4月10日 18:00

「もしかして入部希望者ですか?」


 先に言葉をかけたのは結菜の方だった。


「はい。稲城希仁いなき あきひとと言います」


 随分とゆったりとした口調だった。


 雰囲気もほんわかとしているし、あまりスポーツ向きではないんじゃないか。


 先程までいた面々は二度と来ないだろうが、また長続きしないタイプが来たかもしれない、陽人はそう思った。


「君、土曜日も来てなかった?」


「えぇ、サッカー部がグラウンドも広くて面白いと聞いたんですけれど、想像以上に広くて、ちょっと他も見てみようかなと思いまして」


「今までスポーツはやってこなかったの?」


「いえ、中学まではボクシングをやっていたのですが……」


「ボクシング?」


 のんびりした口調と印象からはかなりかけ離れた競技である。


「ただ、両親が高校でボクシングやるのはやめてくれって言いましてねぇ。ボクシング部のない高踏に入学してきたのです」


「分かるよ。ボクシングって危ないからね」


「そうなんですよ……。下手したら殺すかもしれないなんて言われるとさすがに気が引けてしまいますから」


「やっぱり怖いよねぇ。でも、サッカーはボクシングより安全だという思いこみも怖いよ。プロの試合でも靭帯を負傷したとか骨折したとか、重傷を受けることもあるからね。ポジションの希望はあるの?」


「パンチはまずいのでゴールキーパー以外ならどこでも」


「稲城君の背丈的にゴールキーパーはないと思うよ」


 測ってはいないが、陽人より若干低いようだ。おそらく172か3だろう。


「授業でやった以上のことはやっていませんので、ボールを蹴ることには不安があります」


「そ、そうなんだ……」


 さすがにそれでは一番下手だろう。


 どうしたものか考えていると、結菜が袖を引っ張ってきた。


「何だ?」


 振り返った先に、こっそりスマホの画面を見せてくる。



 そこに『ボクシング界に衝撃! 天才・稲城希仁が中学で引退』、『稲城、プロ入りも推薦も拒否し引退へ』といった見出しの記事がある。簡単な記録が掲載されていて、アンダージュニアのタイトルを軒並み取っていたらしい。


「えっ、強いの?」


 見た目で弱いと決めてしまっていた陽人はびっくりして尋ねる。


 稲城は「うーん」と首を傾けた。


「記録としては強いんでしょうか……。負けたことはないですし」


「マジ? もったいない! ボクシングを続けた方がよかったんじゃないの?」


「いえ、ですので、高校でも続けると本当に誰か死なせてしまうかもしれないと、両親や祖父母が全員反対しましたので。大学までは絶対出ろとも言われていますので、プロ入りも出来ず、何か別のスポーツをするしかありませんでした」


「な、なるほど……。じゃあ、運動は出来るんだね」


「人並みには出来ると思います」


「人並み、ね……」



 その間に結菜は試合動画を見つけたようだ。


 アンダージュニアの県大会決勝らしい。


「これ、相手、中学生なの?」


 稲城はすぐに分かる。試合前と思えないようなのんびりした雰囲気を漂わせているからだ。


 一方、相手選手はいかにもワルという雰囲気で、応援している面々には明らかに不良という恰好をした者が多い。雰囲気だけで判断するなら、とても勝てそうには思えない。


 しかし、試合が始まると、一瞬でワルっぽい相手選手がポストまで吹っ飛ばされた。


 そこからは一方的に連打だ。稲城は練習のように軽やかに打ち込み、途中、攻撃を止めて、レフェリーをチラチラ見ている。


「何をしているの?」


「いやぁ、このまま攻撃すると危険なので止めてくれないかなと思いまして」


 結局、相手が倒れるまでパンチを撃ち続けることになった。


「ほわ~、強いね~」


「お粗末様です」


「いや、勿体ないよ。ネット記事が嘆くのも理解できる」


 決勝でこれだけの試合をする選手が「親が反対するので」と引退してしまうのは、関係者には痛恨極まりないだろう。



 では、サッカー選手として稲城希仁はどうなのだろうか。


 動画から、とてつもない瞬発力を持っていることが分かる。


 スタミナもありそうだ。


 何より、視野が広くて冷静だ。頭も良さそうである。



 ボール扱いの技術はないかもしれないが、うまく使えば、強力な武器となるかもしれない。


 陽人は漠然と、そんなことを考えた。

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