第25話

 じゅんは唇を噛んで団子屋を探した。探すというほどでもなく、それは、橋のすぐそばにあったのだ。むしろ、通り過ぎてしまって戻った。


 その団子屋は屋台見世だが、富屋よりも大きく、毎日担いで帰っているふうでもない。ごく平凡な屋台で、並んでいる団子も、商っている売り子も代わり映えしなかった。


 売り子は中年増で、美人と言えなくもない。目元に大人の色香があって、それで水増しされている気はする。しかし、笑顔はなかった。淡々と客をあしらっている。


 客足がふと途切れたところ、じゅんは団子屋の前に立った。団子は、餡、醤油、海苔、草団子。りんが作る団子ほど見た目がそろってはいないけれど、こんなものだろう。

 ぼうっと眺めていると、団子屋がじゅんに気づいてきつくまなじりを釣り上げた。


「なんだい、いちゃもんつけに来たってわけかい?」

「は?」


 じゅんが何かを言う前に、団子屋の方が押し殺した声で言った。


「あんたらの品が売れないのは、あんたらのせいだろ。人のせいにすんじゃないよ」


 それを言われた途端に、じゅんはこの人のせいだと思った。


「お姉さん、あたしを知っているの? あたしはお姉さんのことは知らなかったけど。ねえ、なんでうちの品物が売れにくくなってるって知ってるの?」


 そこを指摘したら、団子屋は僅かに怯んだ。この人はわかりやすい。


「そんなの、皆言ってるよ。若い娘が遊び半分で見世を出したけど、やっぱり商売を甘く見てるから、すぐに客に見向きもされなくなったって。実際、その通りじゃないか」

「皆って誰よ?」


 じゅんもムッとして言い返すけれど、団子屋もムッとしただけだった。


「皆は皆だよ」


 この広小路でじゅんたちは新参者だ。じゅんたちの商いが上手く行くことが面白くない手合いもいたのだと、この時になってようやく考えた。古参の見世が富屋に客を盗られたと感じていたのかもしれない。


 しかし、だからといって、寄ってたかって富屋を潰しにかかっているのだとしたら、あまりに大人げない。じゅんははらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚えた。


「うちが繁盛したから、面白くなくて悪い噂を流したの?」


 顔が引きつる。団子屋も頭に来たのか、口元がひくひくと動いていた。


「だから、変な言いがかりはつけるんじゃないっていってるじゃないさっ」

「言いがかりって言えるの? さっきそこで、うちが他所の見世の真似ばっかりしているとか、売り子が蓮っ葉だとか喋ってる人がいたけど」

「ハッ。そんなの本当のことじゃないか。聞いたよ、あんた、湯屋の二階に出入りしてんだろ? 妹がこれじゃあ、あんたの姉さんだって大人しそうな顔して裏では何やってるんだか――」


 この時、じゅんのこめかみが嫌な音を立てた。自分は怒りっぽい方だと思っていたけれど、この時の怒りに比べたら、今までのことなんてどうでもいいほど軽いものばかりだ。

 手にしていた前垂れを団子屋の顔目がけて叩きつけた。団子屋は避けられずに顔面でそれを受け止めた。


「な、何すんだいっ」


 前垂れで擦れて、団子屋の紅がよれた。しかし、じゅんはすかさず裏に回り込み、団子屋の襟をつかむ。


「ちょっ――」


 つかみかかるじゅんを振り払おうとした団子屋の爪の先がじゅんの頬に傷をつける。けれど、じゅんは団子屋の襟をつかんだまま、大声で言った。


「姉さんの悪口だけは、どんなことがあっても許さない。謝ってよっ」

「はぁっ?」


 頬がじんじんと痛む。けれど、泣きたいのはそんなことのせいではない。

 ぼろぼろと涙が溢れて止まらないのは、あの優しい姉が悪し様に言われたことが悔しくて堪らないからだ。あんたがりんの何を知っているんだと、じゅんは怒りを込めて襟を握り締めて揺さぶった。


「あたしの姉さんは、ただの姉さんじゃなくて、おっかさん代わりにもなって、ずっとあたしを守ってくれていたの。自分が倒れるくらい無理をして、それでもあたしにはいつも笑顔を向けてくれて、あたしにとって何より大事な姉さんなのに、それを馬鹿にするなんて許さないからっ」


