5月19日 15:03 部室

「あれ、先生、どうかしたんですか?」


 真田が部室に入ってくるというのは非常に珍しい。


 まして試合のない土曜日である。練習しかない日は来なくても良いということになっているのに、わざわざ来たらしい。


 季節は初夏だが、雪でも降るのではないかと思える出来事だ。


「さっき校長室に行ってきたんだが、ちょっと厄介なことになった」

「厄介なことですか?」



 真田が土曜日に来る時点で、それは薄々予測できることではある。


 とはいえ、その中身までは想像できない。


「今週、現代文の仲村先生がいなかっただろ?」

「そうですね。何か病気になったとかで」


 現代文の教師である仲村一裕は26歳ということで、昨春から赴任してきたというから高踏高校の在籍年数は陽人達と同じだ。


「先週日曜日、ちょっと暑かっただろ? あれで熱中症になったらしいんだわ」

「そうなんですか?」


 確かに先週の日曜は30度を超えたという。


 熱中症は猛暑だと増えるイメージがあるが、ある程度以上の気温だと発生する。5月ということもあり、油断して水分補給などを怠っていたのなら、この時期の熱中症もありえなくはない。


「で、俺も知らなかったんだけど、仲村君は野球部の顧問をしていて、それでまあサッカー部に追いつくのは無理にしても、恥じないくらいの成績は残そうと先頭切って頑張っていたらしい」

「そうなんですか」


 抑揚のない返事を返す。陽人だけでなく、後田と結菜も「いい顧問じゃないか。それに比べてこいつは」という視線を真田に向ける。



「俺は『熱心だね~』と感心したんだが、校長は怒ったんだよ。生徒の安全を考えるべき顧問が倒れるようでどうする、顧問失格だ、と」

「あら、そういう方向になったんですか?」


 言われてみるとその通りだが、少し酷な気もした。


「ということで、当面お休みとなったわけだが、もうすぐしたら夏の予選がある。さすがに顧問無しというわけにはいかないので」

「あ、もしかして、真田先生がなる、とかですか?」


 結菜の回答に「その通り」と真田が頷いた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そうなると、こっちはどうなるんですか?」


 野球部の事情は分かったが、お飾りとはいえ顧問が必要なのはサッカー部も変わりがない。真田が抜けるとどうなるのか。


「いや、もちろんサッカー部が第一だと校長も言っている。校長の考えとしては、仲村君はやる気はあるのだし、いずれは戻す。それまではサッカー部と同じようにしたらいいんではないか、と」

「……ということは?」

「サッカー部員の中から、監督・コーチ役を選ぶということですか?」


 後田の言葉に、真田は頷く。



「なるほど、まあ、いいんじゃないですか?」


 陽人はあっさりと答えた。拍子抜けした思いがある。


 そんなたいしたことではないじゃないか。真田のお飾り先が1個増えるだけで、野球部も似たようなものになるだけだ、と。


「その方針は決まったけれど、監督とコーチ役を誰にするかはすぐに決まらないから、今週1週間考えて午前中に決めることになった。俺もそれで仕方なく学校まで来たんだけど」


 そして、「誰だと思う?」と尋ねてきた。


「いや、野球部に誰がいるのか知りませんから」

「もしかして、サッカー部をここまで勝たせたんだから、競技違うけど兄さんにしよう、とか?」


 結菜の言葉に陽人は仰天する。


 確かにそういう理由なら、真田がわざわざ来るのも頷けるが、あまりに荒唐無稽だ。


「いや、さすがにそれはない。ただ、近い話ではある」

「……?」

「サッカー部から南羽を復帰させて、彼に任せたいという話になった」



「……」


 一瞬の沈黙の後、一斉に「えぇっ!?」と大声を上げて立ち上がる。


「あいつも野球だと結構作戦とかうるさかったらしいんだよ。それを色々聞くものだから去年の3年に煙たがられて『来るな』みたいな話になったらしくて。元々野球に詳しいし、サッカー部で学生監督がどんなものか分かっているだろうから、2匹目の泥鰌がいるんじゃないかと」

「いや、しかし、自分のところが追い出した部員を、昔いたんだから戻ってきてくれとか、そんなこと言います? 自分勝手過ぎません?」


 結菜はさすがに不機嫌に文句を言う。真田も頷いた。


「うん、俺もさすがにそれはないだろと言ったんだけどね。ただ、当時の面々はもういないし、それに南羽はサッカー部でもレギュラーでは無いからという話もあって」

「レギュラーとかそういう問題じゃないでしょう。それに立神さんが代表で不在になる時もあるから、サポート役としても必要です!」


 文句を言う結菜を陽人が制止する。


「……聡太には言ってあるんですか?」

「いや、まだ言っていない。サッカー部と野球部が喧嘩するくらいに反対するなら、どちらにとっても良くないし、俺が向こうに言うよ」

「……でも、向こうは戻ってほしいわけですよね」


 そういう話があった、となればいずれ本人も知ることになるだろう。


 南羽本人の意向は分からないが、もし未練がある場合、こんな話が後であったと知れば良く思わないはずだ。


「選手が絶対というのも変なんでしょうけれど、心が離れたなら他の者にも迷惑がかかります。聡太に考えさせるしかないですね」

「……分かった。終わるのは五時だっけ? その後で南羽に話をしておくよ」


 真田はそう言って、部屋を出て行った。



 部室がしーんと静まり返る。


「頭の痛い問題が多いな」


 後田の苦笑に、陽人も苦笑する。


「……まあ、インターハイ予選の前で良かったよ」


 もし、こういうことが全国大会の直前の時期に起きていたら、目も当てられないことになった。


「でも、こうなるとラグビー部も俊矢を返せ~とか言い出すかもしれないな。サッカー部が取ったわけじゃないんだが……」

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