4月11日 7:33 高踏高校グラウンド

 高踏高校サッカー部で朝一番に部室に来る者といえば、候補は四人。


 天宮陽人か、稲城希仁、立神翔馬、マネージャーの卯月亜衣だ。


 この日のトップは稲城だ。朝六時半、明るくなった山道を自転車で登ってくる。


 部室を見ると電気はついていない。


「今日は一番だったようですね……」


 と独り言を言い、最近タイム記録をとっているアトラクションドリブルに向かう。瞬発力やスピード自体は速いが、技術にはどうしても限界があるため、メンバーの中ではスコアは下の部類だ。


 他人の目があまりないうちにこっそり特訓したいのであるが。


「おや?」


 先客がいることに気づいた。


 誰もいないグラウンドをぼんやり眺めている者がいる。


 顔には見覚えがない。短髪が立っていて、少し生意気そうに見える風貌をしているが、高踏の生徒のようだ。



 稲城は少し離れた場所で自転車を止めた。


 相手はグラウンドをかなり真剣に見ているようで気づかない。


 軽い足取りで相手に近づくことは慣れている。やや悪戯っぽく背後まで回り込み。


「おはようございます」


 と声をかけた。


 相手は完全に不意をつかれたようで、「うわぁ!?」と叫んで後ろを向いた。


「入部希望ですか?」


 こんなに朝早くからグラウンドを見ている以上、入部希望なのだろうと考えた。おそらく、入学式に何かの理由で入りそびれて、どうやって近づけばいいのか考えているのだろう。


「違います」


 しかし、待っていたのは即答でも否定だった。



 稲城は首を傾げた。


 そんなことはないだろう、直感はそう告げている。


 とはいえ、相手が「嫌だ」というのに無理に「入ろう」と言うわけにもいかない。


「おっと」


 どうしようかと考えていると、すぐに陽人の姿も見えてきた。


 自分があれこれ言うより、陽人の方が良いだろうと思い、稲城は一旦引き下がることにした。



「おはようございます」

「ああ、おはよう……」


 挨拶をした後、陽人はけげんな顔をする。


「随分、変なところから出てきたけど、何かしていたのか?」

「いえ、グラウンドをあそこに眺めている人がいたので」


 稲城はそう言って振り返るが、そこには誰の姿もない。


「おっ……いなくなってしまいました」

「こんなに朝早くにか?」

「そうなんですよ。入部希望者かなと思って聞いてみたら、違うと言っていました」

「あぁ、ひょっとしたら」


 陽人には思い当るものがあるらしい。


「その子が末松至輝なのかもしれないな」

「末松至輝?」

「二年前に豊橋の中学地区でMVPを取った選手らしい。真治や司城と似たタイプで前のポジションなら大体できて、点も取れるし、パスも出せるタイプと」

「それは羨ましい」


 私は走るだけですからね~と、稲城は自嘲気味に笑う。


「ただ、去年はチーム方針で揉めたりして外されたうえに、腎臓が悪くなって手術を受けたらしい。だからとてもサッカーどころではなくなったらしい」

「今も悪いんですか?」

「そこまでは分からない。さっきの話にしても、マネージャーがネットで拾い上げたものを集めたものだから、正確ではないかもしれないし」

「ネットは便利ですけど、怖いですよね~」


 自分も高校進学した後、圧倒的に強いと言われていたボクシングをやめた経験がある。


 その突然の引退について一部で様々な憶測がささやかれていて、記事にもなったことがあるらしい。しかし、実際に自分にそのことを聞きに来た者は1人もいない。


 末松もそうなのだろう。サッカーはボクシングより更に関心が高い競技である。より大きく憶測が広がったとしても不思議はない。



「去年の耀太の時もそうだったけれど、結局本人次第だと思うし、彼の場合は病気が絡んでいるだけに、ますますこちらからやってくれとは言いづらい」


 陽人の言うことはもっともである。


 練習中に重篤な事故が起きる可能性だってある。AEDは置かれてあるし、近くの病院との連携体制については取られてあるが、全てに即応できるという保証はない。


 それに本人に迷いがあるのにプレーさせた場合、周囲との足並みを乱すことになる可能性もある。



 ただ、稲城は思う。


 先ほど見ていた生徒が末松であると決めつけることはできないが、仮にそうだとするとグラウンドを見る視線には未練のようなものを感じさせた。


「もう一度見かけた場合には、個人的に話をしてみようとは思います」

「……それはもちろん構わないよ」


 陽人も了承した。


「サッカー部のメンバーで末松と一番話をしやすいのは、多分希仁だろうし」

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