8月6日 14:01

 高踏側には審判が出来る人間がいない。


 そのため、北日本短大付属のもう一人のコーチ五十嵐が主審を務めて、後田雄大と北日本の控え選手が線審を務めることになる。


「すみません。審判が必要だということに注意が至らず」


 陽人が、北日本短大付属のコーチ夏木裕則に謝罪した。


「いやいや、構わないよ。大変だよね、藤沖さん、早く良くなるといいね。そもそも審判は先輩が手配するものじゃないですか?」

「そんなこと言われてもなぁ、俺はルールも知らないし」

「多少なりとも努力すべきじゃないですか?」

「そういうサービス残業が、多くの教師を苦しめているというし、校長からも生徒からも許可はもらっている」


 真田の開き直りのような言葉に、夏木は苦笑を浮かべて、再度「大変だね」と陽人に言った。



 試合開始前に円陣を組み、陸平怜喜が言う。


「仮に後半30分くらいまで接戦だったなら」

「接戦だったなら?」

「そこからは、みんな、前への意識を強めてもらっていいよ。攻守どちらの準備をするか迷ったら攻撃に動いてもらっていい」

「そうなると守備はどうなるんだ?」


 当然の質問がなされる。陸平が平然と答えた。


「その分の守備は僕がやるよ」




 午後2時ジャスト。五十嵐の笛で北日本がキックオフ。


 試合が始まった。


 まずボールを保持した北日本の一年生フォワード七瀬祐昇は、後ろにいる石代崇に渡して前に出ようとしたが。


「あっ!」


 その石代がトラップを流した。


 猛烈に突っ込んでくる稲城希仁に驚いたことによるミストラップだ。


 その流れたボールに素早く鈴原真人が詰め、ラインの裏へダイレクトに送った。


 プレスのままに加速した稲城が駆けあがる向こうにパスが流れる。



「ああっ!」



 言葉にすると同じだが、夏木の口からは悲鳴めいた声が、浅川の口からは期待に満ちた声が漏れる。



 稲城は反転して追いかけるディフェンスラインを完全に置き去りに独走する。


 やや右に向かえばゴールキーパーと一対一の状況。


 しかし、稲城が蹴りだしたボールはかなり左に流れた。



「あぁ」


 あいつ、ミスった。


 全員が思い、幾人かが声をあげた。


 しかし、稲城はそのボールへ走る。


 中へのアクションは無理でも左サイドからの折り返しは可能だ。


 その時点で全員の目が中に向いた。



「速い!」


 浅川が叫ぶ。


 もちろん、猛然と走ってクロスを折り返した稲城に向けた声ではない。



 稲城はインステップキックの練習以外していないが、代わりに左右ともそのキックが蹴られるようにしている。左足からのクロスボールがペナルティエリア付近、ゴールキーパーが出づらい位置に戻ってきた。


 追いかけるディフェンスラインの二歩ほど前を走るのは右サイドから怒涛のごとく駆け込んだ立神翔馬。


 豪快に蹴り込んだ右足からのシュートが豪快にネットに突き刺さる。



「嘘だろ……」


 つぶやいたのは、北日本短大付属ゴールキーパーの渡島幸次。


 決められたことによる驚きではない。右サイドバックの位置から長駆してきた立神のスピードへの驚きでもない。



 渡島は距離を詰め、もう一歩詰めてより姿勢を低くし、シュートに構えようとした。


 立神はワンテンポ早く撃った。渡島が考えるより早い。だからセービングの姿勢を取れていない。結果、シュートは簡単に横を抜けた。


 一対一の状況で決められるのは仕方ない。


 しかし、相手の選択肢を全く狭められないまま決められた。ゴールキーパーとしてあってはならない事態だ。


 何故、そうなったのか。それは今までの体感によるものだ。


 皆、大体このくらいのタイミングと距離で撃つという体感。



 その体感が、今、崩された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る