10月1日 14:23
「何やってんだよ。しっかりやれよ」
塚本と石島は呆れたような顔で、うなだれているメンバーに声をかける。
「いつものようにやろうぜ。ボールを集めてくれよ」
「あ、あぁ......」
主力2人の落ち着いた様子に、周りも落ち着いたようだ。2点リードされているが、この試合初めて鉢花の選手が笑みを浮かべる。
キックオフから、鉢花は再度ボールを守備ラインに戻したが、プレスが来るとすぐに石島に渡す。渡すべき相手が近くにいることで反応と判断が目に見えて早くなった。
その石島に芦ケ原が向かう。これをかわそうとするが、そこに陸平がサポートに来ていた。前に出されたボールを鈴原が拾うが、そこに塚本が詰める。
鈴原は颯田へのパスを狙うがプレスのせいで乱れ、颯田の伸ばした足を抜けてしまった。そのままゴールキーパーまで流れてしまう。
「展開が落ち着きそうだな」
鉢花の守備ラインと中盤の間の動きが滑らかになった。
高踏と比較してやや間延びしているとはいえ、選手の能力は鉢花の方が上だろう。面白いゲームを期待できる雰囲気が漂ってきた。
大本は下がってきた塚本にボールを回した。その塚本に稲城がプレスをかけてくる。
塚本は右に叩くふりをして、左から抜いた。
この試合初めて、鉢花が高踏のファーストプレスの網をかいくぐった。
そう思った瞬間、稲城がちょんとボールを突き出した。
「何っ!?」
グラウンド、スタンド中から声があがった。
Jリーガーとなる塚本がプレスを1対1であっさりボールを奪われる状況など誰も想定していない。鉢花の選手達は前に上がろうとしていたから、稲城一人だけが鉢花ゴールに向かう形となる。
「このっ!」
塚本はすぐに反転して追いかける。
稲城は反応速度こそ随一でボール奪取能力は高いが、ボールテクニックは高いわけではない。ドリブルが乱れ、追いつかれる。
塚本は右側から稲城に肩を入れ、ボールを奪い返そうとした。しかし、稲城はびくともしない。稲城が足を前に出そうとして、逆に塚本が大きく体勢を崩した。
信じられないという驚愕が塚本から冷静さを奪った。行かせまい、とする意識が思わず左手を伸ばし、ユニフォームを掴んでしまう。
「うわっ!?」
不意に引っ張られた稲城は一瞬、宙に浮くような恰好となりそのまま転倒した。
ほぼ同時に強い笛の音が鳴る。
全力で駆け寄ってきた主審がポケットに手を伸ばす。
「一発退場!?」
主審が迷いなく出したレッドカードに会場中から悲鳴が湧き上がった。スタンドの藤沖ですら例外ではない。
「これは厳しすぎる......いや、でも、DOGSOではあるか......」
Denying an Obvious Goal Scoring Opportunity
通称ドグソ……明白な決定機を阻止した場合、阻止した選手にはほぼレッドカードが呈示される。
稲城はゴールに向かっていたし、若干距離はあったがそのまま進めばゴールキーパーと1対1になっていた。塚本に止められなければボールに追いついて、シュートまで打てていただろう。
唯一、問題となりうるのは稲城のシュート技術だ。インステップの精度自体は低くないが、シュート練習が少ないし局面慣れしていない。打ったとして入っていたかどうか。
とはいえ、ドグソの基準に個人の能力は反映されない。あくまで状況を客観的に評価するものである。
塚本は愕然としている。鉢花の選手は「今のはイエローでは。レッドは厳しすぎます」と不満げに話しているが、主審は「いや、DOGSOだから」と受け付けない。
「塚本さん、稲城が当たってきてもびくともしなかったから、焦ってしまったんだろうなぁ」
宍原が同情するように言う。
塚本はフィジカルが強いと言われていたが、稲城も肉体能力は傑出している。ドリブルの乱れもあって取れると安易に判断したのだろう。
「技術は平凡だが、ワールドクラスの運動能力に規律意識、稲城は初見殺しだよなぁ」
宍原の言葉に周囲も頷いた。
30メートルの位置からのフリーキック。ボールのそばには瑞江が立つが、ボールをセットしたのは立神。そのまま二、三歩下がる。
笛と同時に瑞江が動くそぶりを見せた。壁が飛び上がるが、直後に立神が低いシュートを放ち、飛び上がった壁の下を抜く。
GK大本は壁が死角になったようで全く反応できなかった。
前半22分。スコアは3対0となった。
「これは、シャレにならなくなってきた……」
藤沖が絞り出すような声を出す。
状況打開のために投入した塚本が3分で退場し、ビハインドが3点に広がった。チームの動揺は著しい。
僅かの間に状況は破滅的となった。
この状況から鉢花を立て直せそうな案は、何も浮かばない。
展開を考えれば、五枠まで広がった残りの交代枠を全て使うくらいの覚悟が必要だ。天宮陽人なら「やるだけやってやれ」でここで交代枠を使い果たしてしまうかもしれない。
しかし、沢渡や藤沖の場合は実績が足かせとなり、そこまでの常識外の行動には踏み出しづらい。
「沢渡さんには高踏の情報が、まだまだ少ないわけだし……」
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