12月31日 13:10

 スタンドの一角で起きた騒ぎは波紋のように全体へと広がっていく。


 離れていた藤沖達のところにも、程なく伝わってきた。


「酔っぱらった客に、高踏の監督が注意したら、そいつがペットボトル投げつけて直撃したらしいよ」

「奥に引っ込んだから、高踏は後半、監督抜きになるの?」

「大丈夫かなぁ」


 少し前の席から、そんな話が聞こえてきた。


 ハーフタイムということで、撮影を止めてコーヒーを飲んでいる辻佳彰が苦笑する。


「これで監督がいないと思ってくれたら、むしろラッキーですね」


 藤沖も苦笑で返す。


「確かにね。真田先生は、試合中はいてもいなくても変わらないし。しかし、酔っぱらった客なんて放っておけば良いものを……」

「真田先生、休み返上でこっち来ているから、それで文句まで言われてムッとなっちゃったんじゃないですか」

「大怪我じゃなければいいんだけど……」


 どことなく呑気な会話を続けているうちはハーフタイムも終わりに近づいてきた。




 選手達が出て来て、おぉっという声があがった。


 藤沖達にもその理由が分かる。


「お、瑞江と芦ケ原を入れてくるのか」


 サイドラインに出て来た背番号7に気づいた観客達から喝さいの声が沸き上がっていたのだ。


『選手の交代をお知らせいたします。高踏高校、背番号9、園口耀太に代わりまして、背番号17、芦ケ原隆義。背番号11、立神翔馬に代わりまして背番号5、颯田五樹。背番号25、稲城希仁に代わりまして、背番号7、瑞江達樹が入ります』


 瑞江のコールにひときわ大きな拍手が起こる。


「狙ってやったわけじゃないと思うけど、大野のゴール直後に瑞江が入ることで、スタンドの人からすると、『こっちもやってくれ』って雰囲気になる。スタンドの雰囲気を西海大伯耆から高踏に引き寄せるという点では、洒落た交代ではあるね」

「兄さんはあんまりそういうことは考えていないと思いますけど」


 良くも悪くも自分の方針を貫いてきたから、ここまで来たのだ。今更、ファンの声に押されて瑞江を起用する、ということはないだろう。


「分かっているよ。ただ、これは西海大伯耆としてはやりにくいんじゃないかな」

「確かにこの展開で決められると、イラッと来ますものね」


 瑞江にだけは決めさせたくない、そういう気持ちにはなるだろう。




 後半がスタートし、藤沖が口笛を鳴らす。


「しかも、瑞江のポジションは最前線ではなく中盤か。西海大伯耆からすると嫌らしいことこの上ないなぁ」


 西海大伯耆の最終ラインとしてみると、瑞江を止めに行くとフォワードがフリーになる。前半は完全に封じ込めていたとはいえ、瑞江に意識を向けてフリーにしてしまうのは危険過ぎる。といって、フォワードを見ていると瑞江がスルスルと上がってくる可能性がある。


「これで戸狩も入ると厄介極まりないね」


 と思った瞬間、笛が鳴った。



「うわ、ちょっとキツく行ってしまいましたね」


 結菜が心配そうにピッチに視線を送る。その先に後半から入ったばかりの芦ケ原が倒れていた。


 パスの出どころに少し迷ったところに西海大伯耆のアンカー・水野のチェックを受けてしまった。パスは出したが勢い余った水野に激しくチャージされてしまったのだ。


 当たった水野は「すまない」とばかりに芦ケ原の様子を気遣っている。どうやら右足を踏んでしまったらしい。審判からのイエローカードにも全く異議を唱えないあたり、やり過ぎたことを自覚しているのだろう。


 芦ケ原は立ち上がったが、相当痛そうではある。久村と瑞江が寄ってきて、ベンチに「×」の合図を出した。


「ありゃあ、替えたばかりの選手がケガすると痛いな」


 藤沖は高踏ベンチを見た。



 ベンチの陽人もさすがに渋い顔だ。


「……隆義がダメとなると、怜喜を中盤に入れるしかないか……」


 と振り返ったところ、陸平がいない。


「あれ、怜喜はどこに行った?」

「えっ? さっき真人と一緒に医務室に行ったぞ。風邪気味だから、薬湯とかないか聞いてくるとか言っていたけど?」

「何だって?」


 後田の答えに陽人は目を丸くした。もっとも、後田の「聞いていなかったの?」という表情を見ると、どうやら聞き逃したのは自分の方らしい。


「……マジか」


 薬湯とかないか、というのは市販薬などを使えばドーピング検査に引っ掛かる恐れがあるからだ。高校サッカーの試合前後にドーピング検査をすることはあまりないが、引っ掛からないならやって良いというものではない。


「呼びに行こうか?」


 武根が声をかけてきた。医務室まで走って「出番があるかもしれないから戻ってこい」と連れ戻すことは可能だろう。ただし。


「ただ、薬湯があるか聞きに行くということは、体調が万全でないんだろうからなぁ」


 風邪気味だという以上、使うことには抵抗はある。



 とはいえ、そんな悠長なことができる選手層でないのも確かだ。


「……真治の交代を切り上げるしかないか」

「了解」


 既にアップしている戸狩がそのペースを速めた。


 あと、二、三分あれば起用できるだろう。


 戸狩の起用時間はできれば30分以内にしたいが、やむを得ない。



 問題は次である。


「……次に前線か中盤がバテたなら」


 ベンチにMF登録、FW登録の選手は残っていない。使ったか、出ているか、医務室だ。


 左サイドなら曽根本が起用できないことはない。


 あとは器用さも持つ林崎を前で起用するか。


「いや、それをやるくらいなら……」


 とまで言って、後田がじっと視線を陽人に向ける。



 そう、実はもう一人MF登録が残ってはいる。



 まだ1分もプレイしていない背番号8が。

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