10月1日 14:10

 前半7分。


 陽人は初めてテクニカルエリアに出て来た。


 手前サイドでスローインになったので、出て来た園口に尋ねる。


「前半もちそうか?」

「当たり前だ」


 園口がニヤッと笑って、ボールを受ける。そのままスローインをして、中に走っていった。


 反対サイドでも、沢渡が頻繁に指示を出している。バックラインが思うように前線にフィードを送れないことが不満なのか、「落ち着け」とか「しっかりしろ」と発破をかけている。


(俺が言うならまだしも、沢渡さんみたいな大監督が怒っていたら、選手はやりづらくならないかな?)


 疑問に思うが、まさか相手に聞くわけにもいかない。


(優勢なうちに、点が欲しいなぁ……)


 相手側は主力のアップが進んでいる。


 前半のうちに変えてくることもありえそうだ。


 そうなると厳しいかもしれないなと漠然と思ったが、試合の運び自体には不満はない。むしろここまで押せているのだから大満足の部類である。



 鉢花側サイドで二度ほどボールが行き来する。


 鉢花GKの大本が右サイドバックの山岡にパスを出した。そこに稲城がつっかけるのは最初から変わらない。過去の三回はボールがディフェンスラインから回ってきたので、山岡はGKに戻したが、GKからのパスをそのまま戻すのは芸が無さ過ぎる。


 山岡は別の受け手を探した。その一瞬で稲城との距離が縮まる。


 選択の余地がなくなり、隣にいる佐藤に回すが、その佐藤に瑞江がプレスをかける。


 佐藤は左サイドの高井にパスを出すが、それが乱れた。


 既に高井につっかけようとしていた颯田がその乱れに反応し、ボールをカットして前進する。



 最終ラインのミス。


 前に加速する颯田を、鉢花守備陣が反転して追いかけるが、完全に出遅れている。


 颯田の前にいるのは、GK大本のみ。



「うおぉぉ、来たぁ!」


 宍原が叫ぶ。「いけぇーっ!」と結菜と我妻、辻も異口同音のことを同時に叫ぶ。


 鉢花側の観衆からは悲鳴に似た声が、中立派からは歓声が出る。



 大本は前に出ながらも、視線は左右に動かしている。


 迫りくる颯田と、中央から守備陣の一歩前を進む瑞江。二人を視野に捉えていた。


 二歩詰めて、大本は意を決したかのように颯田側に次の歩を進めようとした。


 その瞬間、いや、正確にはそうなる一瞬前に、颯田はボールを中に折り返した。



 意図が外れて空振りして倒れ込んだ大本を尻目に、CBの佐藤と伊東を振り切った瑞江が無人のゴールに流し込んだ。



 藤沖がやれやれと首を左右に振った。


「ゴールキーパーとしては仕方がない。一対二で両方を守るのは無理だ。欲を言えばもう一歩双方の中間点で前に出ても良かったけど、ああなったらどちらか一方に絞ってギャンブルにかけるのはやむをえない。ギャンブルが外れたらノーチャンス。彼の責任ではない」


 宍原が藤沖の言葉に頷きつつも、首を傾げる。


「ただ、俺だったら、瑞江が打つ方に賭けますねぇ」

「そう。このチームはそうする。両ウイングは突破力こそあるけれど、それほどシュートがうまくない。瑞江という選択肢があるならば、高い確率で二人はそちらを選ぶ。だけど、鉢花のGKにはそれが分からない」

「あ、なるほど」


 地域予選から見ていれば、高踏の絶対的エースが瑞江達樹であることは分かるはずだが、大本はもちろん、それを知らない。


 県サッカー本部に要請すれば、得点者などを教えてもらうことはできただろうが、地域予選で多少快勝したということくらいで、わざわざ調べることもなかっただろう。


 であれば、ボールホルダーのシュートに賭けるのはやむをえない。



「しかし、鉢花のバックライン、あんなに下手でしたっけ……」


 観戦経験のある宍原が首を傾げた。


 藤沖がグラウンドを指さす。


「両チームのコンパクトネスを見てごらんよ。高踏の方が遥かに密集している。相手のバックラインからすると、高踏サイドが三人くらい多く見えるはずだ」

「でも、前に多いということは、後ろは鉢花の方が……」

「俯瞰して見たらそう見える。だけど、稲城と颯田が早いからそれを確認できる余裕がない。それでも実際に蹴ったらどうなるか分からないけれど、余程のピンポイントで蹴らないと陸平か鹿海、この二人が対処する。で、余程のピンポイントで取られる点については、仕方ないと覚悟を決めている」


 藤沖は溜息をついた。


「不思議なことではない。魔法を使っているわけではない。できるものならやってみたいよ。だけど、それなりに名前が馳せてしまうと、リスクが大きすぎてできなくなる。俺や沢渡さんがこんなことをやって失敗して大敗しようものなら失うものが大きすぎるからね。彼には失うものがないから大胆に振る舞える。本当に羨ましいよ」


 そう言って向ける視線の先には、得点後も落ち着くよう呼び掛けている背番号8の姿があった。

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