5月5日 10:46 高踏市内・病院



 聖恵が順番を待つ間、末松が陽人とのやりとりを話し始める。


「この前、守備のことを話したんだけど、攻撃と守備を区分するのは全く意味のない話だと言われてしまった」

「意味がない?」

「つまり、どの局面が攻撃で、どの局面が守備なのだと。ボールの有無で攻守が決まるのか、例えば相手がボールを持っていて、こちらのプレスがきっちりハマっていてカウンターが出来そうな時、こちらは攻撃しているのか守備をしているのかと」

「……全部合わせて一つの局面だ、と?」

「一つじゃなくて、無数の局面の連続なのだと。野球のような競技は攻守があるが、サッカーには攻守はない。宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘する時、どちらが攻めてどちらが守っているというのだ、と」


 難しそうな話だが、陽人が剣術の漫画かドラマでも見ているのではないかということは想像がついた。



「で、俺は聞いてみたんだよ。剣術は分からないけど、武術漫画の『北斗の拳』に構えが防御どうこうという話があったんじゃないか、と」


 言い返したらしい。大した根性だと聖恵は感心する。


「でも、構えはフォーメーションみたいなものだけど、実際に殴ったり蹴ったりしている時には攻守はやっぱり無いんじゃないか? そうなると攻守というより、味方保持、相手保持、こぼれ球などどちらも非保持の3パターンがあるのかな。あとはセットプレー」

「おまえ、一度天宮さんと話したらいいんじゃないか?」


 末松も感心したように言うが。


「ただ、セットプレー以外は結局関係ないらしい」

「関係ないのか」

「更に、構えの部分に関しても本当に必要なものなのかという話をしていた。また剣術や武術の話に戻るが、こういうのって無駄を省略した無に近いものが強いという。それなら、フォーメーションも限りなく省略すべきではないか、と」

「フォーメーションを限りなく省略? どういうこと?」



 確かに局面局面で変わることがあるとはいえ、サッカーにおいてシステムは不可欠だ。


 個々の監督で意味合いは多少異なるが5バックとなれば守備的で、3トップならウイングを配した形という共通の理解がある。


 確かにフォーメーションのないサッカーも経験がある。子供の頃にやった、全員がひたすらにボールに群がるだけのサッカーだ。


「もちろんそれとは違う。ただ、サッカーというのはスペースがあり、役割があり、ボールと人がある。そこにフォーメーションを介在させる必要はないんじゃないか、と」

「つまり、最初に言っていたコンセプトが全てということなのか?」


 細かい戦術よりコンセプトが優先する、陽人はそう言っていた。


 事実、コンセプトを意識したうえで犯したミスについては陽人は何も言わないし、練習でもとことんまでパニックに追い込もうとする。


 とはいえ、フォーメーションまで無視するとなると選手はどう動けばいいのか。


 基軸となるポジションがあるからこそ、周囲との距離感、スペース、マーカーを把握できるのではないだろうか。



「いくら何でも無理じゃないか。大混乱を来すぞ」


 聖恵はそう結論づける。「おまえ達のポジションはない、状況に応じてプレーしろ」などと言われても動きようがない。


「そう思うだろう? ところが大混乱は必ずしも悪いことではないんだ」

「はぁ?」


 段々と話が禅問答めいてきた。


「こちらも相手も大混乱するなら、悪い話ではない。何故なら、混乱に慣れているのはウチだからだ」

「それはまぁ、そうだが……」

「そうしたものを目指して、夏までに形にしたいらしい。『形のないものを形にするのも変な話だが』とか言っていたけど」

「夏まで!? ということは、総体ではやる、と?」


 昨季、とんでもない戦い方を引っ提げて4強まで進んだ高踏高校が、実質2期目の総体で正体不明の新しい戦い方を披露する。


 相手の衝撃は半端ではないだろう。



「さしあたりそこを目標にするらしい」

「信じられないなぁ」


 総体予選に関しては有利な立場にはいる。極論すれば、深戸学院以外は気にしなくて良いくらいの立場だからだ。


 とはいえ、本戦まで3か月。聖恵はもちろん、誰も想像できないようなことを実践できるのか。


「あと、全部同じことしかやらないなら、2年が有利だ。新しいものも取り入れて1年と2年がイーブンにできるようにもしたい、らしい」

「予想もつかないことをイーブンにされても……」

「そう思うだろ? あの人の考えることはさっぱり分からない。サッカーの話で宮本武蔵が出てくるあたりで理解不能だ」

「その場で北斗の拳を持ち出したおまえも結構理解不能だと思うけど……」


 答えたところで「聖恵さーん」と呼びかけられた。


「おっと、出番だ。ま、どうなるかしばらく練習を見るしかないんじゃないか」


 結局は今後どうなるかだ。


 昨年の高踏の躍進を考えると、本当にそんなことができるのかもしれない。予想もつかない話ではあるが、こんな無理難題に挑んでみるなんてことは、他の高校ではできそうもない。


 その特別感がモチベーションになれば、日々の練習の効果が更に上がる。ひょっとしたら、そういう効果も狙って末松に「全く新しいことをやる」と言ったのかもしれないと、聖恵は思った。

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