4月2日 10:15 高踏高校グラウンド

 高踏サッカー部顧問・真田順二郎は午前9時半に到着した。


 といって、やることがあるわけではない。少し離れたところから練習の様子を手持無沙汰に見ているだけである。


 グラウンドでは一風変わったことをやりはじめた。それについても特に思うところはない。また、変わったことをやり始めたなぁくらいの認識である。


 あまり集中して見ていないうち、グラウンドの方に近づくスーツ姿の男が見えた。


 選手権が終わって以降、サッカー部の警備体制は強化されていて、24時間の警備体制(もちろん深夜早朝はカメラのみだが)が敷かれている。


 だから放置しておいても問題ないだろうが、念のため注意に行くことにした。


「あ~、すみませんけど、ここから先は関係者以外……」


 声をかけると、スーツの男……少し茶髪の入った長髪の男は、恐縮した様子で尋ねてくる。


「あ、いえ、ここは高踏高校のサッカー部グラウンドですよね?」


「そう。だから関係者以外立ち入り禁止なの」


「一応、関係者なのですが……」


 と、男は名刺を出す。


「……愛知県サッカー協会嘱託職員・河野和一朗?」


 それっぽい名刺である。県のサッカー協会職員となると正当な理由であることは真田にも理解できるが、一方で以前、嘘の立場を騙って入り込もうとしたものもいる。肩書だけで安易に信用してよいものでもない。


「一応、確認しますよ」


 と、校長の携帯に電話をかける。


 普通の教師は校長の携帯電話を知らないが、今や何が起こるか分からないサッカー部である。いざという時にすぐ連絡が取れるようにと、教えてもらっていた。



『もしもし?』

「あ、校長先生。何か愛知県サッカー協会嘱託という人が来ているんですが」

『あぁ、今日の午後、ここに来ることになっているよ』

「……いえ、今、いるんですが」

『おや?』


 校長が驚いているが、真田にとってそこは驚くほどのことではない。学校までの山道を登る途中、グラウンドがチラッと見えたから、校舎を無視して登ってきたのだろう。


「名前は分かりますか?」


 どうやら本物らしいと判断したが、念のため名前も確認する。


『えーっと、河野和一朗という人だね』

「分かりました。じゃあ問題ないようです」


 真田は電話を切って、河野に謝る。


「失礼しました。迷惑な取材なども多いものでして」

「いえいえ、分かりますよ」


 河野はあまり気にしていないようだった。



「中々、面白そうなことをやっていますが、あれはどういう練習なんですか?」


 河野が真田に問いかける。


「いや、僕はサッカーについては素人なので。ああいうのは全部天宮を中心に部員が考えるんですよ」

「それは聞いていますが……」


 河野は困惑の表情を浮かべた。さすがに顧問が全く知らないという事態は想定していなかったらしい。


 真田もその表情から大体のことは察した。


「あっちに筆頭マネージャーがいます。彼女に聞けば分かるでしょう」


 と、説明責任を卯月に丸投げした。



「それでは」


 と河野は卯月に向けて歩き出した。


 しばらく見送っていたが、よくよく考えれば卯月たちにとっても河野は初対面である。


 紹介はしなければいけないだろうとついていった。


「おはようございます」


 河野が卯月に声をかけるが、卯月は練習をチェックしていて視線を向けない。


「……すみません、今、目を離せなくて」

「そのままでいいよ。これはどういう練習なんだろう?」

「そうですか? この練習は天宮さんが言うには」


 卯月は視線を変えることなく、意図を説明した。


 真田には何のことだかさっぱり分からないが、河野は「なるほどね」と頷いている。



 ピッチに目を落とすと、赤の1番がボールを持っている。どちらかというと野球部にいそうな丸刈りの1番は、細かいタッチでスルスルと青と緑の選手をかわしていく。


 5人、いや、6人まで抜いてシュートを打つ。見事に決まり、卯月が得点を記録しつつ名前を確認した。


「赤の1番、加藤賢也……」

「中々すごいのが入ってきたね」


 さすがの真田も、ドリブルからのシュートの凄さは分かる。頼もしい新人が入ってきたと思ったが、隣の河野は「うーん」と唸って首をひねっている。


「ダメですかね?」

「あ、いえ、ドリブルは素晴らしいのですが、意識が自分の半径何メートルかに全部向いているようにも見えますね。こういうスタイルの練習だから自分周囲に全集中しているのなら良いのですが、いつもそうだと、ドリブルでかわすことに熱心になりすぎて近くの味方に気づかない、ということがありうるんじゃないかと」

「……そういうものなんですか?」


 意識がどこに向いているかということなど、真田には全く分からない。


「自分の経験上、そういうタイプが多かったようには感じます。こちらがフォローしようと動いても、向こうは全然こちらを見てくれていないわけですね。もちろん、今のプレーを見ただけの印象なので、断定はできませんが、もう少し見てみたいところですね」


 河野の言葉に、卯月が説得力のある言葉を添えた。


「確かにドリブルがあれだけ物凄く凄くて他も凄い人なら、誰か知り合いの誘いでもない限りここには来ないと思います」


 見たところ加藤は誰か知り合いがいる様子には見えない。


 となると、サッカープレイヤーとしては何か問題があるから、高踏高校に来たのではないか。


 そう言われると、頷くしかない真田であった。

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