第7話
長屋に帰ると、皆が姉妹の四文屋の売れ行きに興味津々だった。売れ残ったら買ってあげようと待ち構えていたらしい。
「粗方売れました」
りんが笑顔で報告すると、長屋の店子たちはやんややんやと喝采をくれた。
「さすがおりんちゃん。富吉さんに似なくてよかったなぁ」
「あたしも頑張ったのに」
じゅんが口を尖らせると、皆がどっと笑った。
「そうだね。おじゅんちゃんも偉い偉い」
と、向かいに住む大年増の
ただ、大家だけはなんとなく残念そうに見える。もしかして、嫁入りの話をまたするつもりなのではないかという気になる。どうせすぐに立ち行かなくなるだろうから、と話を先延ばしにして待っているのかもしれない。
そうは行くかとじゅんは満面の笑みを大家に向ける。
「大家さん、今日は品物が売り切れてしまって仕方なく早めに帰ってきたけれど、明日はもっと売れると思うの。手ごたえがあったから、今後もきっとやっていけると思うわ」
初日が上手くいったくらいで気が早いと言われるかと思えば、大家はさらに残念そうにため息をついた。
「そうなのかい。それはよかったねぇ」
よかったと言いながらも、態度が伴っていない。じゅんは他の長屋の皆とりんが話し込んでいるのを横目で見遣り、それから大家にこっそりと言った。
「大家さん、まだあたしたちに嫁入り先を世話しようと思っているの? お断りしたんだから、その話はなしよ。特に姉さんにはもう言わないでね」
改めて釘を刺した。すると、大家は目を泳がせる。
「い、いや、その、おりんではなくて、お前さんだ。おじゅんには
「はぁ?」
思わず大声を出してしまった。皆がきょとんとしてじゅんに目を向けたから、じゅんは気まずくなって大家に小声で告げる。
「変なこと言わないでよっ」
「いや、平太郎に、どうしたらお前は落ち着いてくれるんだいと訊いたら、おじゅんが嫁に来てくれたらと言ったんだよ。それでだね――」
大家もじゅんに合わせて小声になる。
じゅんはこめかみに青筋が立っているのを自分でも感じた。あいつはまた適当なことを、と。
「それは、あたしが相手なら間違っても行くって言うわけがないからよ。つまり、当分は落ち着きたくないってこと」
口早にそれだけ言って、じゅんはりんのもとへ駆け寄った。
真に受ける大家もいけないが、一番悪いのは平太郎だ。じゅんは平太郎に腹が立って仕方がなかった。
「どうしたの、おじゅん?」
「ううん、なんでもないわ」
えへへ、と笑っておいた。
平太郎は、大家の孫だ。年はじゅんと同じで、いわゆる幼馴染なのだが、小さい頃はひ弱で泣き虫だったため、よくじゅんの後をついて回っていた。弟妹のいないじゅんは平太郎を弟のように感じてもいたけれど、育っていくうちに平太郎から可愛げがなくなった。
背がぐんぐん伸びて、虫も殺せない子供だったのに、今となっては喧嘩もするし、岡場所にも出入りする。
家は荒物屋で、一応は跡取り息子だから商いのあれこれを学ばせたいのに、ふらついてばかりで身を入れて商売に励んでくれないとのこと。大家も息子夫婦もそんな平太郎に手を焼いている。
だからといって、じゅんに皺寄せがくるのは迷惑だ。平太郎のやつ、とじゅんは腹立たしく思うだけである。
今日は初日で疲れたから、残り物の冷や飯を茶漬けにしてさらさらと食べただけで夕餉を済ませた。家で落ち着くと、じんわりと疲れが滲んでくる。
平太郎の話は腹立たしいけれど、それを差っ引いて考えたら今日は充実した日になった。明日も頑張ろうと語り合って、りんとじゅんは早めの床に就いた。
◇
翌朝も、長屋の誰よりも早く起きて動き出した。昨日よりも数を増やし、各三十個ずつ作る。
「また饅頭の皮が破れてる――」
蓋を開けたじゅんはしょげ返った。
「いいの、それはおじゅんが食べて?」
と、りんはふんわり答えてくれる。
りんの饅頭は美味しいから、食べていいと言ってくれたら嬉しいけれど、饅頭の皮が割れたからといってじゅんが食べるばかりでは勿体ない気がする。これも同じだけの手間と銭がかかっているのだから。
「姉さん、皮の割れた饅頭をどうにかして売る手はないかしら?」
「え?」
「だって、毎回いくつかは割れるのよ? 勿体ないじゃない」
すると、りんはうぅんと唸った。
「でも、皮の割れた饅頭なんて餡が見えていて不格好だし、同じ値で売るのは難しいわ。だからって安くもできないし」
それはそうなのだが、何かいい方法はないものだろうか。
「これは今後考えなくちゃね。どうしたら割れない饅頭の皮ができるか、もしくは皮の割れた饅頭を売る手を考えるか――」
そんなことを語り合っていると、いかにも商売をしているという気がしてきて、じゅんはなんとなく嬉しかった。
しかし、そんなふうに浮かれているからいけなかったのだ。
じゅんは――いや、りんも、商売というもの以前に、世の中をよく知らないままでいた。あんな父でも、姉妹を守っていてくれたのだ。そのことに気づいたのは、このすぐ後である。
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