4月11日 16:36
16時、授業が終わり、夕方の練習が始まる。
陽人も当然、そこに向かうつもりだったが。
「おお、天宮、ちょっと校長室に来てくれるか」
顧問の真田が教室にやってきた。周囲の生徒の視線が集まる。
「……どうしたんですか?」
「日本代表の監督が来ているんだって」
「代表監督!? 森口さんが?」
「いやいや、そっちじゃないよ。伊吹さん」
「あぁ」
言われてみればそうである。
いくら何でも高校二年のサッカー部にA代表の監督が見に来るはずがない。
とはいえ、U20の伊吹が来るだけでも凄いことである。
校長室で待っていた伊吹悟は日頃は現場の人という立場を強調している。練習も試合ももちろん、会見やインタビューもジャージー姿で受けている。だから、陽人はジャージー姿しか知らないのだが、さすがにこういう場への訪問はスーツ姿だ。
特任コーチの河野とセンターバックでコンビを組んでいたこともあるらしいが、便利屋的だった河野と異なり、伊吹は正統派の長身センターバックだった。現役時代の身長が186センチ、体重は今は100キロくらいあるのだろう、そんな人物のスーツ姿には圧倒されそうになる。
「初めまして、伊吹です」
そんな彼から差し出された名刺には「U20日本代表監督」としっかり書かれてある。陽人は小さくない感動を抱くが、一方では。
(仮に辞任したり解任されたりしたら、この名刺ってプレミアムつくのかな)
と、思わず不謹慎なことを考えてしまう。
「天宮陽人です」
「突然の訪問、申し訳ない。今日は静岡と名古屋で打ち合わせなどをしていたのだけど、時間が余ったのでね。立神翔馬を見るついでに、噂の高踏監督とも話をしようと思ってやってきた」
「あぁ、いえ、代表監督が練習見物に来ていると知れば、他のみんなもやる気になると思いますので」
校長室で自分だけが会っても仕方がない。
選手の皆に「日本代表監督が見に来ている」と思わせるだけでやる気になるはずだ。
「うん、もちろん、練習も見に行きたい。早速行こうか」
普段はトレーニングも兼ねてグラウンドまで走っていくが、さすがに代表監督と行動となると一緒に車に乗るしかない。
車内での最初の話題は立神についてのものだ。
もっとも、「調子はどうかな?」と聞かれても気の利いた答えは浮かんでこない。
「悪くはないと思います。試合は週末ですので、まだコンディション数値は測っていませんが」
ありきたりな答えをすると、伊吹が目を見張る。
「コンディション数値も測っているのかい?」
「春休みに血液の酸素濃度で調べる装置はもらいました。ただ、翔馬と希仁はちょっとそういう能力がおかしいので、あまり調べる意味もないんですけどね……」
「それは頼もしい」
校舎から練習場は近い。笑ったところで、早くも見えてくる。
グラウンドに着くと先に来ていた一年組が個人サーキットやロンドなどをして体を温めている。
何人かが陽人と、隣にいる伊吹に気づいた。
「みんなも知っていると思うけれど、U20の伊吹監督が来てくれた。せっかくなので挨拶していくといい」
そういうまでもなく、全員の目がそちらに向いているし、すぐに列をなして伊吹の前に並ぶ。
伊吹はそんな一人一人に対して笑顔を絶やさず「頑張れ」と声をかけている。選手個々人は感動しているし、陽人も少なくない感銘を受ける。
ただ、一方で冷静に考えもする。
(1人でも邪険に扱って、そいつが「こんな扱いを受けた」なんて書いたら反対派が騒ぐかもしれない。無視するわけにはいかないだろうし、な……)
そう考えると、駅前にいる選挙の立候補者のようにも見えてくる。
(代表監督と言っても、サッカー以外のこともしっかりやらないといけないし大変だな)
更にA代表の監督ともなると、スポンサーや一般メディアとの付き合いという仕事も加わってくることになる。
「俺達はプロではないから別に多くの人に知ってもらう必要はない。変なこと書いたら学校の評判が下がるし、予定を書いて誰かにつけ狙われたら溜まったものじゃない」と言い切り、公式SNS開設話を全て断っている陽人には想像もできない世界だ。
程なく二年組もやってきて、立神と瑞江、陸平も現れた。
さすがにこの3人に関しては現実的に招集する可能性があるのだろう。他の選手とは比べものにならないほど、話が長くなっている。
もっとも、さすがに起用法、選考の序列までは語られていない。そんなことまで話して、うっかり誰かが聞いていて漏らしたら大変なことになるからだろう。
挨拶が終わり、グラウンドの脇に移動した。練習風景も見ていくのだろう。
陽人は他者に合わせて何かを変えることはあまりしない。ただ、さすがに代表監督が来たので練習メニューを変えることにした。
本来の予定は海外トップチームの模倣であったが、あの練習は個々人が奮起できる要素が少ない。せっかく伊吹が来てやる気になっているのだから、頑張っていいところが見せられるような練習が良いだろう。
ということで、ボールを使った紅白戦と、7対6の変則的な状況トレーニングを行うことにする。
しばらく眺めていた伊吹が陽人の方を見た。
「ボールを使った練習をメインにしているのかい?」
練習方針について質問してくる。
「……いえ、ボールを使わない練習も行いますよ」
「ウェイトトレーニング?」
「それもしますが、試合形式のもあります」
「ボールを使わずに試合形式?」
「はい。海外のトップチームを参考にポジショニングだけ徹底したり、テニスボールで投げてもオーケーな形式で練習をしてみたり」
「……ほう?」
「ボールを使ってしまうと、どうしてもそのスピードを意識してしまいますからね。もちろん試合ではそのスピードになるしかないのですが、そればかりだとより上のイメージが持ちにくいので、理想のスピードはこれなんだ! もっと速くできるんだ、ということを体感できるようなメニューを考えています」
「なるほど、凄いね」
伊吹は感心したように頷いて、続いて予想外の質問をしてきた。
「天宮君は今後、どういう進路を考えているんだい?」
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