 それだけ大声で言い放った。大声のつもりはなかったけれど、じゅんの声は元々大きいのだ。周囲に丸聞こえになり、道行く人が何事かと足を止めていた。


 それでも、じゅんは人に聞かれて困るとは思わない。余計なことを考えるゆとりもない。心優しいりんが馬鹿にされるなんて、そんなことがあってはならないと思うだけだ。


 言うことだけを言ったら、じゅんは急に涙が溢れて止まらなくなった。わんわんと声を上げて泣き出すと、団子屋は呆れたのか、じゅんの手を振り払う力が抜けていった。

 はぁ、とため息をつかれた。


「あんた、まるで子供だねぇ」


 うるさい。――いや、うるさいのは泣き喚いているじゅんの方なのだが。

 ただ、この時の団子屋の声は呆れ返っていたせいか、刺々しさが薄れていた。


 すると、ざわつく人垣を掻き分けて、弥助が駆けつけた。いつも一緒の彦松がいない。弥助は、泣きながら団子屋の襟をつかんでいたじゅんの手を外させ、二人の間に割って入った。


「ああ、ったくよぅ。揉め事起こすんじゃねぇよ」


 呆れたような口ぶりではあったが、それでもどこか優しく聞こえたのは、じゅんが泣いているからだろうか。弥助は襟を直す団子屋に向け、ため息交じりに言った。


「ほら、あの四文屋の売り子はこんなだ。見てくれはともかく、まだ餓鬼だからな。噂をなんでも真に受けるもんじゃねぇぜ、おそでさんよ」


 この団子屋の女は袖というらしかった。袖は、嫌な顔をした。しかしそれは、じゅんに向けているのとは少し違う気がした。


「じゃあ、なんなのさ? あの娘が嘘つきだっての?」


 袖がぼそりと呟く。その声を拾った弥助が苦笑した。


「お袖さんの団子を美味しいって、気に入って買ってくれてた客だとしても、だからって善良な娘だとは限らねぇだろ?」

「なんだって?」

「あの娘は、このおじゅんのことが嫌いでな、やり込めてやりてぇと思ってたのさ」

「えっ?」


 思わず声を出したのはじゅんの方だ。弥助は一体なんの話をしているのか。


「お前、殴られてたじゃねぇか」


 ふと、弥助に言われて思い出した。じゅんのことを嫌いな娘のことを。

 驚いて涙も止まる。


「あ、もしかして、お絹さんっていう、湯屋の売り子をしていた?」

「多分それだな。あの娘がお前ら姉妹のことをあれこれ吹聴して回ってたみてぇだぞ」

「はぁあ?」

「特に妹が蓮っ葉で、男と見れば色目を使うとかなんとか」


 と言ってから、弥助がプッと噴き出したので、じゅんは腹立たしい。そんな色香があるわけないとでも言いたいらしかった。


「お絹さん、気ままで使いづらいって辞めさせられたみたいなんだけど、それがあたしのせいって思い込んでたわ。あたしはお絹さんが穴を空けたから一度手伝っただけなのに」

「ああいう手合いにゃ、細けぇこたぁどうでもいいんだ。ただお前みてぇなのがちやほやされてんのが気に入らなかったんじゃねぇ?」


 ちやほやされたかどうかは別として、作造なら、絹に小言のひとつくらいは言っただろう。あの姉妹は二人きりで懸命に働いているのに、とか、姉妹を褒めたりしたのかもしれない。

 とにかく、絹には癪に障った。それで、上手くいかないことがすべて姉妹の、特にじゅんのせいのような気がしたと、そういうことなのだろうか。


 そのせいで、あちこちで富屋の悪評を撒いたのか。

 袖は、二人の話を愕然と聞いていた。


「あんたたち、自分とこのと比べて、うちの団子なんて食えたもんじゃないって言ってたんじゃ――」


 なんてことを呟いている。


「知らないわよ。食べたことないのに、そんなこと言わないわ」


 はっきりじゅんが答えると、袖は黙った。

 その時、彦松がやってきた。そうして、その後ろにはりんがいる。


「す、すみません、うちの妹が――」


 りんは困った顔をして、じゅんの前に立つと袖に向けて頭を下げる。


「お怪我はございませんか? 私の躾がいけなかったのです。お叱りは私がお受けします。申し訳ありませんでした」


 違う。悪いのはりんではない。りんだけは悪くない。

 じゅんは口を開こうとしたけれど、りんが後ろに回した手でじゅんの手をぎゅっと握った。それは叱るのではなく、慰めるような仕草に思えた。


「――あんた、妹のおっかさん代わりなんだって?」


 袖は急にそんなことを呟いた。りんは静かにうなずく。


「ええ、ふたつしか違わないのですが、そのつもりでいます」

「厄介な妹じゃないか。あんたも大変だね」


 なんてことを言うんだと怒りたいが、散々騒いだ後だから言えない。りんを侮辱されて許せなかったとはいえ、そんな相手にりんが頭を下げることになったのはじゅんのせいだ。申し訳なくて消えてなくなりたい。

