5月21日 12:15

 大溝良子があらかた食事を食べ終わり、茶を飲みながら稲城に尋ねる。


「ボクシングの天才から見て、このチームについてはどう思っているの?」


 稲城は「いやあ」と頭をかく。


「他のチームと試合をしていないので比較の仕様がないのですが、春先に始動しはじめた頃と比べると、みんなのスピードが上がっていて手ごたえはあります。あ、スピードというのは、考えるスピードがもっぱらですけれどね。ヨーロッパの一流チームとの比較もやっていますけれど、動き自体は追いついてきている実感はありますね。あとはサッカーという競技の中でそれができるか、ということです」

「俺も木曜金曜と見ていたが、中々のものだった」

「見に来ていたんですか?」

「当たり前だ。相手のレベルも知らないで、指導ができるか」

「そういえば、名古屋の時と比べて、かなり厳しいですね」


 稲城ののんびりとした言葉に、またまた夫婦そろって苦笑する。


 かなり厳しくしていたが、稲城にはそういえば、というレベルでしか違いを感じていなかったらしい。


「結果を保証できるものではないが、今年中に、四強だっけ? その次くらいまでは行けるんじゃないか?」

「えっ、全員一年の私達がですか?」


 稲城だけでなく、妻の良子もびっくりしたようである。しかし、大溝にはかなりの確信があるようだ。


「理屈が合っているのかどうかは分からん。しかし、トレーニングも勉強もそうだが、結局本人達が意欲的に取り組むかが大事だ。ここのサッカー部は全員が同じ方向を向いていて、それぞれが意欲的だ。だから伸びるのも早いし、能力の高い子もいる。勝ち方を覚えれば、そのくらいは行けるだろう。問題は……」

「問題は?」

「チームがこれだけいい雰囲気だと、逆に藤沖が戻ってきた時にまずいことになるかもしれん。もちろん、天宮君と藤沖を比べれば、指導者のトータル能力では比べるのも失礼なほど藤沖が上なのだが……」


 稲城も頷いた。


 指導者の能力が即チーム力として反映されるわけではないことはよく分かっている。指導者の目指す方針が異なっている場合、この数か月の前進がまるでなかったものとなって、一からやり直す危険性だってある。


「ボクシングでも指導者の違いでダメになるケースはあるが、特にサッカーは11人の相互理解やチーム理解も必要だからな。チーム力を足し算で計算するのか乗算にするのかは何とも言えんが、乗算だと仮に11人全員が相手より10パーセント理解が上回っていれば……」


 大溝はかっこよく切り出しながら、答えが分からずスマートフォンの計算機能で計算を始める。


「……2.85倍だ。足し算だとしても2.1になる。つまり、相手の個人能力が倍だったとしても、全員のチーム力要素が10パーセント上なら逆転しうる」

「へぇ、そう考えると、サッカーって面白いですね」

「ところが、これは逆にもなりうるわけだ。藤沖が戻ってきた時に『何だかつまらなくなったな~』と思い出す奴がいると、逆になる」

「なるほど」

「実際のところ、サッカー部のような人数の多いところで、学生が監督をやって全員が同じ方向で考えるなんていう通常考えられないことだ。ただ、その通常考えられないことが現実になっている以上、何か壁にぶち当たるまではこのままでもいいんじゃないか、とも思うんだよな」

「どうしたらいいですかね?」


 大溝は「うーん」と唸りながら腕組みをした。


「藤沖のことは全く知らんわけではないし、俺から一言、二言言うことはできなくもない。ただ、高踏高校は藤沖なら勝てると期待して彼を監督として招いたわけだ。まさか藤沖ではなく天宮君にチームを任せてほしいと進められるかどうか……」


 確かにその通りである。


 学校も、周囲も、何より天宮達本人も「藤沖監督が戻ってくるまでは土台を築いて、そのうえで名将藤沖の下で飛躍するのだ」というつもりである。


「藤沖監督じゃなくて、一回、天宮で行きましょうよ」なんてことは言えるはずもない。それで良い結果にならない場合に「高踏高校は何て愚かなのだ」と日本中から笑いものになるのがオチである。


 仮に大溝の言うことが本当であっても、ギャンブルをすることはできないだろう。


 ただ、大溝の言うように藤沖のやり方が自分と合わなかったら、どうなるだろう。


 一気にサッカーがつまらなくなってボクシングに戻ることを考えるかもしれない、稲城はそんなことを考えた。

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