9月4日 6:25

 新学期が始まり、最初の月曜日を迎えた。いよいよ二学期も本格化してくるため、朝も早くなる。


 もっとも、夏休みの大半で早朝から練習していたのである。陽人が学校に向かう時間はここ数日と全く変わらない。


 いつものように6時に起床し、朝食を食べようと下に降りようとしたところで。



「ふざけんじゃないわよ!」


 結菜の部屋から怒声が聞こえてきた。


「どうしたんだ?」


 廊下を歩きながら問いかけると、ドア越しに返事が返ってくる。


「サッカー編集者Aの動画、見た!?」

「……そもそも、そんな編集者自体知らないのだが?」


 動画コンテンツの盛んな現代、サッカーについても様々な投稿者がいるということは知っている。


 しかし、日々チーム練習なり、まとめ方などを考えている陽人には海外リーグの観戦以外に費やす時間はほとんどない。


「おまえも受験生なんだから、あまりそういうものは見ない方が」

「余計なお世話よ」

「はいはい」


 不機嫌な妹の言葉に、陽人は首を亀のようにすくめた。


「この人、アマサッカー界の通だって言っていて、昨日の県内予選の抽選についての動画もあるのよ。それで見ていたけど、高踏のことをどう言っていると思う?」

「知るわけがないだろ」


 そもそもその人物のコンテンツを見たことがないから、何を言うのか予想のしようがない。とはいえ、結菜の荒れっぷりを見る限り、かなり酷いことを言ったのだろう。


「『高踏高校は名将藤沖先生を呼ぶ予定でしたが、残念な事故で合流ができていません。総体予選、リーグ戦を欠場しており、今年は活動すらできていません。正直、地域予選を勝ち抜いただけでも奇跡といっていいでしょう。竜山院が余裕で勝つでしょうね』って言っているのよ! 練習も試合も見ていないくせに勝手なことを言うな!」

「まあ、全校の練習を見る余裕なんてないんじゃないか?」

「それなら見てないから分からんって言えばいいでしょ」


 結菜には取り付く島がない。陽人は苦笑する。


 陽人本人としては、どちらかというと有難いと思う話であった。


 もちろん、弱いと言われて楽しいわけはない。


 ただ、状況が状況であるので「高踏は実は強いかもしれません」と期待を煽られても困る。「高踏は弱いですね、ダメですよ」くらいが、陽人にとってはちょうどいい。


「ちなみに鉢花はどうなんだ?」

「……うーん? じゃ、食堂で見る?」



 3分後、二人は食堂のテーブルに端末を置き、コーヒーを飲みながら四強に対しての評価を見る。


 アマサッカー界の通を自称している以上、さすがにこのあたりの高校については調べているのだろう。


『鉢花高校は、第四シードではありますが、Jチームへの内定が決まっている塚本裕紀人を筆頭に、石島剛士、木原翔太、田中侑平を擁する強力な中盤を擁しています。今年の県1部では圧倒的な成績でトップを走っており、14年ぶりの選手権も夢ではありません。準決勝の深戸学院戦が楽しみですね』

「あれ、1部トップということは深戸や鳴峰館より上なのか」

「その二校と珊内実業はプリンスリーグだから」

「あ、そうか」


 県内の高校サッカー部の序列としては、県1部、県2部、県3部、県4部が三つ存在しており、その下に地域リーグが存在している。高校だけなら、それだけの数はないが、有力校は部員を多く抱えているため、BチームやCチームも参加できるようになっている。


 これらのリーグの上に、東海地方の最有力チームが集うプリンスリーグがある。四強の上位三校と地元Jチームの下部組織がプリンスリーグに参加している。


「プリンスリーグともなると、縁のない世界だな……」

「そうねぇ」


 こればかりは結菜も反対しようがない。



 今年、県リーグにすら参加していなかった高踏は、来年、地域二部からのスタートとなる。毎年昇格したとしても、自分達の代では県4部に行くのがやっとである。仮に結菜が高踏に入学して昇格したとしても、3部。


 プリンスリーグに行くには更に3回昇格する必要がある。


「少なくとも県2部くらいにはいてしかるべきなのよねぇ。来年高木北とか漆原工業と試合しても申し訳ないけど時間の無駄って感じだし」



「それはそれとして」


 動画の中で語られる鉢花高校は4-4-2というオーソドックスな布陣からサイド攻撃を仕掛けてくるチームのようだ。監督歴40年の沢渡幸一が指揮し、中盤が強力となれば隙は少なそうだ。


「だからといって、俺が相手の弱点を狙ってどうこうやっても仕方ないだろう。向こうは監督歴40年、俺は4ケ月ちょっとだ。小細工しても仕方ない。とにかく思い切っていくしかない」

「竜山院はどうするの?」

「とにかく、この1か月で伸ばしていくしかない。個々人が1か月で見違えるようになることはないと思うけど、戦術面はまだまだ伸びるはずだ。どんな選手でもボールを保持できるのは1分半程度。持っていない88分半の動きを磨いていけば、三人と耀太抜きでも竜山院に勝てるようになるはずだ」


 話をしているうちに、陽人は決心がついてきた。


 やはり、竜山院相手には瑞江、立神、陸平、園口は起用しない方が良いだろう。


 その四人を起用しなければ勝てないのであれば、結局鉢花との差も果てしないということになる。鉢花と試合をしたとしても、記念試合以上の意味を持たない。



 ただし、最後まで起用する選手に迷っているフリをした方が良いだろうとも思った。


 全員に危機感を持ってもらうために。

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