第24話

 その翌日はすっきり晴れ渡ったとは言い難いが、それでも降らずにいてくれるだけでありがたい。昨日は売れなかったから、今日も用意した品はそう多くなかった。軽い音のする屋台をじゅんが引いて出かけようとすると、りんがついてきた。


「今日は私も行くわね」

「でも、二人でいてもそんなにすることがないわよ」


 むしろ、りんにはあの惨めさを味わってほしくなかった。家で待っていてほしいと思うのに、りんは最初から決めていたふうだった。


「いいのよ。少し周りを見て、それで気づくことがあるかもしれないから」

「うん――」


 りんがそれを言うのなら、じゅんは止められない。二人でいると虚しさが埋められるから、じゅんがりんに来てほしい気持ちがあって、強く断れなかっただけかもしれない。



「おはようございます、勘助さん」

「おお、おりんちゃん、おはよう」


 りんはいつでも穏やかに微笑んでいる。広小路で勘助も笑顔を返した。

 今日は人通りもそれなりにある。それでも、きっと売れないとじゅんは心のどこかで思っていた。だからか、楽しいとは感じていなかった。

 それはじゅんの顔にも出ていた。りんはそんなじゅんを咎めるでもなく、とん、と軽く背中を叩くとささやいた。


「ねえ、おじゅん。私、少しこの辺りを見回ってくるわ」

「え? う、うん」


 同じような見世が近くにできたのかもしれないとりんは考えたのだろう。

 静かな足取りで広小路を進んでいく。りんの背中をぼんやりと見送っていると、常連客が来た。いつも田楽を買ってくれる無口な浪人だ。


「田楽をふたつ、鰹節団子をひとつくれ」

「ふたつ、ですか?」


 珍しいなと思った。しかし、浪人はうなずく。


「ふたつだ。人にやる」

「ありがとうございます」


 もしかすると、じゅんが落ち込んでいたのを察してくれて、人にもここの品を勧めてくれるのかもしれない。売れないと落ち込んでばかりいるじゅんなのに、客の方が気を遣ってくれている。ありがたいような、申し訳ないような気分だけれど、やはりありがたい。

 いつも無口な浪人だが、去り際にぽつりと言った。


「ここの見世は美味くて気に入っている。長く続けてくれ」


 客の数が少なくて、それを悲しんでいたけれど、毎日のように通っては買ってくれる上に励ましてくれる客がいる。それは金銭以上にありがたいことではないのか。

 もちろん、金がなければ食べていけない。必要ではある。それでも、客が減ってみて人との繋がりのありがたみを強く感じるのだ。


 ありがとうございます、とじゅんは深々と頭を下げて浪人を見送った。目頭がぎゅっと熱くなる。

 そうしていると、弥助と彦松が回ってきた。


「弥助さん、彦松さん、おはよう」


 少し元気が出たじゅんが挨拶すると、二人は顔を見合わせてから屋台に近づいてきた。


「おじゅん、見世の方はどうだ? 売れてんのか?」


 彦松がそんなことを言う。じゅんは言葉に詰まった。みるみるうちに萎んでしまう。


「最近、売れ行きはよくないけど、場所代はちゃんと払うから」


 これは決まり事だから、払わなくてはならない。店賃と一緒だ。心配しなくても払うつもりはある。

 二人にとって大事なのはそこだろうと思って言ったのだ。

 しかし、二人は何か言いにくそうに見えた。この二人が言いにくいことなどあるのだろうかと、じゅんは首を傾げた。

 弥助ははぁ、とため息をつく。


「そうだよな、お前、商売に関しちゃ素人だもんな」

「え? どういうこと?」

「商売は信用第一ってこった」


 そんなことは知っている。何が言いたいのだ。


「あたしたち、真っ当な商売しかしてないわよ」


 ムッとして言い返すと、彦松は眉を八の字にした。


「まあな。ただ、お前は隙だらけなんだよ。もうちっと気ぃつけな。俺らから言えるのはここまでだ」


 それだけ言い捨てて二人は去っていった。

 もしかすると、二人は富屋から客足が遠のいている理由を知っているのではないか。けれど、知っているのなら教えてくれるはずだ。何故、あんなに遠回しなことを言うのか。確かなことではないから、ほのめかすに留めるしかないのだろうか。


 難しいことを考えるのが苦手なじゅんにはわからない。

 客が来ないままじゅんが考え込んでいると、りんが戻ってきた。


「あ、姉さん。どうだった?」


 問いかけると、りんは苦笑した。


「そうねぇ。吾妻橋のそばにお団子屋さんがいたわ。海苔団子があって、似ているといえばそれくらいなんだけど」

「ふぅん」


 どんな品を扱っていたとしても、りんが作る団子の方が格段に美味しいとじゅんは思っている。ただ、商売敵の品を見て、そこから学べることもあるのではないか。

 じゅんも周りを見てこようと決めた。


「姉さん、あたしも行ってきていい?」

「ええ、いいわよ」


 そう言って、りんはじゅんの手の平に四文銭を握らせた。気になるものがあれば買えということらしい。


「ありがとう、姉さん。行ってくるわね」


 じゅんは前垂れを外し、それを畳んで手に持つと広小路を行く人混みに紛れた。

 橋のそばに近づくと川風がサッと吹く。昨日の雨で水嵩が増して見えた。これから夏も盛りになると川風でさえもありがたい。雨で湿っぽいのも嫌だが、暑いのも嫌だな、とぼんやり考えながら歩いた。


 この時、すれ違う町娘たちの楽しげな声が聞こえてきた。年の頃はじゅんと同じくらいだ。じゅんもりんもあんなふうにお喋りに花を咲かせているゆとりはないけれど、本来であればあんな日常があったのかもしれない。

 娘たちがきゃっきゃと話すのは、惚れた腫れたの恋話かと思えば、そうではなかった。


「やだ、まだやってるの?」

「ええ、でももうあそこでは買わないわ」

「そうよねぇ。あんな蓮っ葉な子が売ってるものなんて食べたくないし」

「他の見世の売れ筋を見つけるとすぐに真似をするんですって。そこのお団子屋さんがうちも真似されたって怒っていたわ」

「そんな見世、すぐに潰れるわよね」


 一体、この娘たちは何を言っているのか。じゅんは問い詰めたくなった。

 二人が話しているのが富屋のことだとは言っていない。けれど、そう思えてしまう。


 娘の袖を引こうとして、じゅんは手を引っ込めた。今、ここで騒ぎを起こしたら、それこそ客がさらに寄りつかなくなると、ほんの少しだけ冷静な部分が勝った。


 指を内側に折り込んで、じゅんは自分の拳をぎゅっと握った。かたかたと震えるのは、憤りだ。今の噂が富屋のことだとしたら、根も葉もない言いがかりだ。


 姉妹が誰の真似をしたというのか。似たような品を作ることはあっても、似せて作っているわけではない。誰かが富屋の悪評を流しているのではないか。

 ふと、そう考えてみると、そうとしか思えなくなった。


 ――そこの団子屋が。娘たちはそう言っていた。

 それなら、団子屋が何かを知っているかもしれない。

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