第26話
しかし、袖のところから戻ったその直後に、富屋は忙しくなったのである。
ついてきた人たちが、面白がって富屋で買い物をしてくれたのだ。
「仲のいい姉妹だねぇ。うん、面白かったよ」
見世物ではないのだが。それから、袖のところと団子の食べ比べをするのはやめてほしい。
「あっちも美味かったけど、こっちの団子は鰹節たぁ変わってるなぁ」
「唐辛子をかけても美味しいですよ」
にこやかに客をあしらうりんはさすがだった。
「綺麗な饅頭だな。これも四文かい?」
「ええ、どの品も全部四文。他所では買えませんよ」
じゅんもさっきまで泣いていたのが嘘のように晴れやかな気持ちで見世に立っていた。こうした賑わいは久しぶりで、心底ありがたく感じられた。客あっての見世なのだと、そんな当たり前のことを改めて思い知る。
ただ、残念なことにこの賑わいは長く続かなかった。今日も売れないだろうから、と数を減らしていたのがあだになった。すぐに売り切れてしまったのだ。
明日はどうなるかわからないけれど、ほんの少し強気になってもいいかもしれない。明日の仕込みの数はりんとよく話し合って決めたい。
空っぽになった台の上を眺めるりんも、うっすらと涙ぐんで見えた。
「今日はもう帰りましょうか。ゆっくり休んで、明日からまたよく働きましょう」
「ええ、そうね」
帰り支度をしている姉妹を、勘助がにこにこと見守っていた。遠くにいた弥助と彦松も姉妹の帰り支度に気づいて軽く手を振る。あの二人は、多分、源六親分を通して富屋に悪評が立っていることを早くから知っていたのだ。
ひどいと思う。教えてくれたらよかったのに。――しかし、もしかすると親分がしたり顔で、お手並み拝見といこうじゃねぇか、とかなんとか言っていたのではないかという気もする。荒くれに絡まれたらすぐに助けてくれただろうけれど、自分で振り払える火の粉は自分たちで払えと。
親分まで出てきて団子屋の袖に話をつけてくれたとして、それで袖は納得しただろうか。頭から押さえつけられても姉妹へよい感情は抱かない。それでは今後袖とは上手くやれなかっただろう。きっと、どちらかが売り場を変えなくてはならなくなった。
自分たちで動いたからこそ、袖もわかってくれたのだ。親分はそこまで見通していたのかもしれない。これもまた修行だと。
今日はすっきりした心地で長屋に戻った。
長屋の皆は毎日、富屋の売れ行きを気にしている。今日は屋台を引いた姉妹が早々に帰ってきたことで、売れなくて諦めたのかと戸惑わせてしまった。じゅんは屋台を停めると、晴れやかな笑顔で留たちに言った。
「今日は全部売れたのよ」
「そうなのかい? そりゃあよかった」
女房たちがわいわいと喜んでくれた。売れ残りばかり引き取ってもらっていたから、皆に飽きられる前に再び売れ出したのならよかったけれど。
「いつもご心配をおかけしてすみません。ありがとうございます」
りんが丁寧に礼を言うと、留がりんの背中をぽん、と叩いた。
「水臭いことをお言いだね。二人ともこの長屋じゃ皆の娘みたいなもんなんだから、体を壊せば心配するし、落ち込んでたら励ましたいのは当然じゃないか」
人に優しくしたからといって、見返りがあるとは限らない。それでも、ここにいる人たちは皆、優しい。
気遣いは当たり前ではない。そんな優しい人たちがじゅんも大好きだった。
「ありがとう。皆、大好き」
えへへ、とじゅんは笑いながら思ったことを口にする。留たちも大きな声で笑った。
「おじゅんちゃんは小さい頃から全然変わらないねぇ」
それは子供っぽいということなのか。今日は袖に散々言われたところだから、自分でもわかっているのだが。
皆の笑い声がうるさかったのか、大家がひょいと顔を覗かせた。
「おや、おかえり、二人とも」
大家はにこやかだった。皆の笑い声が明るかったからだろう。
「ただいま」
じゅんは答えながら、本気で平太郎の顔をまったく見ていないと思った。あれからまだ怒っているのならしつこい。
「大家さん、今日は全部売れたんだってさ」
留が言うと大家はうんうん、とうなずいた。
「それはよかった」
この時、じゅんは大家に平太郎がどうしているのかを訊ねようかと思い、やめた。
じゅんの方から謝るまで顔も見せないつもりだろうか。じゅんが悪かったと認めてもいいと思っていたけれど、そうした態度を取られると素直にはなれない。もう知らない。
――平太郎なんて、もう知らない。
時が経てば経つほどこじれてしまうものなのに、じゅんは意固地だった。
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