまったのである。



 自転車で戻る途中、真田から電話があった。


『すまん。校長から言われていたんだけど、明日の14時に草山さんってお客さんが来るらしいから、その時間は部室にいるようにしておいてくれないか? もちろん無理なら結菜ちゃんとか後田とかでも構わない』

「あ、いえ、大丈夫ですけれど」


 日曜日なのにやってくるという聞いたこともない来客の名前、陽人は首を傾げた。

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