4月11日 高踏高校校舎
もう一度、見かけたらまた話をしてみよう。
稲城希仁は末松至輝についてそう考えていたが。
案に相違して、その日の昼休み、相手側からやってきた。
高踏高校のクラス分けは1年こそランダムだが、2年生以降は多少成績が加味される。
2年A組に基本的にできる生徒が集結し、G組には成績の低い生徒が集まる。
「稲城さん」
A組の昼休み、稲城が弁当を開こうとしたところで卯月に呼びかけられた。
教室の入り口を指さしており、そこに朝に見た生意気そうな風貌が見える。
「……分かりました」
弁当を持ったまま入り口へと向かう。名札に末松とあったから、間違いないようだ。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「構いませんよ。ただ、お昼ご飯を食べたいので、屋上なり校庭なりで良いですかね?」
一年の末松より、二年の稲城の方が丁寧な口調である。
人によっては「嫌味か」と思わせるほどへりくだっているが、稲城には別に悪意も邪気もない。
2人は校庭のベンチに腰掛けた。稲城は自分から話すつもりはない。相手の言葉を待つ。
早速末松が話し始める。
「稲城先輩は、中学時代にボクシングで無敵だったらしいっすね」
「無敵というほどのものではないですよ~。1人厄介なのがいまして、倒し切ることができませんでしたからね」
「でも、全部勝ったんですよね?」
「そうですね……」
「それだけ強かったのにやめろ、って言われて、悔しくなかったんですか?」
稲城は思わず、「おっ」と声をあげた。
止めるに至った経緯まで知っているということにやや驚いたのである。
「どこで調べたんですか?」
「選手権で言っていましたよ。中学時代は無敵のチャンピオンだったけれど、家族の勧めでやめたって」
稲城は軽くのけぞった。
「テレビはそんなことまで調べているんですね。で、質問の答えですが、特別悔しいとは思いませんでしたね」
「つまり、先輩はボクシングが好きではなかった?」
「いや、好きですよ」
「それでも止めることに抵抗がなかったんすか?」
「サッカーと違いまして、ボクシングは一つ間違うと危険な競技ですからね」
「死ぬかもしれないと言われたわけっすか?」
末松が身を乗り出した。その態度を見るに、彼自身、似たようなことを言われたのかもしれない。
「いや、おまえが本気でやれば、そのうち相手が死ぬかもしれないからやめてくれと言われましたよ」
「……」
「ただ、ボクシングって、ボクシングだけやって強くなった人はそんなにいないと思うんですよね。アメリカやメキシコのチャンピオンには刑務所に入っていた人もいますし、ジョージ・フォアマンは一回引退して10年くらい牧師をやっていましたが、その後にもヘビー級の世界王者になりましたからね」
「つまり、何が言いたいかと申しますと、道はいくらでもあるわけです。地道に積み上げていってもいいですし、少し寄り道しても構わないのではないかと。そもそも寄り道が寄り道であるわけでもありません。私もサッカーやるようになって、ボクシングにも活かせそうだなぁと思うことは一杯ありますしね」
「そのうちボクシングに戻るつもりなんですか?」
「いやぁ、どうでしょう。親は法曹に行ってもらいたいようですし」
稲城の名前である希仁は、中国の名裁判として名高い
「将来を決めて、がむしゃらに走るのも良いのでしょうけれど、迷いつつ行くのも別に悪いことではないんじゃないですかね。もちろん、その場その場でベストは尽くしたいですが」
そう言って、反応を待つ。
末松はしばらく前を見据えていた。
ややあって、大きな溜息をつく。
「別の道を行くのも一つの手でしょうし、選手としてバリバリやらずとも監督やコーチの補佐をすることもできますしね。怪我などで若くして引退してコーチ業に進む人も多いらしいじゃないですか」
「そうっすね。ただ、高校一年からそういう役割ってのは聞いたことがないす」
「天宮さんは一年の時から実質的に監督ですよ。高踏高校には他に監督ができる人がいないですし、天宮さんが引退した後、誰かが監督にならないといけません」
「……いるんすか?」
「今のままだと、天宮さんの妹になりますかねぇ」
「……ここも変なところっすね」
「変なところと言いますか、道は一つではないということです。末松さんもここに来るということは勉強もしたのでしょうし、色々考えてみると良いのではないでしょうか」
しばらく無言のまま、時間が流れる。
稲城は食べ終わって、末松の方を向いた。
「もう良いですかね?」
末松は大きく頷いた。
「はい。色々参考になりそうです。ありがとうございました」
返事に稲城は笑って、「それじゃ、また」と言い残し、教室へと戻っていった。
※包拯(999~1062)
中国・宋代の政治家。名裁判官として名高い存在。
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