3月1日 12:30
3月1日。
この日、高踏高校の体育館では卒業式が行われている。
一年生である陽人達は特に参加を義務付けられることはない。いつものようにサッカー部の部室で練習映像を研究している。
結菜達受験組の姿はない。
受験の発表は一週間後、3月8日である。
大丈夫だろうとは思っている。
とはいえ、さすがに直前まで部室にいて、それで不合格だとショックが大きすぎるだろう。だから、受験の後は確定するまでは来ないようにと通知をしている。
従って、映像を見るのは陽人と後田の2人、他はグラウンドで練習をしている。
昼が近づいてきた頃、ドアが開いた。
「卒業式の日もやっているんだな」
入ってきたのは甲崎だ。手に卒業証書の筒を持っているところを見ると、もう式は終わったらしい。
甲崎の目標は地元の国立大学だが、その結果はまだである。私立は地元と関西の名門に合格しているので、浪人ということはないらしい。だから表情にも余裕がある。
「ここに来るのも今日で最後だ。といっても、僕には大きすぎる部室だったけどね」
そう言って、部室を見渡す甲崎の顔には苦笑が浮かんでいる。
「そう思っていたのだけど、気づいたらサッカー部はこの部室に見合うくらいに大きくなっていた」
「でも、それは甲崎さんのおかげですよ」
後田が言う。
まさにその通りで、一年前、陽人と陸平に対して「藤沖監督が来たら、二年より上の部員はついていけないから、新一年だけでやったらいいよ」と甲崎が言ったことから、この躍進が始まった。
甲崎が新一年に集中できる環境を整えてくれたことが非常に大きい。
更に、多忙ゆえに総体予選の登録を忘れた結果、選手権まで未知の存在でありえたという点も結果的には貢献だったと言えるだろう。
「甲崎さんが普通の上級生だったら、高踏は県予選本選にどうにか出られたくらいだったんじゃないかと思います。甲崎さんがいたからですよ」
甲崎は「うれしいね」と照れ笑いを浮かべた。
「そう言ってくれると先輩冥利に尽きるよ。あるいは僕が朗報を持ってきたことを知っているのかな?」
「……朗報ですか?」
今度は陽人が問いかけた。
甲崎は大きく頷く。
「サッカー部の形式的な主将としては最後の仕事になるかな。ラグビー部と話してきた。彼らは4月からは学校側の運動場に移ると言っている。全国四強まで行ったチームと同じ二面を使うのは、色々体面が悪いんだってさ」
「ということは、4月からは全部使える?」
「多分明日から使えるんじゃないかな?」
それはすごい、と後田が嘆声をあげるが、一瞬後には首を傾げる。
「でも、22人しかいないのに、グラウンドが四面あっても仕方なくないですか。もちろん、4月になれば新入生が入るのでしょうけれど」
既に1月の時点で6人ほど、現時点では15人ほどの加入希望が来ている。
全員が予想通りに入れれば、37人だ。かなりの人数になるが、それでも四面も必要とは言いづらい。
環境が良くなるのはありがたいが、グラウンドが大きすぎるのも問題だ。全員を見ることができなくなる。
それは陽人も同感だが、違った考えもある。
「もし、それでいいのなら、一面は敢えて悪い状態にしましょうか」
「悪い状態?」
甲崎がけげんな顔をした。
「選手権で感じましたが、やはり冬場はピッチが荒れてきます。そうした環境に慣れたいというのもありますし、雨が降ることだってありますしね。違う条件のグラウンドを用意して、練習のバリエーションを増やすのも手かな、と」
甲崎は「ほお」と声をあげる。
「なるほどね、やはり全国四強監督は考えることは違うなぁ」
「やめてくださいよ」
甲崎の言葉に、陽人は苦笑する。
「4月からは大学だから、簡単には来られないと思うけど、全国に出たら応援に行くよ」
「いやあ、そうそう全国を期待されても……」
「ま、頑張って」
陽人の言葉を待つことなく、甲崎は肩を叩いて、そのまま部室を出て行った。
入れ替わるように外から声が聞こえてきた。
誰か戻ってきたのかと思ったら、違った。
「ちわーっす! 先輩、挨拶に来ました」
と入ってきたのは、司城蒼佑だ。
「いや、まだ先輩と決まったわけじゃないよ」
あまりにもフライング過ぎないか、という陽人に対して司城は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「大丈夫っす。俺、こう見えて、学校では常に5番以内でしたんで。ウチの親、厳しいんで勉強しないならサッカーするなって言われていたんですよ」
「へぇ……」
学内5番なら内申点も良さそうだ。余程の失敗をしなければ大丈夫だろう。
「しかし、何でわざわざ高踏まで来たの? プロになるんじゃなかったの?」
チーム見学に来たニルディアU15の三人のうち、神津洋典と戎翔輝は昇格できなかったらしい。だから、受験に来るというのはまあ理解できる。
理解できないのは、U18への昇格を通告された司城が、それを蹴って高踏に来たことだ。
「俺はプロにもなりたいんですけど、やっぱりヨーロッパでやりたいんですよ」
「それならますますプロに行った方が良くないか? 高校は入れ代わりも激しいし、日程も無茶苦茶だし」
「日程については否定しませんけど、入れ替わりはプロだって同じですよ。ニルディアはここ4年で監督が3人ですよ。つまり、1年で監督が変わって、やり方が色々変わるんです。それなら高校の方が長いじゃないですか?」
「うーむ、まあ」
確かに、陽人が卒業までに監督を止めろと言われることはないはずだ。
その後は、本人が言うように結菜が監督になれば、極端に路線は変わらないだろう。
「それに高踏がこのスタイルで戦っていたら、ヨーロッパでも話題になると俺は睨んでいます。ということは、ヨーロッパにアピールできるチャンスがあります」
「うーん……」
まあ、目新しいということで話題性はあるかもしれない。
「俺達が来るからには高踏はもっと強くなりますし、有名にしてみせます! そうすればウィン・ウィンじゃないですか」
司城がピースサインを突き出して、ニヤッと笑う。後田も笑った。
「そうだね。そうなると、俺達ももっと頑張らないといけないな」
陽人も笑った。
疲れることも、不安なことも多い。
しかし、そこには充実感がある。好きな事に打ち込めるという充実感が。
新シーズン、新しい出会いとともに新たな課題が出て来るだろう。
一方で、新しい可能性も沢山あるだろう。
見えない未来は不安でもあるが、今、この時点では見えない未来への楽しみの方が遥かに大きかった。
高校一年編・完
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