高校二年編

新入生と代表離脱

4月2日 8:07 樫谷市内・藤沖家

 4月1日。


 入学式を一週間後に控えたこの日の朝、藤沖亮介は携帯電話の着信で起こされた。


 時計を見ると、まだ8時だ。


「誰だよ、休日の朝から……」


 毒づきながらテーブルに置かれた携帯電話に近づいた藤沖は、着信主を見て、慌てて電話を取る。


「おはようございます。佐藤さん」

『やあ、朝からすまんな』


 深戸学院の監督・佐藤孝明である。


「いえ、構わないですが、どうしたんですか?」

『昨日、年度末の県サッカーの役員会があったんだが、ちょっと変な話が出ていたんで、一応聞きたいと思ってな。夜に電話をかければ良かったんだが、打ち上げがあったりして忘れてしまった』

「打ち上げご苦労様です」


 だからと言って、8時でなくてもいいだろう。


 もう少し遅い時間でもいいじゃないかと思うが、先輩である以上、試合以外では中々逆らえない。


「どんな話なんですか?」

『協会から高踏高校に特任コーチを送るという話なんだが』



 一瞬置いて、藤沖は素っ頓狂な声を出す。


「はぁ? どういうことです?」

『だから、特任コーチだ』

「一体何だってそんな話に?」

『この前のU17の合宿だよ』


 佐藤は当たり前のように話すが、藤沖は役員でも何でもない。


 明日から久しぶりに樫谷高校の監督に復帰する身である。その準備に追われて、世代別代表まで追いかける余裕はない。


『高踏組の三人、特に立神翔馬がかなり評価を上げたようでな』

「あぁ、確かに彼はあんまりいないタイプですからね」


 高踏高校の中心選手三人、瑞江、立神、陸平はそれぞれ高い能力の持ち主であるが、瑞江のような速さと技巧に優れたストライカーや、陸平のような中盤の選手は他にも大勢いる。今後絶対に必要不可欠な選手であるかというとそこまでは言えないかもしれない。


 しかし、サイドバックでフィジカルが高く、おまけに長短のフリーキックまで蹴ることができる立神のような選手は少ない。


『ということで、立神の指導には力を入れたいという話になったのだが』

「高踏高校はどんな指導体制かも分からないうえに、監督が同い年の高校二年。不安だという話になったわけですか」

『そうだ。それで、技術指導も兼ねて特任コーチを土日に送ることにするという話になった』


 うわぁ。藤沖は思わずそんな声を出す。


「当然、高踏高校の了解はないですよね?」

『これから話をするらしい。どうなのかねぇ?』


 形式的には高踏高校の前任監督として何か知らないか、ということのようだ。



 端的に言うと、少なくとも選手権以降のことは分からない。


 新人戦は初戦から決勝まで4点以上奪う圧巻の勝利を見せ、来る新シーズンの県サッカーの中心は高踏で展開されるはずだ。


 そこにこの特任コーチである。


「……天宮君は高校生らしくなく、誰かを前に立てて自らは黒幕として動きたがるところがありますからねぇ。コーチが来る話自体は乗る可能性があります」


 天宮陽人は少なくとも監督として取材を受けたがるタイプではない。


 真田順二郎のような存在でも重宝していたのである。専任コーチが来るとなれば、それを隠れ蓑にするかもしれない。


 そのコーチが真田のようであればそれでも良い。


 しかし、そんなやる気のないコーチをサッカー協会が送り込んでくるはずがない。


 下手すると、高踏高校サッカー部に内紛が起こるかもしれない。


「……ちなみに誰なんですか?」

河野和一朗こうの わいちろう

「……3年前に引退した、あの河野和一朗?」


 誰もが知るスター選手ではない。ただ、幾つかのチームを渡り歩いたいぶし銀プレイヤーとして記憶している。J1でのプレーは2、3シーズン程度だったはずだが、J2での通算試合出場は200を超えていたはずである。


 あちこちのチームを渡り歩いた経験もあるから、将来的には良いコーチになるかもしれない。いや、実際に今でも良いコーチかもしれない。


『そうだ。人選としては悪くないが、高踏に行ったら、コーチングを巡って主導権の取り合いになる可能性がある』

「ですね……」


 コーチング実績は知らないが、歴戦の強者である河野が、高校二年の陽人より下の地位に甘んじるとは思いづらい。


 とはいえ、高踏高校は陽人のとんでもない感性が作り上げたチームである。


「天宮君は若さゆえ、というのもあるのでしょうけれど、頭のネジが何本か飛んでいるのではないかというくらい無謀なこともしますからね。堅実ないぶし銀の河野とは水と油なのではないかと思いますが」

『俺もそう思う。ただ、河野はU20の伊吹監督と関係が良いらしい』

「……あぁ、U20でも立神を呼ぶかもしれないわけですか」


 そうなると、鍛えるのももちろん細かな情報も欲しいということなのだろう。


 強豪校なら名誉に感じて専属スタッフをつけて情報提供をするかもしれないが、進学校の高踏高校がわざわざそんなことをするとは思えない。


 だから、確認のためにコーチをつけるということだろうが……


『一応、聞いておいてくれないか? 高踏高校が混乱するのは短期的には得かもしれないが、長期的には損だろうからな』

「……でも、こちらも新監督なんですけど?」


 自分のチーム以外のことに時間を使いたくないという思いはある。


『樫谷ならすぐに掌握できるだろ? とりあえず高踏がどういう考えなのか確認してくれ』


 しかし、先輩にここまで言われると断る術はない。


 やむなく承諾して電話を切った後、藤沖は「面倒だなぁ」と溜息をついた。

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