5月4日 10:40

「……弱いからショートパスか……」


 それは谷端が考えたことのない概念であった。


 ショートパスの代表というと、例えばスペインである。彼らは技術に定評がある。だから、巧い=ショートパスという印象となっている。


 しかし、確かに下手な人間でもショートパスなら通せる。コースさえあるならば。


 パスコースを作ることはスペースの作り方という話であって、巧い・下手という問題とはかけ離れている。


 スタミナがあって、ポジショニングや全体のバランスを把握していれば、パスコースを作ることはできる。


 となると、下手なチームはショートパスを使うべきというのは間違った考えではない。問題は、それを信じ抜いて、できるかということである。


(これで半年後、伯父さんが戻ってくるとなると、今後高踏高校は不気味な存在になってくるかもしれない)


「谷端さん」


 考えに浸ろうとするときに、不意に声をかけられた。結菜がこちらを見つめている。


「総体の予選っていつからでしたっけ?」

「えっ。深戸は来月からだけど、一回戦は今月末じゃなかった?」

「……そうですよね。でも、そんな情報、届いていないです」


 結菜は再度笛を鳴らして、兄を呼んだ。


「兄さん、総体予選の話って何か聞いている?」


 妹に話を向けられた主将は目を丸くした。


「総体予選?」

「谷端さんが言うには、今月末からだって話よ。もう、組合せとか決まっているはずだけど、もしかしたら、私達、登録していないんじゃない?」

「……かもしれない」


 陽人はベンチに置いてあるスマートフォンを手にして、電話をかけた。


「あ、甲崎さん。天宮です。総体予選の話って何か聞いていますか?」


 しばらく話をして、一回電話を切った。


 程なく折り返しがあり、それに答える。「ああ、なるほど。そうですか」と表情が浮かないところでおおよそのことは誰もが察した。


 陽人が電話を切る。


「甲崎先輩も真田先生も忘れていたみたいで、登録していないみたい。問い合わせしてみたけれど、もう期限切れらしくてリーグ戦も含めて未登録になっているらしい」

「マジかよ……」


 谷端は思わず呆れるような声を出した。


「となると、もしかして選手権予選まで、何も予定がないってことか?」

「選手権予選に登録を忘れなければ、ね」

「それは笑えないって」


 深戸学院でこんなことがあれば、大規模な責任問題になるだろうし、そもそも登録していない時点で県サッカーの事務局が問い合わせてくるだろう。


 実績があまりないうえに、監督が事故を起こしたということで、県の事務局も高踏高校のことを忘れていたのだろう。


「……」


 もっとも、その方が不気味かもしれない、とも谷端は思った。


 実際に総体予選に出て試合を行えば、いくら何でも優勝はないはずなので、どこかで負ける。そうなったら、多少なりとも普通の方向性に向くだろう。


 このまま、選手権予選がある9月まで今のスタイルで練習を徹底した場合、このチームがどうなるのか。


 あるいはてんで見当違いになるかもしれない。


 しかし、ひょっとしたら、県サッカーに衝撃を与えることになるかもしれない。


 根拠はない。しかし、何故か後者になるのではないかと谷端は思った。

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