 すっかりしょげ返ったじゅんだったけれど、りんはかぶりを振った。


「いえ、妹がいなかったら、今の私はなんの支えもないまま生きているだけでした。いてくれてよかったと思うことはあっても、大変だと思うことはありません」


 りんの足ばかり引っ張っているじゅんにもりんは優しい言葉をくれる。りんはこうした人なのだ。だからこそ、悪く言われたくない。

 袖は小さく嘆息した。返す言葉を選んでいるように見える。この時、りんは屋台の団子に目を向けていた。


「こちらのお団子はお一人で作られているのですか?」


 話題が変わって、袖は少し驚いていた。


「え、ああ、そうだけど――」

「こんなにたくさんをお一人でなんて、手が早いのですね。それでお一人で売って、すごいことだと思います」

「こんなの、商売なんだから当たり前だよ」


 おだてられているとでも思ったのか、袖はそっぽを向いた。そんな袖に、りんは柔らかな声音で言う。


「そうですね、私たちはまだ駆け出しで、その当たり前ができていません。私が作って、妹が売る――二人でなんとか形になるような半人前なのです。だから、互いのことを大事に、力を合わせて乗り切るよりないと思っています。妹がしたことは私がしたことと同じですから、心からお詫び致します」


 りんはいつも、人を悪くは言わない。今だって、上辺だけで詫びているのではない。

 それを袖がどう感じるのかはじゅんにもわからない。ただ、わかってほしいと思った。


 じゅんはどうしようもない妹かもしれないけれど、りんは違う。りんのことだけはわかってほしい。じゅんにとっては誰よりも大事な姉だから。


 袖は落ちていたじゅんの前垂れを拾うと、ぱん、と叩いて砂を落とした。それを差し出す。


「――あんたら、思っていたのと随分違うね」

「え?」


 りんは差し出された前垂れを受け取った。すると、袖は困惑気味に呟く。


「若い娘がいい加減な品を愛嬌だけで売り捌いて小遣い稼ぎしてるんだって思ってたんだけどさ、なんか、見た目以上に子供で」


 子供子供とひどい。もっと小さい子だって売り子をしているところもあるのに。

 袖は、うぅん、と漏らす。


「いいよ、もう。あたしもよく知りもしないで適当なことを言って悪かったよ」


 それを素直に認めてもらえるとは思わなかった。じゅんが腫れぼったい目を瞬かせていると、袖はばつが悪そうに目を細めた。


「あんたの姉さんはいい子だ。わかったよ、悪かったよ。でも、あんたが厄介でうるさくて子供なのは本当だ。そこは謝らないからね」


 素直なのか意地っ張りなのかよくわからない人だ。けれど、じゅんは不思議とこの人が嫌いではないかもしれないと思えた。りんをいい子だと言ってくれる人だから、根は悪くないのではないかと。


 りんは口元を押さえておろおろしていたが、じゅんはりんを越えて袖の屋台に再び近づくと、その台の上に手を突いた。袖が一度身構える。


 じゅんが手をどけると、そこには四文銭が一枚残る。じゅんは袖の目を見て、無理やり笑ってみせた。


「泣いたらおなかが空いたの。草団子ひとつ頂戴」


 すると、袖は面食らいつつも思わず笑ってしまったようだった。


「あんた、変な子だね」

「変な子じゃないわよ。なんで変なのよ?」


 袖は、じゅんに向かって草団子を二本差し出した。


「あれ? ひとつよ?」

「あんた一人で食べる気かい? もう一本は姉さんにおまけだよ」

「ふぅん。ありがとう、お袖さん」


 あっさり受け取り、りんに団子を手渡すと、りんの方が恐縮していた。


「あら、いいのですか? ありがとうございます」

「うちの団子の方が美味しいから、よく味わって食べな」


 ひと言もふた言も余計な人だ。しかし、さっそく食べた草団子は、見た目よりもずっと美味しかった。きっと、袖もそんな人なのだろう。見た目よりもいいところがあって味わい深い。

 じゅんは団子を呑み込み、ふと首を傾げた。


「そういえば、姉さん。あたしも姉さんもここにいるってことは、うちの見世はどうなってるの?」


 りんはハッと思い出したようだった。


「彦松さんに呼ばれて、勘助さんにお願いして駆けつけたんだったわ。早く戻らないと」


 じゅんが騒ぎを起こしていると、りんを呼びに行ったのか。今さらながらに恥ずかしい。


「では、お袖さん。失礼します」

「じゃあ、またね」


 あんたは来るな、と袖に憎まれ口を叩かれたけれど、そんなことを言われると絶対に顔を出してやろうと思う。じゅんも人のことを言えないくらいにはひねくれているのかもしれない。

 慌てて姉妹が戻ると、勘助が困っていた。


「おお、二人とも遅かったじゃねぇか」

「ごめんなさい、勘助さん。助かりました」


 自分の天麩羅も揚げなくてはならないところ、隣の店番までしていられない。勘助には申し訳なかったが、富屋はそんなに忙しくなかっただろう。


 しかし――。

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