第6話
「さあ、着いたわ」
ひと息ついて、じゅんは辺りを見回した。橋に近い場所から見世で埋まっているように見えた。
「姉さん、あの天麩羅屋さんの隣にしましょう。お団子の隣でお饅頭を売るのもやりづらいでしょう?」
りんはじっくりと広小路を眺めている。それから、じゅんの意見に賛成してくれた。
「そうね。まずはご挨拶をしておきましょうか」
屋台を天麩羅屋の隣に停め、二人は天麩羅屋の店主に声をかけた。天麩羅屋の店主は四十路ほどの男で、肌が浅黒い。瓶に入れた天麩羅の衣をかき混ぜていた。
「すみません、私たち、ここで四文屋を始めることになりました。私が姉のりん、この子が妹のじゅんです。どうぞよろしくお願い致します」
天麩羅屋は、急にやってきた姉妹に少々驚いたようだった。天麩羅の衣をかき混ぜる手を止める。
「今日からかい? まあ、精々気張りなよ。俺は
客商売だからか、人当たりがよい。この人の隣なら苛められたりもしないだろう。
二人はその周囲の人たちにも挨拶をした。ここで商売をする以上、二人は新参者だ。礼儀は大切である。皆が気持ちよく迎え入れてくれたとは言い難いが、それも仕方がない。広小路の屋台に並ぶ品は、じゅんの目から見ても美味しそうなものばかりだった。
「さあ、そろそろ支度をしなくっちゃ」
支度といっても、もう品物は出来上がっている。することいえば、屋台の上の被せを取り、商品を綺麗に並べ直すことだ。運ぶ途中、気を使って進んだけれど、多少は並びが崩れている。ササッと手早く並べ直した。
「姉さん、今日があたしたちの四文屋の始まりよ。おとっつぁんがあの世で悔しがるくらい繁盛させるんだから」
「ええ、おとっつぁんの分までしっかりやりましょう」
通り過ぎてゆく人の何人かが、二人の屋台に興味を持っていた。ちらちらとこちらに目を向けている。油の匂いを漂わせている天麩羅屋とは違い、二人の屋台は遠目にはなんの見世なのかがわかりづらい。天麩羅屋の屋台の半分の大きさもない、小さな屋台なのだ。
じゅんは道行く人々に向け、大声で呼びかけた。
「いらっしゃいませっ。美味しいお饅頭と田楽はいかがですか。たったの四文ですよ」
呼び込みなどしたことはないけれど、じゅんの声は大きい。見てくれはよいとされるじゅんだから、はしたないほどの大声を出すと皆がびっくりするが、じゅんはそんなことを気にしない。むしろ、大声を出すくらいで嫌うのなら、そんな相手はじゅんの方から願い下げだ。
「どうぞお立ち寄りください」
りんも声を出すが、りんの声は上品だ。騒がしい中では響かない。それでも、一生懸命声を張り上げているのが健気に感じられる。
そんな姉妹の頑張りに、最初の客が食いついた。まだ若い男だ。小粋を気取っている様子が少々鼻につくが、客は客である。
「じゃあ、田楽をひと串くれ」
「はい、毎度ありっ」
じゅんはにこやかに声を張った。りんが田楽を男に手渡す。
「ひとつ四文です」
「おお、ほらよ」
男はりんの白い手に四文銭を落とした。
なんてことはない、ただの四文だ。それでも、一枚の波銭にこんなにも感激したのは初めてかもしれない。これは、二人が初めて稼いだ金ということになる。そう考えると、なんとも感慨深かった。
じゅんとしては、その田楽の感想も聞きたいところである。美味しいのはじゅんが一番よく知っている。それでも、美味いと言ってほしかった。
しかし、男はなかなか田楽を口に運ばない。じゅんをじっと見てにやにやしている。
「お前さん、年はいくつだい? それから、名は? いつもここにいるのかい?」
田楽ではなく、じゅんのことを根掘り葉掘り聞いてくる。これはじゅんに声をかけるためだけに田楽を買ったということか。
がっかりを通り越して、こんな男に買われた田楽が可哀想だ。男の手に渡った田楽を買い戻してしまいたくなる。しかし、悲しいかな。商売である以上、それでも客なのだ。
りんが丹精込めて作った田楽がこの男の口に入るのが勿体ない、とじゅんは腹立たしく思っていた。そんなじゅんを、りんがはらはらと見守っている。
その時、次の客が現れた。また男だが、今度は少し年嵩だ。じゅんはこれ幸いと、さっきの男の相手をせずに次に移る。
「いらっしゃいませ」
「ええと、饅頭を三つ頼む」
「ありがとうございますっ」
三つも一度に売れた。こうも早くから売れ始めると、途中で品物が足りなくなるかもしれない。もっと用意した方がよかったのか。
まだ二人目の客だというのに気が早いとりんは思うだろうか。けれど、きっと売れるとじゅんは感じた。手ごたえは十分だ。
引っ切りなしというほどではないが、初日にしてはよく売れた方ではないだろうか。浅草寺の時の鐘が鳴り、二時(約四時間)粘って、売れ残ったのは田楽が一本のみだった。
「百五十六文」
椀の中にじゃらりと入った四文銭を数えながらじゅんはうふふ、と笑った。最後の一本というのはどうにも売れにくく、今日はこの辺りで見世仕舞いとすることにした。
屋台の内側に小さな引き出しがあり、そこに銭を入れた椀を片づける。二人は最後の一本になった田楽を天麩羅屋の勘助に差し出した。
「残り物で申し訳ないんですけど、うちはもう見世仕舞いにするので、よかったら食べてください」
りんが控えめに差し出すと、勘助はにこやかに受け取った。
「いいのかい? ありがとうよ。じゃあ、お礼に揚げたての天麩羅を食べさせてやるからな。明日また来るんだろう?」
「ええ、そのつもり。明日はもっとたくさん用意してくるわ。ありがとう」
じゅんも笑顔で返した。品物がないので、帰りは楽なものだ。
商品が売れて懐があたたかく、二人は帰り道ではしゃいでいた。明日はこうしよう、ああしようと話し合いながら屋台を引く。
姉妹は商才のない富吉の娘だけれど、どうやらそこは似ないで済んだらしい。父が悔しがっているかもしれないと思ったら、ほんのりと可笑しさも覚えた。
悔しがりつつも、姉妹の活躍を喜んでくれてもいる。そう思えるから、じゅんにしても父の分まで四文屋を繁盛させたい。
帰り道に明日の仕込みのための買い物をついでにした。元手は今日の稼ぎがあるから支払える。とりあえずは困らないけれど、もう少し数を売っていかないと蓄えるほどには貯まらないようだ。
支払いを済ませたら、急に心もとなくなった。
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