10月14日 11:55

 控室に戻ると、下田竜也が倒れ込むように椅子に座った。


「きついぃ……」


 無意識的に言ったのだろう。聞こえた者がどうしていいのか分からず、戸惑った顔をする。


 聞こえた者の中に佐藤孝明も含まれていた。


「きついか? 下田」

「えっ、あっ、いや、まだまだ大丈夫です!」


 問いかけると、下田は慌てて首を振った。


「……後半、行けるところまで行ってくれ。早い段階で町岡に替える」

「はい……」

「高踏のパス回しが早いのは分かっていたが、予想以上だった。負担をかけているのは分かるが、後半も頑張ってくれ」

「何で、あんなに巧い奴らが軒並み県立なんか行ったんですかね……」


 絞り出すように言ったのは反対サイドの榊原だ。


 こちらは下田と違って対面が立神であるため、スピードで違いを作り出せず、ボールの出る頻度は低い。その分、下田ほどには走らされていないが、それでもカバー範囲が広いので疲労は濃い。



(全員が軒並み巧いわけではない……)


 コーチも含めて20年ほどのキャリアで、佐藤が見てきた選手は四ケタを遥かに超える。直接指導してきた選手ですら、四ケタに迫る領域だ。


 その佐藤の目をして、瑞江と立神は別格で、園口と陸平も中々のものだが、その他は決して優秀というわけではない。巧さだけで言えば深戸学院の選手の方が遥かに上である。


(ただ、あの速さで回すのが当たり前だと思っている)


 どんな暗示をかけたのか。とにかく高速で回すこと、高速で追いかけることを当たり前と考えていて、そのためのポジション取りを考え続けている。


 その練習だけをしていて、必要な能力は後から次第についてきているのだろう。


 個人の能力を伸ばしていって結果として戦術を高めていく一般的な指導の真逆を行っている。



 視線をずらすと、疲れたと言える下田はまだマシなのかもしれない。中央で更に走っていた新木は座り込んで言葉も出ない。


「……鈴木、後半は頭からだ。新木と替わる」


 そう言って、新木の肩を軽く叩いた。準々決勝では怒りの交代だったが、この試合は全く違う。


「すまんな、おまえの負担を増やしてしまった」


 当初の予定では、最終ラインと陸平にはある程度ボールを持たせてしまうつもりだった。


 しかし、高踏側もそうした対応がありうると想定していたのだろう。陸平と林崎がロングフィードでチャンスを作れるところを見せつけてきた。


 これにより、新木が少なくともロングフィードを出す余裕だけは奪わなければいけないと走行距離を増やす結果となってしまったのである。


「監督……」


 コーチの津下が進言する。


「(鈴木)楊斌ようひんは下田と替えた方が良くないでしょうか? 町岡だと園口に勝てないかも」

「……なるほど」


 鈴木楊斌は一年ながら身長も高く、スピードやフィジカルに優れていて、ダイナミックなプレーを持ち味としている。


 これまで、鈴木のその持ち味はセンターフォワードとして生かされている。守備的に構えた相手を打ち破るのには、ダイナミックで思い切ったプレーが望ましい。


 しかし、この試合の相手は守備的ではない。


 また、深戸は右サイドのスピード差で有利さを有している。下田の控えである町岡は精度の高いキックがあるがスピードは平凡だ。


 もし、ここが互角になれば園口が更に強気に上がってくるかもしれない。そうなると中央を必死に固めていても崩される危険性がある。


 スピードのある鈴木を右サイドに置いて、園口との関係で優勢を維持しておこうというのは一理ある。


 そうなった場合、中央に置くのは陸平と林崎にプレッシャーをかけ続けられる存在が望ましい。



 佐藤はしばらく考える。


門村かどむら、新木と替わって後半頭からだ」


 20番をつける門村学かどむらまなぶは純然たるトップの選手ではなく、2列目で運動量を生かすタイプだ。とはいえ、前半の新木がしっかりとトップで受けられたシーンは全く無かったから、大きな破綻をきたすとは思えない。


「4番と6番をしっかり追ってくれ」

「分かりました!」

「鈴木は下田が限界に達したらすぐに交替だ。15分までには出番が来るから、後半始まってすぐにアップしておけ」

「はい!」

「他は後半の展開にもよるが、すぐに出番が来ると想定しておいてほしい。気持ちを整理しておくんだ」


 佐藤はそう言って控え選手一同を見回した。全員が力強く頷いている。


 満足して、後半に向けての指示を伝える。


「瑞江は新木や下田同様に限界が近いはずだからいずれは落ちてくるはずだが、それでも規格外の存在だから絶対に気を抜くな。全体としては引き続き中でしっかり構えて、奪ったら右サイドを意識すること。ただし、偏り過ぎるのは厳禁だ。そこは安井に任せる」

「分かりました!」

「決勝に進むのは深戸学院だ! 残り40分、持てる力を全て出してこい!」


 選手全員が「おう!」と声を振り上げた。

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